第4話 豪邸

 時刻は夜9時過ぎ。目的地でタクシーを降りると、ヤミ金さんが、「うわ」と情けない声を出した。

 人の背丈よりずっと高い白い塀が、目の前に立ちはだかっていた。歩道に沿うようにして左右にのびる塀は、ぱっと見た感じ60メートル以上はありそうだ。近づいて見上げると、のしかかられるかのような妙な圧迫感があった。塀の向こうには洋館の黒っぽい外壁と屋根が見える。この距離からも視認できるということは、おそらく3階建てだろう。木々が頭をのぞかせている部分は庭だろうか。ヤクザもどきの敷地はかなり広いようだ。


 白塀上部にはライトが等間隔で設置されており、煌々と路上を照らしていた。それにしたってライトの数が多すぎないだろうか。1メートル間隔ぐらいで取り付けてある。まるで静かな住宅街に派手なパチンコ屋が建っているかのような違和感があった。近隣住民はカーテンをしっかり閉めないと不眠症になりかねないのではないだろうか。


 さて玄関はどこだろう。私たちはスポットライトで照らされた長い歩道を歩いてみた。時折、首を伸ばして屋敷の中を覗こうとしてみたが、無駄だった。中の様子が覗えるような隙間なんて一つもない。

 途中、監視カメラは6台見つけた。ダミーじゃない、ちゃんと動いているカメラだ。数が多すぎるライトといい監視カメラといい、この屋敷の主は一体何を警戒しているのだろう。普通に考えれば強盗、空き巣などの防犯目的なのだろうが……。どうも普通じゃない雰囲気だ。


 交差点の角を曲がって道なりに進むと、玄関と思われる大きな門の前にたどり着いた。畳2畳分ぐらいある鉄製の門扉は、無骨な鉄の板といった感じで、飾りも何もなくそっけない。でも頑丈そうだ。少々の銃撃なら耐えられるのではなかろうか。ここも監視カメラがたくさんあった。どれもレンズは外を向いている。つまり、来訪者のほうに。

 門の前に立ち、あたりをきょろきょろ見回してみたけれど、インターフォンや呼び鈴のたぐいのものは見つからなかった。表札もないし、郵便受けもない。外から来るもの全てを徹底的に拒む仕様だ。宅配便とかどうしているのだろう。宅配ピザのチラシだってこれじゃ入らないだろうし、不便じゃないのだろうか。店まで受け取りにいく派なのだろうか。


 私はサボテンポーチの中に手を突っ込み、仕込んであるICレコーダーをオンにした。監視カメラの映像で、屋敷の主は私たちの訪問に気づいているはずだ。もう交渉は始まっている。

 私は声を張り上げた。

「たのもう!」

 ちょっと待ってみたが、誰も出てこない。私は大きく息を吸い込んで、全力で叫んだ。

「たのもーう!」

「ま、待て待て待て」

 ヤミ金さんが私の口を塞ごうとしてきたので、私はのけぞって逃げた。

「おまえ何考えてんだ、何だたのもうって、時代劇か」

「いやだって、ほかにどう言うんですか。このお宅ってインターフォンも何もないんですよ」

「だからって……、そこの門をノックするとかあるだろ」

「はあ?」

 私は呆れた。

「ガチじゃないとはいえ、ヤクザとつながっているかもしれない家の門をノックなんかしたらカチコミだと誤解されて撃たれますよ。そんなことも知らないでよく……」

 複数の足音が慌ただしく響き、どこからか男たちがあらわれた。スーツ姿の者もいれば、ジャージ姿の者もいる。全員中年だ。門は閉まったままぴくりとも動いていない。きっと通用口から出てきたのだろう。どこに通用口があるのか知らないが。


 彼ら4人の中年男性は、アリでいうところの門番アリといったところか。訪問者を見定めて、主に報告するのが役目なのだろう。私たちを値踏みするかのような不躾な視線を寄越してきた。私は内心むっとしながらも、平然とした顔で受け流した。

「こんな夜分に恐れ入ります。私、ユウゲキ不動産の樋元ひもとと申しますが」

 ヤミ金さんが目を丸くして私を見た。

「おま、俺には身元がバレるようなことを言うなっていっておきながら」

 無視無視。

「えー、本日は男子大学生の早田さんの件でお話を伺いたくー」

 男たちの動きは鈍い。

「早田さんの借金の件でお話を伺いたくー」

 ちょっと男たちがざわついた。

「闇賭博の件でお話を伺いたくー」

 これには男たちの表情が一変した。さっきまでの不審者を見るような目つきが消え、相手を殺しかねない目つきになった。

「人聞きの悪いことを大声で言うな! うちは闇……」

 顔を真っ赤にしたジャージの男が私に詰め寄ってきたので、私は思わず後ずさった。

「よせ! 何も言うな!」

 別の男が制した。スーツの男だ。

「そいつ録音してるぞ。立ち方が妙だ」

 お、バレたか。

 ICレコーダーで隠し撮りをするとき、一番の大敵は摩擦の音である。ICレコーダーをポケットに隠し持っているのなら服のこすれる音、バッグに仕込んでいるときはバッグと体がこすれる音がそれだ。これらの摩擦音は、音声がかき消されてしまうほどのビッグノイズであるため、なるべく予防しておかないと証拠として使えない録音データとなってしまう。だから音声の隠し撮りをしているとき、動作は最小限にとどめ、手足は広げ気味に歩くことになる。つまりICレコーダーで隠し撮りをしている人間は見た目で判別つくのだ。もちろんそういう知識のある者が見ればわかる、という程度の話ではあるが。


 お互いそれを知っているという事実。これは何を意味するのか……。私は職業柄当然としても、この男はカタギではないのだろうか。


「おまえ何者だ。弁護士か」

「先ほども申しましたとおり、ユウゲキ不動産のものです。漢字で書くと「遊撃」のユウゲキです。弊社の社長はダーツが趣味なものですから、遊ぶ、そして撃つ、というイメージでして」

 私はダーツを投げる仕草をした。

「なんだよ、ふざけた社名しやがって。遊びでやってんのか」と、ヤミ金さんがツッコミを入れてきた。

「あ、遊びなわけないでしょう! うちはまじめに……」

「そっちの男は何者だ」

 我が社に対する誤解の訂正をしている途中で男に遮られた。むっ。

「話し振りからして、あんたは不動産屋のもんじゃねえみたいだが」

「俺は……」

 私は慌てて話に割り込んだ。

「その人の正体は、内緒です」

「弁護士か」

「さあ?」

「刑事ってことはねえよな」

「だから内緒ですって」

 値踏みするように、男たちはヤミ金さんをじろじろと見た。正体をはかりかねているようだ。さあ、これでヤミ金さんは私のお守りとなった。裏社会の人は何者かわからない相手には手を出さないのだ。よほどのことがない限りは。

 もちろん私は返金の交渉相手だから、名乗らないわけにはいかない。果たしてユウゲキの名がどこまで通じるか……万が一のことを考えると、お守りがあると安心できる。安心できるほうが交渉でも強気にいけるだろう。

 この世界、ビビってたら言い負かされるのがオチなのだ。


 そのとき、音もなく鉄の門が開いた。

 門の影からくすんだ色のスカートにエプロンをした中年女性が出てきて、「旦那様が中にどうぞとおっしゃっています」と、あごをつんと上げて私に告げた。使用人のようだが、私のようなアポなし訪問客には頭を下げたりはしないようだ。

「ど、どうする?」

「どうするもなにも、お話をしにきたんですから、中に入るに決まってるじゃないですか」

 私が一歩踏み出すと、女性はふんと鼻を鳴らしてきびすを返した。ついてこいということのようだ。私は彼女のあとを追うような形で門をくぐった。

 まず目についたのは、広い庭だった。

 外とはうってかわって白塀の内側は照明が少なく、薄暗かった。それでも外から間接的に入ってくる光のおかげで、庭はぼんやりと照らされているから、大体の様子は見ることができた。

 通り道には石砂利が敷かれ、それ以外の部分は芝生で覆われていた。白壁に沿うようにして背の高い細身の木がたくさん植えられているが、背の低い茂みはない。こういう庭なら彫刻やベンチの一つもありそうなものだが、何も置かれていなかった。つまり人が隠れられるような物陰は何もない庭だ。花をつけるようなものも植えられていない。まるでスギばかり植えられた林の中に、ぽつんと空き地があって、そこに洋風の館が建っているかのようだった。


 砂利を踏むたび、石のこすれる音がする。防犯用の砂利なのだろう。その砂利道の終わりに、目指す館の玄関があった。玄関まわりに張られたタイルは黒御影石だろうか。洋風の鉄製ドアも黒だし、建物に関しては黒で統一しているようだ。


 女性が先にドアを開けて待っていてくれていたので、私がおじぎして中に入ると、ヤミ金さんも小走りで駆け込んできた。そんなに慌てなくてもいいのに。ビビりすぎじゃないだろうか。

 私たちが館の中に入ると、女性はどこかへ行ってしまった。お茶でも煎れてくれるのだろうか。あまり歓迎されている感じはしないけれど。


 廊下の奥から、スーツ姿の男があらわれた。とても背の高いマッチョで、スーツが窮屈そうだ。腕も足も太い。全身が岩でできているみたいな印象の人だった。まさか、この人は「旦那様」ではないだろうなと思ったら、「こっちだ」と私たちに言った。予想どおり案内係のようだ。

「ああ、その前に」

 男は私に手を差し出した。ICレコーダーを渡せという意味だろう。ここで刃向かっても意味はない。私はサボテンポーチの内ポケットから愛用のICレコーダーを取り出すと、男に手渡した。

「帰りに返してくださいね」

 男は何の感情もない顔で、私を見下ろした。

「帰れると思ってるのか?」

「帰れると思ってますけど?」

 迷うことなく即答すると、男は呆れたように溜息をいて、それきりもう何も言わなくなった。



 案内された部屋は寝室だった。ぱっと見た感じでは18畳はありそうだ。重そうな黒いカーテンはきっちり閉められていて、天井に取り付けられたランプがオレンジの光を放っている。チェストや応接セットが部屋の隅に置かれているが、全体的にがらんとした雰囲気だった。


 部屋には誰もいない。

 いや、奥にあるベッドの掛け布団が少し盛り上がっている。館の主はもうベッドに入っているようだ。夜9時を過ぎているとはいえ、寝るにはまだ早くないだろうか。ヤクザ風の人は高齢なのだろうか。ベッドに近寄り、首を伸ばして顔を確認しようとしたら、咳払いが聞こえた。振り返ると、ヤミ金さんが「そういう失礼な態度はやめろ」と言う顔をしていた。完全にビビりちらかしている顔をしている。


 案内係の男は、無表情でドアを閉めると、腕を組んで扉の前に立った。ベッドのほうには来ないから話に参加するつもりはないのだろうが、同席はするということか。彼は護衛みたいなものなのかもしれない。


「やれやれ」

 うなるような声を出しながら、ベッドの主が身を起こした。

 淡いブルーのパジャマを着た白髪交じりの男性は、困った子供でも見るような微笑みを浮かべていた。

「こんな時間に訪問者とはね。ぼくはあまり身体が丈夫ではないもので、ベッドに入るのも早いんだがね。おや、お二人はずいぶんと健康そうだ」

「健康には気を遣ってますんで」と、ヤミ金さんが笑顔で答える。

 私は少し首をかしげて、男を観察した。あまりにも想像していた人物像からかけ離れている。学生からお金を巻き上げるようなケチなチンピラだ、きっとガラの悪い小物に違いないと思い込んでいたのだが……。

 今目の前にいるのは、カフェでフレンチ-トーストでも食べてそうな、あまいマスクのおじさんだった。白髪交じりではあるが、うちの社長よりは若そうだ。40代後半から50代前半ぐらいだと思う。中肉中背で、見たところ不健康そうなところはない。そして、ここからが肝心なのだけれど、脅すようなところも、虚勢をはるようなところも、まるでなかった。

 私は背中がすうっと冷えるのを感じた。これはひょっとするとガチかもしれない。嫌な感じだ。

「ところで、お二人は一体どういうご用でうちに?」

 ヤミ金さんが私に目で訴えてきた。金を返せとは自分では言いづらいので、私に言ってほしいようだ。内心呆れつつ、私は背筋を伸ばした。

「まず自己紹介させていただきます。私、ユウゲキ不動産の樋元と申します。突然の訪問にもかかわらずお時間をつくっていただきありがとうございます。また、お休みのところをお邪魔をすることになってしまい、まことに申しわけありません。あ、こちらのオコゼは知人です」

「オ、オコゼ!?」

 ヤミ金さんはびっくりした顔をしていた。もしかしてオコゼと言われたのは初めてなのだろうか。意外だ。どこからどうみてもオコゼなのに。男は柔和な表情を崩すことなく、私とオコゼを交互に見た。

「それで用件は?」

 なるほど。そっちの自己紹介はしてもらえない、と。

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