第3話

 それからはまたいつの間にか、凜子が話す番になっていった。今度はこの前見た変な夢の話だった。


 他人の夢の話はつまらないと一般的には聞くけれど、少なくとも俺にとってはそう感じられない。

 「——で、その後大量のジャガイモに追いかけられんのね」

 「——さすがにアイロン台食べるわけにはいかないじゃん?」

 「——そこでまさかのモナ・リザ登場なのよ」


 彼女の他に、これほどぶっ飛んだ夢ばかり見る人がいるだろうか?どこをかいつまんでもなかなかエキセントリックだ。

 「そういうことか」

 「え、そういうことかって?」

 首を傾げる凜子に、俺はその日の夜のことを話す。


 珍しく俺の方が帰りの遅くなった日だった。家に帰った時には、凜子は床で毛布にくるまって寝ていた。

 「その日凜子がさ、夜中ずっとなんか言ってるなと思って、耳をすましてみたんだけど。寝ながらジャガイモがどうとか訳分かんないこと言ってたんだよ」

 「何それ初耳なんだけど」

 「初めて言ったからね、でもあまりにも謎だったから覚えてて」

 「えっ恥ずかしいな」

 少しだけ顔を赤くしながら、凜子はくすっと笑う。


 この笑い方をした時だけ、普段クールな彼女の表情には、少女のようなあどけなさが垣間見えたりする。本人は気づいているんだろうか?


 凜子は思い出したように、セットで頼んだホットティーを口に運んだ。

 いや、口につける直前にカップの中身が変わった。

 「あ、今」

 「やっぱりコーヒーが良かったもんで」

 店の窓が“鏡”になったのだろう。


 「——いつも疑問に思ってたんだけど、食べ物をチェンジした時って味も変わるの?」

 「あー。飲んでみる?」

 凜子が差し出したカップを、俺は受け取った。

 見た目も香りも、完全にコーヒーだ。猫舌なので、恐る恐る少しだけすすってみる。

 「うわ...コーヒーだ」

 「うん、そうなんだよね。『本来の性質』は変わらないはずだけど、味は変わるのよ」

 「コーヒーの『本来の性質』って、味には直結しないのかな」

 はい返して、と手で示しつつ、凜子は答えた。

 「その辺私にもよく分かんないんだよね。所詮変わったものを見たり感じたりするのは人間でしょ?だからそもそも、紅茶そのものが本当に変わったのか、私たちが錯覚してるだけなのか、それすら分からない」

 「自分で使う魔法の、仕組みもよく分からないんだね」

 「流だって」

 「俺?」

 まっすぐ見据えられ、思わず一瞬体が固まる。


 「自分がどうやって歩いてるのか、どうして自転車に乗れるのか、考えたことないでしょう?」

 「——確かにね」

 言われてみれば納得、凜子にとって魔法を使うことは、それくらい日常的で普通のことなのだ。

 「昔は慣れるまで大変なこともあったけど、今は何てことないのよ」

 思えば、あまり凜子が自分の魔法について語ることはほとんどなかった。改めて聞いてみると少し不思議な感覚になる。


 変身魔法を使えたら自分は何をするだろうな、と度々考える。


 例えば自分の容姿を変えてしまうことも、できるんじゃないか。二十四時間限定で。

 凜子が魔法を使えると知った時、その発想が頭をよぎったことがあった。自分自身を鏡に映して好きなように姿を変えることは、多分できるだろう。


 彼女は俺の主観とひいき目を差し引いても、なかなかの美人じゃないかと思う。もしかすると、人前に出るときは必ず同じ顔をしていても、夜中になったら全くの別人だったりして...?

 当時はゾッとした覚えがある。この姿が全部偽物なんじゃないか、と。


 だが今となっては、そんなことは考えなくなった。

 別に今の姿が本来の凜子だと、証明できたわけではない。

 二十四時間ずっと見張っていたわけでもあるまいし、もしかすると未だに二十四時間経つごとに変身し直しているのかもしれない。まあそれでも良いか、と思うようになっただけである。


 凜子の魔法では、変身させる対象の『本来の性質』は変えられないのだ。たとえどんな姿に変身していようと、それが凜子のなりたい“凜子”なのだから、俺が何か疑ったり口出ししたりすることではない。

 俺は彼女の本質が今のままなら、何も文句はないと思う。


 「ふふっ」

 急に凜子が笑い声を漏らした。

 「え、どうした?」

 「また何か考えてたでしょ」

 「あ、うん、ちょっと」

 「声に出して欲しいんだけどなあ」

 「いやごめん、考えると黙っちゃう癖があって」

 「その黙ってる時の顔がね、面白いのよ」

 「面白いって」

 こういうことをすぐ口にする凜子だが、心の奥底でまでバカにしているわけではないはずだ。

 「あ、これも美味しい〜」

 俺が何か反論する前に、凜子はシナモンのドーナツをくわえていた。仕方がないので、俺もココナッツの方に手をつける。


 向かい合い、美味しいドーナツを食べながら、何の実にもならない話をするだけ。

 でも何の実にもならない時間は、無駄な時間ではない。

 「あー案外お腹いっぱいだな」

 俺もだ、と言おうとして、ハッとした。すんでのところで口をつぐんだ。


 今回は、ちゃんと彼女の口元が視界に入っていたから。

 ——彼女が、実際には口を動かしていないことが、分かっていたからだ。

 「いやあ案外お腹いっぱいだな」

 「私も!」

 危ないところだ、何も喋っていない人に返事をするのは流石に、不自然極まりない。

 

 ——最近のことである。凜子みたいに子供の頃から、ではない。

 凜子といるようになってから、俺には時々凜子が「発した」ものではない声が、聞こえるようになってきていた。


 最初は何だか分からなかったが、どうやら彼女の心の中ではっきりと思ったことが、一部だけこっちまで漏れてくるらしいことが次第に分かった。


 しかも初めは凜子のだけだったが、ここ数ヶ月にいたっては、他の人の声まで聞こえるようになってきた。声を喉から出していないはずなのに、俺には普通の声みたいにそれが聞こえるのだ。


 きっといわゆる「心の声」というやつだ。もしかすると、これも魔法なのかもしれない。

 なぜ今になってそんなことが起こるのか、原因はよく分からない。凜子の魔力的なものが移ってきたのだろうか?

 ひとまずまだこのことは、凜子には言っていない。もしこれが彼女に知れたら、俺の前では何かを思い浮かべるのさえ一回躊躇うことになるだろう。口に出さない言葉にまで気を遣わせるのは、申し訳ない。


 とにかくこの魔法、自分の意思に関係なく時々現れるので、凜子のようにそのうちコントロールしてみたいと思っているところだ。

 結構大事なことだっただろうか?もっと先に書いておくべきだったかもしれない。


 「どうする?帰る?」

 「せっかくの休みだし、ダラダラしたいんじゃない?凜子はどう思う?」

 「そうね、家帰ってこたつ入って、録画したドラマでも見るか」

 彼女はそう言った。口に出していたから、俺も返事する。

 「よし、ゆったりの休日だ!」

 「賛成!」

 妙に歯切れのいい返事だと思ったら、大体心の声だったりする。発言内容で見極めることも、できるようになってきた。


 どうにせよ、全部の声が聞こえてくるわけでもないし、この能力で不便に思ったことは今のところない。かと言って、特別便利だったことも実はない。あってもなくても同じようなものだ。

 今日はこれから、家でテレビを見るだけのゆったりな休日。なかなか素敵じゃないか。


 「今お昼か、今日まだまだあるの嬉しいな」

 お会計が終わった時、ウキウキした声が聞こえた。こっそり彼女の口元を見ると、珍しく笑っている。

 ——もしかして、言ったのか?


 いや凜子はそこまで素直な正直者じゃないと思う。口には出していないんじゃないか?

 俺は何か言うべきか言わないべきか、しばらく迷う。迷いながら同じ方向を見ていたら、凜子と目が合ってしまった。

 「どうしたの?」

 彼女はそう言いながら、どこか照れ臭そうにほほ笑んだ。

 ん?


 口に出したのか、出さなかったのか?

 こういう時、俺はどんな風に返事したらいいんだろう...?

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