第5話 警察の柴犬
「実は、弊社が所有する賃貸物件にお住まいの大学生が、家賃を滞納しておりまして」
「ほお」
「事情を聞きましたら、こちらで借金をして、その返済で首が回らなくなっていると言うんです」
これには男は何も言わない。
「1000万円の借用書にサインさせられて、その手数料として100万円を取られたとか。それもこの屋敷の中で」
「へえ、そうなのか。全然知らなかったよ。もしかしたら、うちの者たちが勝手にやったのかもしれないね」
知らぬ存ぜぬで突っぱねるかと思いきや、あっさり認めるようなことを言う。逃げも隠れもしないということか。何が狙いだ?
私はまっすぐに男を見つめた。
「単刀直入にお尋ねします。あなたはヤクザなんですか」
男もまたまっすぐに私を見返してきた。
「違うよ」
「失礼ですが、組の名前を伺っても?」
男は苦笑した。
「違うって言ってるじゃないか。ぼくはヤクザみたいに見えるかい。見えないだろう」
「私には限りなく黒に近いグレーに見えるのですが。では、質問を変えましょうか。あなた方は早田さんにヤクザだと名乗ったと聞いています。どこの組だと言ったんですか。そこははっきりさせましょう。よその組の名をかたったとなれば、ただじゃ済まないですよ」
男は大げさなくらい大きなため息をついた。
「
たしか九州をなわばりにしているヤクザだ。このあたりでは滅多に聞かない、ニュースぐらいでしか知らない名前だった。
「巳一会がどうしてこの街に? このあたりは縄張りじゃないですよね」
「それはきみには関係のない話だ」
「いや、それがそうでもなくて。私はユウゲキ不動産のものですから、こういう話にはおおいに関係があるんです。立場上、繁華街の治安維持に協力しないといけないことになっています。ユウゲキの名前はご存じですか」
男は肩をすくめて、毛布を身体にかけ直した。
「ユウゲキね、聞いてるよ。警察を辞めた連中が始めた会社で、不動産屋のくせにえらそうに街を仕切ってる傲慢な連中」
私は思わず顔をしかめた。
「傲慢って」
「警察のコネがあるのをいいことに、さも自分たちに権力があるかのように勘違いして振る舞っているんだから傲慢と言ってもいいだろう」
「そこまで人のことを言うんだったら、こっちも言わせてもらいますけどね、気弱な一般の学生なんかに闇賭博で架空の借金を背負わせるあなたは一体何様のつもりですか」
「何のことだかわからないね」
むむ。
「あなたがバカラの元締めなんでしょう」
「だから、わからないって。うちの者たちが勝手にお金を貸したりしたかもしれないけど、そんなの個人間の貸し借りだろう? ぼくは何も知らないし関係がない。バカラなんて知らないよ」
そんなわけがないのだ。こんなに厳重に守られた屋敷に住んでおいて、ヤクザを名乗っておいて、早田さんを家に連れてきておいて、賭博行為には手を出していないだなんて、到底信じられない。
でも、この男は、闇賭博は否定するが、使用人が金を貸したことだけは否定しないようだ。しかし闇賭博と金貸しはセットであり、賭博で負けた学生に金を貸したということは、イコール、闇賭博の元締めであることを意味する。少なくともつながりはあるはずなのだ。
警察は闇賭博をかなり厳しく取り締まる。組織だって闇賭博をやる連中は、賭け事自体が目的なのではなく、闇賭博を利用してカモを見繕うのが目的だからだ。軽い気持ちで賭博に手を出した人を借金漬けにして、薬を売らせたり、詐欺の受け子にしたり、違法な性風俗店で働かせたりするのが定石だ。
闇賭場では別の犯罪、それも黒い組織絡みのものが発生するからこそ、警察は闇賭博を非常に警戒するということを、私はこの業界で働くようになって初めて知った。ただの賭け事じゃないのだ。
このパジャマ姿のイケオジは間違いなくバカラの元締めだろう。だが、今の私にはそれを証明することはできない。金は貸したがバカラは知らないと言われてしまったら、何も反論できなかった。
「もうこのさい何でもいいです。ヤクザでもそうじゃなくても、バカラの元締めでもそうじゃなくても、どっちでもいいですから、早田さんが書いた1000万円の借用書と100万円を返してもらえませんか」
「借用書と100万? 両方を?」
男は冷たい目で私を見つめていたが、やがて独り言のように、「欲張りだねえ」と、呟いた。
むむ。私としては上司の仕事のやり方を真似ているだけなのだが。とりあえず欲しい物は全部言っとけっていう。
男はため息をついて首を振った。その瞬間、柔和な空気が消えた気がした。表情は変わらないのに、まとう空気だけが変わったかのよう。それは目のせいだろうか。黒く深く、鮫にも似た捕食者の目が、じっと私を見ている。
試されている、と感じた。ここでひるむかどうかを見られている。
「欲しがりすぎは身を滅ぼすよ」
むき身の刃を突きつけられたようで、背筋がぞくりとした。
「きみは知ってるかな。ユウゲキは夜の虎って呼ばれてるんだ。獅子は腹がいっぱいのときは殺しはやらない。だからヤクザは獅子だ。だが、虎は違う。腹がいっぱいでも獲物を見れば殺す。ユウゲキは虎だ。欲が深すぎる」
あくまでも男の語り口はソフトなのに、言いようのない恐怖を感じる。獲物を見れば殺す虎とはあなたのことではないのか。そう言いかけて、言葉を飲み込む。盛り場でチンピラに絡まれても怖いだなんて感じたことのない私が、今はっきりと怖がっていた。自分でも信じられない。目の前のパジャマの男には、どこにも怖い要素なんてないのに。
おびえを気取られないよう、私はあえて微笑みを浮かべて、軽い口調で切り出した。
「じゃあ、ひとまず100万円だけでも返してもらえませんか。うちとしては3カ月分の家賃さえもらえれば文句はないので。あ、もちろん返していただけるのなら警察にも言いません」
「はは、虎は欲深いだけでなく品もない。きみには美学というものがないのかな」
男が笑うことで、少し恐怖感がやわらいだ。
「もう帰ってくれ。話は終わりだ」
どうやら交渉決裂のようである。ここで粘ったところで良いことはないだろう。というのは言い訳で、私は今すぐにでもこの館を出ていきたくてたまらなかった。
案内係の男からICレコーダーを返してもらうと、足早に屋敷を出た。入るときは余裕しゃくしゃくだったのに、外に出るときはこんなにビビってしまっているなんて悔しい。ああ、だけど無事出てこられて良かった! 予想以上の大物が出てきてしまった。本音を言えば、もうかかわりたくなかった。
ちなみにICレコーダーのデータは全て消去されていた。たいしたものは録音できなかったからかまわないが、用心深いことだ。
無言でアプローチを突っ切り、鉄の門をくぐり、飛び出すように歩道に出た。あたりに人の気配はない。門番みたいな男たちは屋敷に引っ込んだようだ。
私とヤミ金さんはすっかりビビってしまっていたので、タクシーを呼んで屋敷の前で待つことなどとても考えられなかった。ふたり先を争うように競歩なみの早さで最寄り駅である坂蔵駅まで猛烈に歩いた。
軽く息を切らせながら改札を抜けて、尾行のついていないことを確認した後、ここで解散することになった。
別れ際、私はヤミ金さんに釘をさしておくことにした。
「あんまり早田さんをいじめないであげてくださいね。ああいう感じの子、追い詰めたら自殺するタイプですよ」
闇賭博も自分から手を出したのではなく、誘われてついていっただけのようだし、受け身で流されがちなところと、借金苦でひきこもる性格からしても、ちょっと危うい。……というのもあるけれど、うちのお客さんだから、あまり乱暴なことはせずに優しくしてほしいなというのが本音である。
「な、なんだよ、脅すなよ」
「脅してないです、事実を教えてあげてるだけです」
なんつって。
「けっ」
承諾のような、そうではないような曖昧な返事をして、ヤミ金さんは駅内の階段をのぼっていった。
私はホームのベンチに腰掛けて、サボテンポーチからスマホを取り出した。上司に電話しなければ。いわゆる報連相ってやつだ。
「あら、ノゾミン、お疲れちゃん」
「お疲れちゃんです」
私はマンションに安否確認に行ったこと、早田さんは闇賭博のカモにされて借金地獄なこと、相手はヤクザを名乗っているが、ちょっと判断つかないことを上司に伝えた。
「どうしたらいいでしょうか」
「そんなの決まってるじゃないの~。まずは相手が本当にヤクザかどうか調べてきてよ。もしヤクザなら手出し無用、諦めるしかないわ。でも、カタリなら100万円を回収してきて。82万円も戻ってきたらきっと早田さんも喜ぶわよ。で、ノゾミンとしてはどっちだと思う」
「正直よくわからないです」
「じゃあ、きちんと調べなくっちゃね」
「いやあ、そうはいってもですね。なかなかキビシイ感じなんですけど」
「大丈夫よ」
「でもぉ……。あの、どうしても100万円を回収しないとダメですか」
おそるおそる聞いてみた。あのお金持ちそうな家、異様な数のライトと監視カメラ、そして、どうにも嫌な予感がするイケオジ。もうかかわりたくない。危険そうなニオイがとてもする
「回収、頑張ってね」
ころころと鈴を転がすような笑い声とともに電話が切れた。うう、やっぱりそうかあ。
翌日、午後2時。
いつものように生活安全課前の通路にはメンズ香水のかおり漂う列ができており、私は最後尾に並んだ。今日は5人か。ちょっと多いな。待たされそうだ。
「次の人、どうぞ」
呼ばれて、最前列の人が部屋に入っていった。それを室内で迎えたと思われる警察官がドアから上半身だけのぞかせた。いま何人並んでいるのか確認したかったのだろう。年齢は30歳ぐらい、ダークグレーのスーツを着て、眉毛がきりっとした柴犬みたいな顔立ちの男である。その柴犬は、私に気づいて「げ」と嫌そうに言ってから、顔をひっこめた。
げ、とは失礼な。これだから公務員かつイケメンなんていう人生の勝ち組は嫌なんだ。生活安全課の警察官たちは、みんな私を見ると嫌そうな顔になるので、こんな無礼な態度は柴犬に限った話ではないのだけれど、でも「げ」なんて言うのはこの人ぐらいである。かれこれ私とは2年以上の付き合いなのだから、もうちょっとにこやかにしてくれてもいいんじゃないだろうか。
生活安全課の列に並ぶ人というのは一般的にはキャバクラの店長とかオーナーとかである。開業するのには警察の許可が要るし、店の間取りを変えるリフォームにも警察のお許しがないといけない。つまり1人1店についての相談となるのが基本だ。しかし、私の場合、不動産屋として1回に5店ぐらいのリフォーム相談をまとめて持ち込むので、仕事が増えるのを嫌うお役人様には大変嫌がられるのであった。柴犬ではないがほかの署員から「たくさん仕事をしても、全然やらなくてても、給料は同じだからやる気でないよね」とまで言われたことすらある。正直だなあ、生活安全課の人たち。
20分ほど待って、私の番となった。
テーブルを挟んで柴犬の前に座ると、柴犬こと
「きょうお願いしたいのは、まずリフォームの相談伺が4件ありまして……」
キャバクラの間取りというのは、営業許可がおりる条件が厳密に決められている。もしもリフォームした物件を「キャバクラ利用OK!」なんて宣伝文句をつけて広告を出し、賃貸契約を交わした後、この間取りじゃキャバの許可はおりませんよと警察から言われたら、お客様とトラブルになってしまう。へたしたら賠償金が発生するおそれもあるのだ。だから、うちでは事前に警察に相談する、その名も「
「相談伺とは別に、ちょっと面倒な相談も1件あるんです」
闇賭博の件だ。警察が状況を把握しているなら、うちにも情報を回してほしかった。
だが、
「うわ、聞きたくない。帰ってもらっていい?」
「いやいやいや、聞いてくださいよ」
「あ、そうだ俺、交通課の手伝いに行かなきゃ」
「待って待って。4件はすぐ済む話ですし、あと1件はきっと先﨑さんが興味ある話ですよ」
私は返事を待たずに4件分の書類をテーブルに並べた。先﨑さんは嫌そうな顔をしながらも目を通してくれた。
「不許可、不許可、図面を出せ、写真を出せ。以上」と、それぞれの書類を指ではじきながら、すらすら答えた。
「さすが先﨑さん。風営法を丸暗記しているだけあって仕事が早い」
「お世辞はいい。で、もう1件は」
「闇賭博、バカラをやってる連中がいまして、うちの客がカモになりました。借金まみれにされちゃって、お家賃を滞納されてしまって困っています」
先﨑さんの目が鋭く光った。この柴犬は普通の相談業務にはすっかり飽きがきているのだが、物騒な相談は大好物なのである。
「何何何」
「バカラ? バカラ?」
キャバクラのリフォームについての相談はどんなに大声で話していても聞こえないのに、犯罪の話ならどんな小声でも聞こえる特殊な耳を持つ生活安全課の職員たちがわらわらと集まってきた。
先﨑さんは腕組みして険しい表情をした。
「そういう話はうちには入ってきてないけど」
「そうでしたか。かなり用心深いんですかね。でもヤクザを名乗ったりするところは大胆ですが」
場がぴりっとした空気になった。
「どこの組のもんだって?」
「
「みはじめぇ? このあたりじゃ珍しいな。はったりじゃないの」
「ですかねえ」
そうだといいのだが。
ちなみにここの警察官たちはみんな、私に対してはタメ口である。もちろん一般の相談者に対しては敬語だ。お役所というのは、「業者」に対してエラソーなのである。
「被害者ってどういう人?」
「言えません」
早田さん、内緒にしたがってたし。
「え、もしかして自分? 友達の話とかいって、自分のケースだったりして」
警察官はニヤニヤ笑っている。
「違います、私じゃないです!」
「カタギだよね?」と、別の警察官。
「はい。普通の大学生です」
これぐらいなら言ってもいいだろう。
「学生かあ。ヤクザが直接狙うにしちゃ……」
うーん。やっぱりそこが気になる。獲物が小物すぎる。それに早田さんへの要求も架空の借金請求だけで留まっている点も実は気になっていた。相手がヤクザなら、とっくに犯罪の片棒を担がされていてもおかしくないのに。
「まあ、ヤクザだろうとヤクザじゃなかろうとどちらにしても弊社としては困っているんです。そいつらのせいで家賃滞納されてるし、これを足がかりにして犯罪グループに力をつけられでもしたらたまったもんじゃないですもん」
私がそう言うと、警察官たちは急にきまじめな顔になって頷いた。
犯罪が横行して、夜の繁華街から客足が遠のくようなことがあってはならない。ましてやカタギが狙われるなど言語道断。よその街はどうだか知らないが、新陶の街に反社はお呼びじゃないのだ。そういう意味で、弊社と警察は協力関係にあった。
その後、早田さんの個人情報だけは内緒にしつつ、ほかの知っている全ての情報を先﨑さんに伝えた。もちろんイケオジのこともだ。
「じゃ、情報提供ってことで受けとく。なんかわかったら電話するから」
それで話はおしまいとばかりに、先﨑さんはしっしっと私を追い払うジェスチャーをした。つくづく失礼な柴犬である。
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