第6話 宮廷魔導士

 ぱっと顔を輝かせたその人は、足場の悪い洞窟内をものともせずに軽やかに駆け寄ってきた。

 白い司祭服の清潔感も相まって、とてもこんな森の中で生活している人とは思えない。


 そんな警戒心を強める私をよそに、男は服が汚れるのもためらわずに地面に膝をついた。私を覗き込む瞳に敵意は見えず、むしろ包帯を巻かれた腕や足を痛ましそうに見ている。



「君が森の中で倒れているのを見つけたときは、心臓が止まるかと思ったよ」



 そう言った男の声は柔らかい。優しそうというか、大司教たちと違ってこちらを値踏みするような視線がない。

 やっと会話できそうな存在が現れたことに、私は散々な目に遭っていた事も忘れてほっと胸を撫でおろした。



(この人、近くで見るとすごい美形だわ)



 鈍色の瞳を縁取るまつ毛は雛鳥のようにふわふわなのに、しっかりと密度があった。しゃがんだせいで地面に投げ出された艶やかな長い髪は深海のように蒼く、地毛であることが分かる。


 そんな傾国の美女さながらの美貌を持っているのに、ゆったりとした動きと話し方が彼を少し幼く見せていた。


 ついついじっとその顔を見ていたら男は私の体調が悪いと勘違いしたのか、さらに顔を曇らせた。



「怪我、やっぱり痛むよね。一応あり合わせで手当てしてみたんだけど、あんまり上手くできなくて」

「い、いえ!むしろ怪我の手当てまでしてくださってありがとうございました」



 どうやら麗人が助けてくれたらしい。

 やっと状況を理解した私は、一旦疑問を置いて膝におでこがくっつくほど頭を下げた。たったそれだけの動きでも、脇腹が酷く痛む。

 それに気付いた犬が心配そうに私にすり寄った。なんて優しくて賢い子だろう。あの人間性がない大司教たちに見習わせたいくらいだ。



「ほら、お礼なんていらないから頭を上げて横になって!……ポーションも盗ってくればよかったな」

「いえ!これはただの打撲ですし、すぐに良くなりますよ」

「コハクちゃんは女の子なんだから、もっと自分を大事にしなきゃだめだよ」



 そうは言っても、私がこれだけの傷で済んだのは間違いなくこの人のおかげだ。

 彼が言っているポーションはゲームとかに出てくる回復アイテムだと思うが、そんな物を見ず知らずの人に要求できるほど私は図太くない。ちょっと取るのイントネーションが気になるが。


 だが男は納得していないようで、眉間に深々としわを刻んでいる。

 うーん、あそこで気絶したまま一夜を過ごしていたら獣の餌になっていたかもしれないのだから、もっと恩着せがましくてもいいくらいなのに。



(というか、あれ?私、この人に名乗ったっけ)



 名乗ったのかもしれない。

 不思議に思いながらも、私は男の名前を聞いていないことに気付いく。



「あの、もしよければお名前を伺ってもいいですか?」

「あ、そういえばまだ自己紹介をしていなかったね。ぼくはミハイル・ネーヴィル。ヨークブランで筆頭宮廷魔導士をしてたんだ」

「は、筆頭宮廷魔導士って、えっ!?それにヨークブランって……!?」



 ミハイルと名乗った麗人は国を傾けそうな笑顔を浮かべたが、私は突然与えられた情報を処理するのに精いっぱいだった。



「あ、筆頭宮廷魔導士っていうのは、その国で一番すごい魔導士のことだよ」

「っそっちじゃないわ!ヨークブランって確か、私をここに連れてきた国じゃない!」



 夢野が言っていたことを思い出し、私は出来る限りミハイルから距離を取る。わずかな空間が空いただけだったが、そこに今まで大人しく成り行きを見守っていた犬が身を滑り込ませてきた。

 グルルルと声を上げてミハイルを威嚇するその姿に情けなくも安心感を覚え、私は少し冷静さを取り戻すことができた。



「わ、誤解しないで!ぼくはコハクちゃんに害を加えるつもりでここに居る訳じゃないんだ!というか君は分かってるよね!?」

「バゥッ!」

「それはどういう意味の威嚇かな!?それにほら、コハクちゃんを傷つけるつもりなら、そもそも助けたりしないよね?ね、怖くないよー!」



 そう言ってひらひらと顔の前で手を振って見せたミハイルに、それもそうかと納得する。ミハイルがその気になれば、私なんて抵抗の間もなく消されていただろう。

 私が落ち着いたのを感じ取ったのか、犬も威嚇をやめてすりすりと私にマーキングし始めた。可愛い。



「ごめんね、いきなり無神経だったね。その警戒は正しい。まったく、勝手に異世界から呼んでおいて酷いことをするもんだ」



 否定的な言葉に少し驚く。ミハイルって、ヨークブランの宮廷魔導士なんだよね。

 首を傾げた私に、ミハイルはいい事を思いついたように笑った。



「そうだ、君に少しでも信用してもらえるように、ぼくがこの世界のことを説明してあげるね。うん、そうしよう!」



 そして私の返答も待たず、ミハイルはよいしょと声をあげて地面に座り込んだ。



「でもその前に、コハクちゃんの怪我を治そうか」

「ミハイルさん、怪我ってそんなすぐに治るものじゃないんですよ。魔法ならぱぱっと治せるかもしれませんが、私は魔法なんて使えませんし」



 ポーションとか言っていたし、ミハイルは回復魔法が使えないのだろう。

あの大司教も水魔法と火魔法しか使えていなかったし、筆頭宮廷魔導士と言えど苦手の一つくらいはあるだろう。



「え、どうしてそう思ったの?」

「……私、追放される前に大司教にいろんな呪文を唱えさせられたんです。でも、何も起こりませんでした」

「それで、自分は魔法が使えないって?」

「……はい」



 ミハイルは筆頭宮廷魔導士という偉そうな立ち位置にいるし、今までのやり取りを見るに私が召喚された異世界人だと知っているようだった。

 大司教みたいな偏見はなさそうだが、彼も異世界人はみんなチート能力を持っていると思っているようだった。


 傷口に塩を塗るようで辛いが、助けてくれたミハイルには早いところ事実を教えた方がいいだろう。もし私に何かして欲しいことがあるなら、期待値が高くなる前に諦めてもらわなきゃ。


 そう思ってヨークブランであったことをミハイルに包み隠さず話すと、彼はその綺麗な顔に般若を宿らせた。

もしや見捨てられフラグ再来か?と怯えたのは一瞬。ミハイルの口から信じられない低音で「あの死に損ない無能どもが」という言葉で、その怒りは私に向けられているわけではないと理解した。


 とはいえ、美人のガチギレ顔は一般市民の私には辛い。なんなら殺意のような気配を感じてしまった私は顔色を悪くしていたようで、それに気づいたミハイルは笑顔だけでも取り繕った。笑顔だけ。



「だいじょうぶ、コハクちゃんには怒ってないからね」

「アッ、ハイ。それは分かっています」

「ならいいんだ。そうそう、治癒魔法の話だったね。あの老害どもはなあんにも教えてくれなかったみたいだけど、この世界にはね、治癒魔法を使える人がいないんだ」

「えっ、まったく?」

「うん、まったく。だから怪我とか病気になったらポーションに頼るしかないけど、当然ポーションにも限りはあるからね。疫病や大きな戦争が起きたとき、ぼくたちは聖女様を喚ぶんだ」



 ふと、あの“あなたは世界を救う聖女に選ばれました”という詐欺テロップが脳裏を過った。

 そういえば、ヨークブランに勝利を導くみたいなことを夢野が言っていた気がする。ミハイルの言いたいことを察して、消え失せていたはずの期待がわずかに膨らむ。



「ねえ。コハクちゃんがその聖女様だよって言ったら、信じてくれる?」

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