第四話 お姫様 下

「う~……うぅ~…………うぅぅ~~~………………」


 猫のクッションを抱き締め、ソファーに寝転がっている寝間着姿の天羽クレアは先程来、唸り続けている。

 時折、キッチンにいる俺をちらちらと見ては視線を逸らし、手足をバタバタさせては、またちらり。子供か。

 ……いや、こいつは子供だったな。

 苦笑していると、クレアが俺をギロリ。


「……樹さん、今、私を見て笑いませんでしたか?」

「笑ってない。笑ってない。それより、とっとと制服に着替えろ。昼飯食べ終わったら、夕方の訓練には間に合う」

「い・や・で・すっ! 私は、い~っぱい、働いてきたんですぅ~! 労わってっ! い・た・わっ・てぇぇぇぇ~!!」


 ソファーの上で十五歳の美少女が暴れ回る。折角整えた、長い髪が乱れていく。

 俺はホットケーキをひっくり返し蓋をして、冷たく勧告。


「十分労わっているだろうが? 俺手製のホットケーキだぞ? 有難く思え」

「ぶーぶー! オジさんのホットケーキなんて、労わりじゃないですー」

「ほぉ……なら」


 冷蔵庫を開け、バターと先に作っておいた生クリームを取り出す。えーっと、紅茶の缶は何処だったか。

 棚を開けて探しつつ、言葉を続ける。


「お前の分の昼飯はカフェテリアから取り寄せよう。今の時間帯で残っているのは、カレーか蕎麦かうどんだな。ほれ、どれがいい? 奢ってやろう」

「う~!!!!! 意地悪っ! バカっ! 優しくないですっ!! 色情魔っ!!! 変態っ!!!! ……私、頑張ったんですよ……?」

「ふむ。具体的には?」


 前半部分の罵詈雑言は聞き流し、明らかに高級品なティーポットに紅茶の茶葉を入れ、お湯を注ぐ。

 芳醇な香りが鼻孔をくすぐった。

 クレアがソファーから降り、俺の傍へとやって来て、背伸びをしてフライパンの中を覗き込んだ。

 今回の任務を教えてくれる。


「今回の目標は【壁】を越えて来た【海月】が一。それを【鴉】百数十羽が援護していました。諸先輩方は怯えてらしたので、私が全部処理を」

「情報通り、上級が【壁】を越えたのか……あと、一緒に行った三年生達に少しは配慮をしろ、配慮を」


 俺は蓋を取り、ホットケーキの様子を確認――もう良いか。

 隣のクレアは「♪」瞳をキラキラさせている。

 白猫が描かれた皿にホットケーキを移し、バターと生クリームもたっぷりと。

 少女が瞳を大きくし、淡い紫の前髪を揺らす。


「はわわ……こ、こんなにたくさん…………」

「当然だ。何せ――十五歳にしてA級。もう少しでS級になるだろう天羽クレア嬢に見せびらかせつつ、俺が食べる分だからな」

「!? い、樹さん……? ま、まさか……そ、そんな、非道なこと、しませんよね? ね??」


 分かり易くクレアはたじろぎ、腕に縋りついてきた。ちょっと泣きそうだ。

 トレイの上に皿とカップ、ナイフとフォーク、ティーポットを置き、持ちあがる。

 天才少女は、俺の裾を指で摘まみ不安そうに引っ張り上目遣いで呟いた。


「……ほ、ほんとに……わたしの分じゃ、ないんです、か……?」

「――ぷっ」


 堪え切れず吹き出す。

 すると、クレアは頬を紅潮させ、俺の背をぽかぽかと殴ってきた。


「い~つ~き~っ!!!!!!」

「はっはっはっ。そういう所がまだまだ餓鬼なんだよ」

「うーうーうー……」


 美少女は漏れ出た魔力で髪を逆立てながら唸り、頬を大きく膨らました。

 それでも、俺の後について来て椅子に腰かけたので、テーブルにトレイを置く。

 俺は紅茶を淹れながら、むくれている少女を促した。


「ほれ、食べろ。夕方の訓練には参加だ」

「……樹さんが見てくれるんですか?」

「ああ」

「なら――……まぁ、参加してもいいです。時間の無駄ですけど」


 小さく零し、クレアはホットケーキを切り分け始めた。

 ――傲岸不遜な物言い。

 けれど……同い年の生徒達と、日本でも数える程しかいないA級【戦乙女】との差は余りにも隔絶している。

 俺はカップを少女へ差し出しながら、話題を戻した。


「お前の力は知っているよ。この学院で勝てる奴は、教官含めても二、三名だろう」

「……今更、クラスの皆さんと訓練しても成長出来るとは思えません。樹さんが相手なら話は全く別ですけど」

「俺が相手でも同じだよ」


 ホットケーキを食べている少女を見つめる。

 ――旧東京駅で俺自身が救ったこの子と再会したのは、今から三年前の夏。

 古巣の防衛軍司令部に呼び出されたと思わったら、突然会議室内で襲い掛かられたのだ。

 だが、そこは現役を退いたとはいえ、かつては天下の英雄【白薔薇】に延々と模擬戦を挑まれていた身。あっさりと制圧はした。

 したのだが……あろうことか、クレアは瞳を輝かせ俺に抱き着き、こう言いやがったのだ。


『えへへ♪ やっぱり強いんですねっ! これから末永くよろしくお願いします、樹さん☆』


 ……会議室内にいた、旧知の参謀共やお偉いさんの顔は思い出しくない。。

 未だにあの現場を目撃した山縣さんや刀護は酒を呑む度、俺をからかいやがるし。

 ただそれ以来――俺はこの少女の世話を非公式に請け負っている。

 なお、クレア達が旧東京下をどのように生き延び、何があったのかは推測の域を出ていない。未だにあの『柊』と呼ばれた、天羽家に長く仕える家出身の女性が俺達に託したノートも水面下で調査は継続しているようだ。

 紅茶のカップを置き視線を合わすと、クレアも手を止めた。


「お前は強いよ。まだまだ力任せだし、戦術判断を甘いし、直線的だし、魔力の無駄使いも多いし」

「ほ、褒めてないのではっ!? はっ!」

「褒めてる、褒めてる。それだけ改善点があっても――」


 俺は左手の人差し指を立てた。

 微笑み、素直に称賛する。


「お前に勝てる【戦乙女】は国内に殆どいない。成長すれば、コレットにも追いつける可能性だってある」

「……だったら、訓練なんて」

「でもな」


 天羽クレアは強い。

 冗談抜きで、才能だけなら【白薔薇】コレット・アストリーに匹敵するだろう。

 俺はティッシュを取り、手を伸ばし少女の生クリームで汚れた口元を拭う。


「どんなに強くても個は衆に潰される。上級【幻影ファントム】達は、下級・中級を使い捨てにし戦力を削りに削った上で……お前を殺しに来る。背中を預けられる人間を持たない奴は、長く生き延びられないんだよ。【壁】があるから、少数しか出現しない? はっ! 俺はそういう甘い言葉を信じる習慣は持っていない」

「…………樹は、そうなってくれないんですか…………?」


 クレアは少しだけ頬を膨らまし、何回繰り返した分からない言葉を紡いだ。

 苦笑し、手を振る。


「俺は強制的に引退した身だよ――ほら」


 そう言って、自身の【A.G】を起動。

 ――漆黒の魔力が集束しようとし、崩壊した。

 少女がポツリ、と呟く。


「……【Common curseありふれた呪い】」

「限界を振り絞った【A.G】使いの宿痾だ。世界でも症例数が少ないらしいが、共通しているのは――【A.G】使用時間の極端な短縮。まぁ、まだまだちびっ子な天羽には負けないが、実戦じゃ足を引っ張る。お前には背中を預ける仲間が必要なんだよ。分かったか?」


 俺の説明を聞き終えたクレアは俯いた。

 何故か――頬を薄っすら染める。


「う~……いけず。私、もう子供じゃないのに…………。は、裸だって、見られたのにっ! 樹のバカっ! 今度、御祖父様に言いつけますっ!! そして、責任を取らせますっ!!!」

「見てないからなぁ。ほれ――早く食べて、制服に着替えろ。訓練に参加したら、夕食も付き合ってやるから」

「! ほんと?」

「教官の言うことを信じろ」

「しんじまーす♪」


 少女は満面の笑みを浮かべ、手を挙げた。現金な奴め。

 ――夕食、何作るか考えておかないとな。 

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