プロローグ 下

 荒廃した旧東京駅上空へ飛翔し、周囲を見渡す。

 本隊は皇居内への侵攻を果たしたようで、【幻影】の姿はない。


「油断はとうの昔に死に絶えた、と」


 俺は小さく呟きながら、愛銃を頭上へ向けて引き金を引いた。

 一条の閃光が走り――無数の光に分裂。

 簡易的な感知網を形成した上で、後輩へ指示を出す。


「刀護、生存者を確認次第、撤収するぞ」

「了解――先輩っ! あそこっ!!」


 かつての連絡橋の上で、幼女を抱きかかえた黒髪の若い女性が立っていた。

 俺は黒羽を羽ばたかせ急降下。すぐさま、刀護を続いてくる。

 周囲に【幻影】の気配は皆無。大丈夫そうだ。

 内心ホッとしつつ、女性の前方へと着地。

 フード付きのローブを着ている幼女は、宝石のように綺麗で大きな瞳を俺へと向け、小首を傾げた。年齢は……五、六歳くらいだろうか。


「もしかして――お兄ちゃんたちが天使様?」

「ん~……そうだったら良かっただけどね」


 俺は苦笑し、緊張仕切り体調が悪そうな女性と視線を合わせた。

 髪は白髪混じりで、袖から覗いている手首は骨が浮き出ている。

 ……病気のようだ。

 年齢はおそらく四十代。着ている服は幼女と似通ったフード付きローブで、魔力は感じず、幼女とは全く似ていない。

 瞳には強い意志。どうやら……訳アリ、のようだ。

 敬礼して、名乗る。


「安心してください。防衛軍【幻影】討伐隊所属の風倉樹です」

「同じく、九条刀護です」

「……九条……嗚呼、良かった……これで、クレア御嬢様を助けてあげられる……」

「? それはいったいどういう」

 

 女性の言葉に違和感を覚えた俺が、言葉を続けようとした――その時だった。

 

 二年前、京都で感じた絶対的な恐怖。

 

 咄嗟に反応出来たのは、俺とその女性だけだった。

 放り投げれた幼女を右手で受け止めつつ、俺は後先考えず全力で魔力を込め、愛銃の引き金を引いた。

 本日二発目の全力射撃で身体中に激痛が走る。

 純白の閃光が走り――女性を貫かんとした不可視の腕を、すんでのところで貫き、引き千切った。

 黒い血が舞い散り、連絡橋を汚し、姿を現した腕も落下する。


『――いたイ』


 電子音のような声が耳朶を打ち、前方から白髪白目の男が姿を現した。俺の魔弾で喪った左腕を不思議そうに眺めている。

 幼女が俺に抱き着き、声なき悲鳴をあげる。

 刀護が震えながら聞いてきた。


「せ、先輩……こ、こいつ、魔力の桁が……」

「【幻影】の長だ。刀護!」

「っ!」「きゃっ!」


 俺は妖女を後輩へ投げ渡し、全力機動。

 間合いを一気に殺し、魔力で展開した銃剣を長の傷口へと振り下ろす。


『…………』


 嫌そうにしながら、男は跳躍して、頭上で触手で形成された翼を広げた。

 喪った傷口が盛り上がり――再生。

 二年前の京都を思い出し、眩暈を覚える。

 あの時は、俺やコレットを含めがかり。

 を犠牲にして、辛うじて倒せた。

 インカムで司令部を呼び出そうとするも、繋がらない。

 ……これは死ねるな。

 だけど、こんな局面ですることなんて決まっている。

 俺は『死神殺し』を握り締め、フワリ、と浮揚。


「刀護、お前はこの人達を連れて撤退しろ」

「なっ!」


 後輩が絶句するのが分かった。

 愛銃を頭上に掲げ――発砲。

 深紅の閃光弾が炸裂した。


 意味は――『緊急事態。作戦中止を至当とす』


 これを見れば、あの敏腕参謀さんなら察してくれるだろう。

 『最古の五人』全員がいるならともかく、現有戦力で長級とやり合うのは、犠牲が大き過ぎる。

 俺は蒼褪め地面に両手を付け、激しく咳込んでいる女性へ視線を向けた。

 連絡橋が鮮血で汚れる。


ひいらぎ!」

「……クレア御嬢様、どうか、どうか健やかに……天使様、どうか、これを……」

「?」


 女性が震える手を伸ばし、俺へ小さなノートを渡そうとしてきた。

 それを受け取ろうとし――背筋に凄まじい寒気が走る。


『~~~~~~~~~~~~~~~~~』

「「っ!」」「やぁぁぁぁぁ!!!!!」


 長の口が耳まで裂け、凄まじい叫びを放った。

 咄嗟に障壁を張るも、周囲の建物や連絡橋に罅が走り、崩壊していく。


「――……あ」

「っ!」


 女性の姿も沈み込み、落下。  

 俺は無理矢理動き、空中で抱きかかえる。

 すると、女性は凄まじい力で俺の肩を掴んできただ。

 既に瞳と口から出血している。内臓をやられたか!

 声も出さないようだが必死に瞳を動かし、ノートを押し付けて来た。


「動かないでっ! まだ……まだっ!」

「…………おじょうさまをおねがい、します…………」

「あ……」


 女性の身体から力が完全に抜ける。

 俺は歯を食い縛りながら落下してくる瓦礫を避けながら、後輩の傍へと近づき、ノートを押し付け叫んだ。


「刀護、行けっ!」

「先輩っ!」

「行けっ! ……死ぬのは歳の順。そうだろ?」

「っ!!!!!」

「……柊……」


 瞳を涙でいっぱいにした幼女が小さな手を伸ばし、俺の腕の中の女性に手を伸ばし、頬に触れた。

 ……こういう場面は何度見ても慣れない。

 口を元に戻した長が勧告してくる。


『そのこはワタシタチのモノ。邪魔ヲするなら』

「大丈夫よ。あんたは――私達が殺すからっ!!!!!」

『!』


 裂帛の気合と共に、長へ大剣が叩きつけられた。

 分厚い障壁を切り裂かれ、斬撃は長と崩壊しつつある東京駅を両断した。

 ……あの馬鹿。

 信号弾を見た途端、即座に最前線から飛んできやがったな。

 俺は泣いている幼女の頭を一撫で。視線を合わせる。


「悲しいかい?」

「…………うん」

「そうか。なら――」


 女性を地面に降ろし、目を閉じる。

 光輝く金髪を靡かせながら、純白の【A.G】を纏い、背中に銀翼を形成している小柄な少女――人類最強のトップエース【白薔薇】コレット・アストリーが俺の隣へ降り立った。

 もの言いたげな視線を無視し、幼女へ微笑む。


「その気持ちを忘れないように。俺は君やこの人のことを知らない。けど――この人は君を大切に想っていたのは分かる。君も、そういう子になってほしいな」

「…………うん。忘れない」

「いい子だ」


 桁違いの魔力が集束し――長が再生していく。

 コレットが「ちっ……面倒っ!」と舌打ちしている。教育に悪いな。

 俺は【死神殺し】を構え、後輩へ命令した。


「刀護、ノートは山縣さんへ。あと、その子を頼む」

「っ! ……はい」

「あ――」


 悔しそうにしながら、後輩は翼を広げ後退しようとする。

 腕の中の幼女が俺を見て、叫んだ。


「天使様! お名前っ!!」

「樹。風倉樹だっ! 今度会う時まで、いい子にしているんだよ?」

「うんっ!」


 目を真っ赤にしながらも幼女は笑い――次の瞬間、後輩は全力で飛翔していった。

 長は刀護を追おうとせず、ただただ俺達だけを見ている。殺し合う気満々、と。

 コレットがジト目を向け、大きな溜め息。


「…………はぁ」

「何だよ。……状況は?」

「作戦は即刻中止。当然よね。だって、【魔弾】の進言だもの。全部隊、作戦開始地点まで後退中。此処への増援はなーし」

「……いや、お前も退けよ」

「そうしたら、何処かのオジちゃんが死んじゃうじゃない。嫌だよね~自己犠牲。日本人のメンタリティ。さ、私に何かいうことは?」

「…………」


 ついこの間まで、ランドセルを背負っていたガキんちょに諭され、俺は何とも言えにあ気持ちになる。

 十四歳でこうなのだ。将来、こいつと付き合う男は大変だろう。

 ふっ、と息を吐く。


「…………来てくれて助かった」

「ん~……もう一声っ!」

「緊張感がねぇなぁ」


 苦笑しながら、俺は愛銃を構えた。

 コレットも大剣を変化させ、小回りの利く双剣へ。背中の銀翼が光を放ち始めた。

 長は大きく白い瞳を瞬かせ、腕に無数の刃を発生させていく。

 素直に告げる。


「――何時も感謝してる。ありがとう」

「……『今』は許してあげる。さぁ」

「おおっ!」


 俺はコレットの言葉に応じ、長に対し【魔弾】を放った。 

 対して白髪白目の怪物は――唇を歪め愉しそうに笑いながら、両腕を鞭のように大きく薙いだ。


※※※


 後に、この戦いは『十月十日の死闘』として知られることになった。


 東京奪還こそ失敗したものの、二年前の京都に引き続き、【幻影】の長討伐に成功した【白薔薇】コレット・アストリーは、名実共に人類最高の英雄へと登り、以後も数多の武勲を挙げ続ける。


 対して俺――風倉樹はこの戦いで重傷負い現役を引退。


 世界各国が、自国の【門】破壊に成功する中、東京での蹉跌の責任を取らされる形となった。

 ただし、俺の忙しさはまるで変化がなかったのだが。

 【幻影】との戦いは続き、日々は巡っていく。


 これは、引退した元【A.G】使いと、約束を守り続ける一人の少女の物語。

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