アートパラメータ

hurukawa

第1話

「芸術って、何ですか?」

 私の人生を語るとしたら、まずこの一言から始めるのが妥当だろう。

 これは私が小学校の時によく周りの人(主に大人)に聞き回っていた質問である。私はいつも同じ質問をして、周りの人はいつもバラバラの回答をした。

「芸術っていうのは美しいもののことだよ」「芸術っていうのは絵とか詩とか小説とかのこと」「芸術はお金になる道具のことだ」「芸術とは見る価値があるもののことさ」「芸術は爆発だ」「自分で考えろ」……

 本当にみんな、バラバラの回答をした。ある人は美しさ=芸術だと言うし、またある人は財産の一形態だと言う。有名な言葉をそっくりそのまま引用する人もいれば、思考を放棄する人もいた。こんなにありふれた言葉なのに、誰もわかりやすく一意的な答えを出してはくれなかった。

 「芸術」という言葉を辞書で引いてみると、『鑑賞的価値を創出する人間の活動及びその所産』というようなことが記述されている。小学校の頃の私はこの漢字がたくさんある難しい文章を理解できるほど物知りではなかった。

 そして、これらの回答の散らばり具合から、小学生の私はある結論を出した。

 芸術というのは見せかけだけの言葉で本当は存在しないのだ、と。



 そもそも私がなぜ芸術が何か知りたくなったのかを、ここで述べておくことにしよう。

 私は保育園の頃から絵を描くのが大好きで、またその年齢の割には絵を描くのが上手でもあった。

 ある時、私の描いた絵を何とかコンクール——名前を失念してしまったが、それは本筋に関係ないことなので割愛する——に出してみないかと、私の面倒をよく見てくれていた保育士の先生に言われた。私はコンクールという言葉の響きを気に入り、頑張って絵を描いた。頑張り過ぎて一枚しか出せないコンクールのために三枚も絵を描いてしまったほどだ。

 さて、三枚も描いたところで出せるのは一枚。どの絵を選ぶのかという問題が生じる。

 私はその時既に自分の中で出来の良さの序列をつけていた。だから私は先生に「これ、これ、これの順番です」という風に指差しで示して渡した。先生は笑顔で受け取った。

 私はそのコンクールがどのようなものなのか全く知らなかったので、次の日には既にその存在を忘れていた。そのため、ある日突然「蓮華ちゃん、おめでとう」と先生に言われた時はびっくりして、また何ごとかと動揺した。

 私は何もわからないまま賞状を手渡された。そこには大きな文字で『金賞 翡翠蓮華(ひすいれんげ)殿』と私の名前が書かれていた。その下に続く文面は保育園児の私には難しい漢字が含まれていたことと、読むのが面倒だと思ったという二つの理由で読まなかった。

 私の絵が評価された、ということだけは理解できたので、私はとても笑顔になった。

 しかし、その後すぐに私の笑顔は凍りついた。

 先生から渡された金賞を受賞した絵が、私のつけた序列の中で一番下のものだったのだ。

 自分の絵が評価されていて、さらにはその評価された絵よりさらに上手い絵を描けているということなのだから、普通の人ならば悪い気はしない状況である。しかし、その時の私はまだ短絡的にしか物事を考えられないお年頃であった。

 私は先生に抗議をした。「私が選んだのはこの絵じゃないです」と何度も訴えた。保育士の先生は大人な対応で「ごめんね」と何度も言って、私を宥めようとしてくれていた。そして私の気もそれで少しは落ち着いた。どうやらその先生は私の指さした順番を「上手い順」ではなく「下手な順」だと勘違いしたらしい。私もそれに気付いたので、怒りもほとんど消えてしまった。

 しかし、先生はその子供騙しの謝罪の最後に一言、

「でも、こっちの絵の方が上手だったから、結果オーライだったね」

 という言葉を付け加えた。

 私はその言葉を受けて、自分と他人の価値観が違うのだという事実を人生で初めて知った。思い知らされた。もちろん、「価値観」という言葉自体は知らなかったけれど。

 私は自分勝手な絶望に打ちひしがれ、何も言えなかった。園児である私にとって大人の人、その上先生であるその保育士は正しい存在であり、その正しい先生が私とは違うことを話しているということは私の価値観が否定されたということになる、という風なこと——ここまで分析的ではなかっただろうけれど——を、子供ながらに考えた。

 それ以降私は絵を描かなくなり、それと同時に芸術というものが何なのか、無性に知りたくなった。



 ここまでで述べた通り、私は小さな時に芸術とは何か知りたくなり、その過程で芸術というものが本当は存在しないと考えるようになった。

 だから、私は芸術を壊した。

 これから芸術崩壊の過程についてある人物の視点から語ろうと思う。その人物の名は冷泉、とある施設の検査員をやっている。この他基本的な情報は話の中に出てくるので、事前に説明する必要もないだろう。

 話が終わればわかることだが、この男が物語を動かすキーパーソンとなる。



『芸術について



「ケンサインID5292、レイゼイサン。キョウモガンバリマショウ」

 この機械的かつ形式的でやる気の出ない挨拶から、僕の一日の仕事は開始する。

 代わり映えのしない仕事を日々淡々とこなしていくだけ。世の中には書類にハンコを押すだけの仕事があるそうだが、それはきっと今僕がやっている仕事と同じくらい暇であるに違いない。

 ここ、アートパラメータ検査場は退屈の巣窟であった。



 十年ほど前、とある研究者が発明したシステムが、この国の芸術に大きな影響を与えた。

 その発明されたシステムの名はアートパラメータ。芸術の価値を評価するシステムであった。詳しいことは専門外なのでわからないが、機械学習を用いて過去の膨大な芸術作品のデータやそれに対する人間の評価などを学習させることで、芸術の価値を数値化することに成功させたシステム……らしい。

 当然そのようなシステムが出てきたら、批評家たちが黙っているわけもなく、痛烈な批判が山のように浴びせられた。

 しかし、その後アートパラメータによる実験が全国ネットの生中継の中で行われたことにより、その評価は一変することとなった。

 実験の内容は至ってシンプルで、無作為に抽出した数十人(と、有名なテレビタレント)がそれぞれ個別の部屋に入室し、その部屋のモニターに映される芸術作品に対する率直な評価を十段階で評価する。この作業をいくつかの芸術作品に対して行い、それぞれの回答を集計する。そして、その結果を事前にアートパラメータを用いてつけていた数値と比較する、という至ってシンプルなものだった。

 結果は驚くことに、数値のズレが誤差の範囲だと言えるほどの精度を叩き出したのだった。

 テレビの生中継ということもありアートパラメータの名は一躍有名となった。SNS上でもバズることとなり、世の中からはアートパラメータ擁護の意見が多数出てきた。

 その風潮を受けてなのか、この国で芸術を取り仕切っているアート協会が、アートパラメータを正式な評価装置として認める意向を示した。

 当然、この驚くべき決定には賛否両論が渦を巻いた。これまでは一部の芸術評論家や芸術家などしか意見を表明していなかったこの話題に対して、芸術に関連するさまざまな人たちや、機械学習について研究している研究者、さらには経済界のビックネームまでもがさまざまな意見を表明した。

 結果的にアート協会は一度出した決定を覆すことはせず、なし崩し的にアートパラメータの導入は開始された。とはいえ、これにより不利益を被る可能性のある人間の数なんて高が知れているため、しばらくすると世間の熱は冷め、いつしかアートパラメータの使用は当たり前のことのようになっていた。もちろん、批判が完全に消えたわけではないのだけれど。

 僕は数年前にこの検査場に配属されることになった。いや、正確にはこの検査場を回すために流れ作業を行う歯車のような存在となったと言った方が正しいのかも知れない。検査は当然のことながらアートパラメータの行う仕事であり、芸術作品の運搬などは運搬関係部署の仕事であるため、僕の所属する検査部の仕事は主に、「検査にかけられる作品をボーっと眺めること」だった。友人などからはいつもお気楽な仕事だと揶揄されるが、お気楽な仕事というのは視点を変えれば、退屈な雑務であるということを彼らに教えてやりたい。まあ、彼らと仕事を交換しようとも思わないけれど。

 ああ、退屈だ。

 僕の口癖が「暇」になるのにもそう時間はかからなかった。



 その日違和感に気付いたのは、僕の鑑定眼が鋭かったから……というわけではなく、ただ単にその芸術作品が美しかったからであった。

 検査される予定の芸術作品を一眼見た時に、綺麗だと思った。至ってシンプルな感想しか出てこなかったのは僕の語彙が貧弱なせいである。あまり上手く表現しようとし過ぎるとかえってこの作品を貶めることになりかねないと思った。

 それほどまでに素晴らしいと思った作品が、アートパラメータにより低評価を受けた。いや、低評価と言えるほど低くはなかったのだが、それでも僕の個人的な評価とはかけ離れていた。

 無論、僕が芸術に関してさほど興味を持たない一般人だったならば「そんなのお前の眼が節穴なだけだ」などと言われても仕方がないのだが、僕はそこまで芸術に無知なわけじゃない。そもそも芸術に結構近くで携わる仕事を数年しておきながら、芸術に関して全くの門外漢だというのもそれはそれで問題だと思う。

 僕の母親は芸術家で、世間でもそれなりに名が知られていた。その母の影響で——と言うほど母が芸術教育に熱を入れていたわけではないけれど——僕は小さな頃から芸術に関する知識や眼を養ってきた。皮肉なことにその眼で自身の創作を見つめ直したことが、僕が芸術家への道を諦めたきっかけになったのだけれど、それはまた別の話である。

 閑話休題。僕のある程度自信のある審美眼、及びこの数年も弛まずさまざまな芸術について学んだりしてきた僕の頭は、このアートパラメータの評価に異議を唱えていた。そしたら僕の取るべき行動は一つ、管理部局に連絡を入れることだ。

「すみません。こちら検査部局の冷泉と申しますけれども、今日検査された識別No.503について、検査結果に不審な点が……」

 こんな電話をかけたのは初めてであったので、僕は年甲斐もなく緊張した。何度か噛みそうになったけれど、何とか全て言い切ることが出来た。

『……』相手側はしばしの沈黙。怖いよ、怖い。電話の向こう側から何かしらの物音が聞こえてくるのがまた怖い。

 しばらくして、返事が来た。

『アートパラメータでエラーが起きたという報告は受けていません』

 そんなの知ってるよ、という言葉が思わず口から出そうになった。エラーが出ていたら検査部にはすぐ通知が来るようになっている。

「エラーとかそういうことではなくて、アートパラメータの標準出力の評価が不自然だということです」

『は?』電話相手のその語調は、一昔前のヤンキーを彷彿とさせた。

「ですから、評価が不自然だと……」『それがどうしたんですか?』「だからアートパラメータの動作がおかしいから調査を……」『そんなのあんたの主観だろうよ』「主観といっても……」『あんたの戯言に付き合ってやれるほど暇じゃないんだよ』

 あ、だめだ。僕は確信した。この人は僕の話を絶対に聞こうとしない。

 僕はその後もいくつか電話をかけたり、担当に直接会って掛け合ってみたりしたが、いい結果は得られなかった。

 その日から、僕は検査場の異端分子として扱われるようになった。



「本当に、やってられないよ」

 久しぶりの友人との飲み会、僕は最近たまりにたまった不満をぶちまけた。

「何があったんだ?」

 友人にそう聞かれたので、この話を酒の肴にしてやろうと最近の話をありのまま、いや多少脚色を交えつつ全て話した。特に異変に気づいた後の厄介者扱いについて話している時は、酒の勢いもあってある事ない事話した。

 全てを聞き終わって、友人は色々と僕を慰めてくれた。

「お前も色々大変なんだな。今日は仕事のことなんて忘れていっぱい飲んじまおう」

 その日は久しぶりに、デロンデロンになるまで飲んだ。アートパラメータ施設は機密保持などの観点から情報統制を取るため外出を制限している。こうやって外に出れる機会はそう多くない。

 こんなに楽しいのは何年ぶりだろうか? なんて思いながら、その日は千鳥足で家に帰った。

 数日後、懲戒解雇になるとも知らないで。



 統括部から電話が来たときには、何事かとびっくりした。

『冷泉だな、統括部の第一会議室まで至急来るように』

 電話の向こう側はとてもドタバタしていたようで、喧騒とも怒声とも思える音が受話器越しに聞こえてきた。

 アートパラメータシステムの性質上機密の多いこの機関において、どこかの部署でトラブルが起きたとしても、直接影響が出る場合を除いて、他部署にその連絡はいかない。だから何かが起きていたとしても、統括部から僕のところに連絡が来ることなんてまずない。だからこそ今回はとても異例の事態であることが推察できる。

 僕が指定された会議室に向かうと、そこには何人ものスーツの人が座っていた。見覚えのある顔はいないが、風貌や場所を考えると重役であることに間違いはなさそうだ。

「君、情報漏洩をしたね?」

 席につくスーツの一人が、名乗りもせずにいきなり尋ねてきた。

「情報漏洩、とは具体的にどういうことですか?」

 機密と言われている事項に関しては外部に漏らした覚えがない。

「情報漏洩は情報漏洩だ。心当たりはないかね?」

「いえ、全くありません」

「君は、この施設に関すること、アートパラメータに関することを外部に一切話したことはないというのかね?」

「は?」

 意図がわからない問答に疲れたことや溜まっていたストレスのせいで、僕は思わず態度が悪くなってしまった。

「だから、君はアートパラメータに関することを外部の人に一切話していないということか?」

「いえ、そりゃあ機密に触れないことを軽く話すことくらいはありますけど……」

「言質は取れた。君は今日をもって懲戒解雇とする」

 は?

 今度は声にもならなかった。

 難しい顔をしていたスーツの一群は、不気味な暗い静かに、そして迅速に会議室を後にしていく。気付いたら、僕一人が会議室に残されていた。

 狐につままれたような、気分だった。



 僕が自身の懲戒処分の理由を知ったのは、それから数日後だった。

 アートパラメータ施設の制限から解放(追い出し)され久しぶりに自分の家に帰り、久しぶりに自分のPCを開いた。そして、画面に表示されたニュースを見て僕は全てを悟った。

『アートパラメータの不正発覚⁉︎アート協会の不正発覚か』

 僕が数日前まで働いていた職場に関する記事だということは、一目見て明らかだった。

 記事の中身を読むと、どうやらアートパラメータによる芸術評価でいくつか不自然なものがあることがわかり、それがアート協会による不正な芸術品の価値操作なのではないかという疑惑が浮上しているらしい。

 そのネット記事の下部には、関連記事としてアート協会重役の不倫報道や暴言などをまとめた記事、協会員の内部告発などスキャンダラスな話題へのリンクが山のように載せられていた。

 このアートパラメータの不正疑惑に関する情報源は一体どこなのか、それについても調べてみたのだが、どうやら誰かのSNSへの投稿がもととなっていたらしく、そのアカウントも既に削除されていたため、結局どこから出てきた情報なのかはわからずじまいだった。

 その他SNSを見ると、さまざまな誹謗中傷が渦巻いていた。

『悪の秘密結社じゃんwww』『芸術で金稼ぎかよ』『もう芸術なんて信じない』『アート協会オワコン』『そもそもこんな機械使うなよ』『国民投票でこの施設つぶそーぜ』『協会員一人ずつ吊し上げろ』

 アート協会、アートパラメータ、並びに芸術の存在までが徹底的に叩かれていた。その勢いは、炎上などという言葉が可愛く思えるほどだった。



 それから数ヶ月後、この国の芸術は崩壊した。

 決め手はアート協会の崩壊だった。

 アート協会はその騒動の後、トカゲの尻尾切りのごとく協会員、及びアートパラメータ施設の人間をやめさせた(僕もその一人だったというわけだ)。しかし、それは火消しになるどころか逆に油を注ぐ結果となった。辞めさせられた者たちがさまざまな不満を情報メディアに流したからだ。

 疑惑が生じてからアート協会の崩壊までがたったの数カ月、あまりにも速すぎる展開から、これもまた誰かが仕組んでいたのではないかという陰謀論が出てきたほどだった。

 それまでアート協会が一手に牛耳っていた芸術だが、そのアート協会が滅んでしまったため、芸術はまるで連鎖倒産のごとく崩れ去ってしまった。

 そもそも何が原因でこのような事態が起きたのかはわからないが、僕の気持ちは複雑だった。昔の職場が散々批判されていることに対して困惑などの感情を抱いている反面、少なくとも僕があの日検査場で感じた違和感は正しかったということが証明された気がして、少し胸がスカッとしている自分もいた。不思議な気分だ。

 とはいえ、あの時解雇されたのは不幸中の幸いだったのかも知れないと、今は思っている。あのままあそこで働き続けていたら、世間の誹謗中傷の的になりかねなかったのだから——この前実際にネット上で元同僚が吊し上げられているのを目撃した——。とにかく、これ以上この件に固執するのは得策ではなさそうだということはよく理解できた。

 それから僕は、アートパラメータに関することを決して口にしなくなった。



 それから数十年後、僕はとある女性と結婚し専業主夫として平凡な家庭で平凡な日常を手に入れていた。

 芸術の崩壊からもう十年以上が経過した。世の中は以前とさして変わらないようにも思えたし、ガラッと変わってしまったかのようにも思えた。

 以前のように、芸術品の価値がお金で評価され、オークションで目が飛び出るような金額で売られたりすることは、一切なくなった。芸術とお金を結びつけることを悪とする論調が世の中に深く根付き、芸術を金で売り払おうとする創作家は「悪魔に魂を売った」などと蔑まれた。こういう点を見れば、世間はガラッと変わったと言えよう。

 かと言って、芸術作品がこの世から全て消失したわけではない。例えば美術館などは以前と変わらず営業をしているし、その客足が目に見えて減ることはなかった。学校教育から美術が消えるようなこともなかったし、銭湯の壁から富士山の絵が消えることもなかった、昔ながらの公衆浴場の数自体は減少したらしいけど。こういう点を見れば、世間は以前とさして変わっていない。

 芸術に多少なりとも興味のあった僕からすれば、世間は少し変わったように思えた。芸術の崩れた世界、というほどたいそうな変化ではないような気がするけれど、全く変わっていないわけでもないように思えた。

 しかし仕事一筋で芸術に差して興味のない妻からすると、アートパラメータの事件が起きたことにより世間が大きく変化したということはなく、あのニュースも所詮政治家の汚職がバレたニュースと同じ程度の影響しかなかった、らしい。

 結局のところ、人によっては影響があり、人によっては影響がなかった、そんな程度のことだったのかも知れない。ただ、あの事件のせいで世の中が住みづらくなったとは思っていないこともまた確かだった。

 結局、芸術とは何だったのだろうか?


 おしまい』



 以上が、私が芸術とは何かを考えるためだけに書いた、短い物語だ。

 小説の中で芸術を一度壊してみれば、少しは芸術のことを理解できるのかも知れないと思ったのだけれど、結局よくわからなかった。

 しかし、創作の楽しさだけは少し理解できた気がする。

 たとえばこの物語に裏設定を考えていた時は少しワクワクすることができた。アートパラメータの情報をリークしたのが実は冷泉の飲み友達で、その友達は情報のリークにより多額の富を得ていた、とか。その友達の悪い顔が脳裏に浮かんできて、面白かった。

 とはいえ結局求めていた答えは出てこなかったことは確かである。だからこそ、この物語を書き終えた私も、この物語を書く前の私と同様に問い続ける。

「芸術って、何ですか?」

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