第3話 裏切りは、大罪。

 寒風の中、大坂城では、両軍の睨み合いが続いていた。

 徳川軍は、大坂城を兵糧攻めにするため、城周囲を蟻の子一匹も逃さぬよう、巡視を強化。家康は清兵衛を使い、大坂城内を揺さぶって見せた。それが功を制したのか、幾人か城外に出てくる者がいた。戦に耐え切れず、逃げ出してきた町人や農民たちを片っ端から捕らえ、城内の様子を詳細に知るため、微細なことも漏らさぬように、尋問に掛けた。その甲斐あって、米の取引値まで知るに至った。尋問を終えた者は指を切り落とされ、大坂城に差し戻された。家康は、戦に並ならぬ誇りを持っていた。それを生半可な浮ついた気持ちで参加し、根を上げれば容易く裏切り、逃げ出す者を、身分に関わらず、決して許さなかった。

 徹底した情報収集から不可解な出来事が炙り出されてきた。大坂城内に生鮭が流通していると言う事実。 


 「水も漏らさぬよう包囲している大坂城にて、如何にして、貴重で高価な生鮭が出回るのじゃ」

 「不可解で御座いますな」


 謎は深まるばかりだった。家康は側近と思案した。


 「豊臣方の出入りなど容易なことではない」

 「そのような報告も受けておりませぬな」

 「ならば、どうして生鮭が出回るのじゃ」

 「我らが気づいていない別の出入り口でも御座いますのか」

 「我らが知らぬ、出入り口とな」

 「ほれ、本能寺の時、信長が穴を掘り、逃げ道としていた…」

 「逃げ穴か…しかし、それならば、その穴を使い、密かに兵を配備し、我らを挟み撃ちにしすること位、考えまいか」

 「そうで御座いますな」

 「密かに、兵を動かすなど、言うは易し、行う難しじゃ」 

 「尋問からもそのような動きは見当たりませぬな」

 「それを成し遂げる者がいたとするなら…」

 「それ相応な鍛錬を受けた者でなければと言うことですな」

 「それは、あるまい。寄せ集めの烏合の衆の豊臣軍においてはな」

 「そうで御座いますな。ではどうして?」

 「考えたくはないが、答えはひとつ」

 「内通者で御座いますか」

 「そうしか思い当たらぬわ」


 家康は、慎重に調べを進めたものの、解明には至らず、幕府軍に内通者がいるのではないか、という疑念だけを深めていた。

 疑心暗鬼になった家康は、豊臣恩顧の浅野長晟、小出吉英らの陣営を下げさせた。大坂城内で出回った生鮭の件が解明されないことに家康の疑念は、底なしの深みに陥っていった。誰かが嘘を付いている。しかし、表沙汰にし、自軍に新たな不安を与えることは、士気の低下に繋がる。疑い深く、心配性の家康は、巡回を自らが行うことで心を落ち着かせ、同時に緊張感を周囲に知らしめた。その姿を真田幸村の密偵が見逃すはずがなかった。


 「若様、ご報告が」

 「その呼び名は止めよと申したではないか」

 「ははははは、そうで御座いましたな」

 「それで、報告とは何か」

 「家康自ら陣営を巡視致しております」

 「何と家康が自らだと…影武者ではないのか」

 「それはないと。声、姿、家康で御座います」

 「そうか、それは良き知らせとなるやも。早速、いつ何時、どこに家康が現れるかを調べよ」

 「既に、監視の目を光らせております」

 「大儀じゃ」


 密偵の知らせで、家康の動向を知った幸村は、ある決心を固めようとしていた。弱腰の豊臣家。増してや信用されていないと感じていた幸村は、豊臣方に相談することなく、無断である計画の実行を目論んだ。その発想は、烏合に埋もれない幸村ならではのものだった。それは、徳川家康の暗殺だった。

 事が事だけに豊臣方に相談しないでいたのは、秘密漏洩を防ぐ意味合いと、反対に合い、好機を逃すのを極力、避けるためだった。

 嫡男・真田大助は、後に豊臣家から咎められることを懸念し、後藤又兵衛だけに書面で、徳川家康暗殺計画を知らせていた。

 密偵の調べで、家康の動向が浮き彫りになった。襲撃場所を吟味し、戦略を練った。後期は逃さない。即座に決断し実行に移す。

 幸村は大助と共に、狙撃の得意な者50人と精鋭18人を率いて、11月27日の夜、天満川を発った。幸村ら一団は、博労淵の南にある葦洲の葦の中に身を潜めて、家康が来るのを待った。


 ここなら、家康を引き付け、襲える。


 家康が来るのを寒さに耐え、ひたすら静かに待った。寒さと緊張感を紛らわすため幸村は、大助に真田家の道筋を解いた。


 「大助よ、私は今、自分の置かれている立場を疑問に思うことがある」

 「何を疑問に感じなされるのです」

 「そもそも、なぜ、今、私たちは家康(内府)を討とうとしている。家康に恨みなどない。ましてや闘う理由さへない。もとを正せば、関東統一を目論んでいた北条家が豊臣家の傘下に入ることに反発してのこと。その北条家は、自らの野望のために、我ら真田家が統治する沼田城が欲しくて仕方なかった。豊臣家と徳川家の緊張は、北条家よりも水面下では、一触即発のきな臭さを秘めていた。徳川家は北条家と手を結ぼうと、北条家の和睦の条件を呑んだ。その条件が、沼田の引渡しだった。家康にすれば興味もなき沼田の地。そのようなことで北条家と和睦できるのなら、容易い事。家康にしてみれば、見も聞きもしない真田家など、眼中になし。赤子の手でもひねる思いで、攻めにきたに違いない。家康は、北条家の我が儘に付き合わされただけ。北条家が、沼田の地を家康に託さなければ、こうして家康を敵として見ることはなかったであろう。熟考せずに我らに手を出したがために、争うことに。火のない所に煙は立たず。その火元は北条家であるのに…。こうして家康を狙っておる、因果なもじゃ」

 「そうでしたか、私には理不尽にも家康が攻めてきた、と言う思いでしかありませんでした」

 「それは仕方なかろう。我らとて、沼田の地を徳川家から貰ったものであれば、思案したであろう。しかし、沼田の地は、父上が苦労して獲得した地。おいそれ引き渡す理由など、どこにもない」

 「御意」

 「しかし、その頃、真田家は訳あって豊臣家に臣従していた。秀吉は、北条家を臣従させたかった。そこで沼田の領地の内、利根川から東を北条領とし、西を真田領とする提案を秀吉は、北条に提案した」

 「それは、我らにとって理不尽な提案」

 「そうじゃな、それでも父上は、秀吉の性格を気に入っておられ、受け入れられたのじゃ」

 「なんと」

 「父上にすれば、今は秀吉に恩を売り、後に、新たに領地を開拓すればいい、とのお考えだったのであろう」

 「爺様らしい」

 「しかし、そんな矢先、思わぬ事が起きてな」

 「重ねての無理難題でも」

 「いや、違う。秀吉の提案を北条家も渋々呑んだ。それで一件落着のはずだった。その時であった」

 「何が起こったのです」

 「北条家は、それでも沼田領全土が欲しかった。それを察してか、家臣の猪俣邦憲が豊臣家との裁定を踏みにじり、沼田領の西・名胡桃城(真田領)を奇襲しよったのじゃ」

 「猪俣は、功を焦ったのか、合点がいかなかったのでしょうか」

 「分からぬ、歴史とは思わぬ所に綻びを作るよってな」

 「厄介なもので御座います」

 「そうよな。しかし、ことはそれでは収まらない。猪俣の奇襲に屈した名胡桃城代・鈴木主水殿は、それを恥とされ、沼田正覚寺で自刃された。父上は激怒なされ、秀吉にその理不尽さを訴えられた」

 「その訴えは叶いましたか」

 「秀吉も幾多の戦いを武力制圧、和睦で乗り切ってきた御仁。それを揺るがす掟破りに激怒され、北条氏に宣戦布告をなされた」

 「不甲斐ない大将なら、まあまあと抑えに掛かる所、流石に爺様が気に入った秀吉の性格、不義理に厳格」

 「そうよな。大助よ、覚えておくが良い。今日の友は明日の敵と」

 「唐突に何で御座います」

 「秀吉の北条氏への宣戦布告。秀吉は北条家に加担する家康に手出し無用を告げ、それを家康は呑んだ」

 「家康は、北条家と組んで、我ら領地を狙ったのでは」 

 「そうよ、しかし、大義名分が出来た以上、厄介者は消す。家康は北条家を切り捨てた。それが戦国の世よ。私も、上杉、前田、松平軍と共に三万五千の兵として従軍し、北条父子を討つため、小田原征伐に向かった」

 「私と父上、兄上は軽井沢で上杉、前田隊と合流。碓氷峠に差し掛かった頃、北条軍も防衛に意を注いでおった。峠道であり、大軍の動きが鈍る場所だ。そこに着眼した北条軍の松井田城主・大道寺政繁は、碓氷峠で先制攻撃を仕掛けるべく、与良与左衛門を始めとする八百の兵を置き、待ち構えておった。そうとも知らず、兄上が松井田の物見に出た。そこで待ち構えていた与良与左衛門と遭遇。兄上の隊は少数も、激闘の末、与良勢を撃退された」

 「流石、叔父上」

 「その後、我らは大道寺軍と遭遇。私は、大道寺軍に突っ込んで行き、引っ掻き回してやった」

 「父上も、堂々たる戦いぶり」

 「生意気を言うな」


 そう言うと幸村は、照れたような笑みを浮かべていた。


 「碓氷峠を突破した私らは、松井田城下に殺到した。松井田城は、北条方も防衛に自信を持つ要害堅固な城だ。秀吉は、得意の付城を築き、松井田攻撃を強化した。次いで、松井田城周辺を放火し、籠城軍の士気を削ぎ、兵糧攻めに入った。その甲斐あって、大道寺軍は降伏開城する。松井田攻略の一連の作戦が、私の初陣だった」

 「松井田城を攻略した私ら北陸支隊は、引き続き上野国の諸城を攻略する。箕輪城とは、上野国の要。何としても抑えておく必要があった。城主・垪和信濃守は、上野国の諸城が落ちていくのを見て動揺し打つ手なし。このままでは、壊滅を待つのみ。それを憂いた一派が城内で紛争し、垪和信濃守を城から追放。それによって、箕輪城はほぼ無血で占領することにあいなった」

 「話を聞くだけで、この大助も血が騒ぎます」

 「そうか。父上と私は、秀吉から箕輪城仕置きを命じられた。一段落すると、武蔵鉢形城、八王子城と陥落させ小田原包囲陣に加わった。小田原征伐に関する一連の働きにより我ら真田家は、秀吉に重く用いられるようになったのだ」


 第一次上田合戦時、真田家は、武田家が臣従していた徳川家と主従関係にあった。武田家が滅び、大名への道が開かれた頃、上杉に対する備えとして上田城を築く許可を家康から得ていた。

 上田城完成の年には、沼田の件で徳川を迎え撃つことになった。徳川に比べて余りにも小さな大名だった真田家。その為、後ろ盾が不可欠だった。その最適者が秀吉に就いていた、一度は家康の元で討伐を目指した越後の上杉景勝だった。真田昌幸の表裏を弁えている上杉景勝は、「風見鶏めが」と疑いながらも真田家の後ろ盾となることを約束した。

 上杉家を取り巻く大きな勢力である、北条家と徳川家。その中間に位置する真田を支援することは、上杉家にとっても損な案件ではなかった。その際、昌幸は、一度は攻めようとした上杉家の信頼を得るため、次男の幸村を人質として上杉に差し出した。

 第一次上田合戦が起こった時も、幸村は上杉家の治める海津城にいた。合戦の知らせを聞いた幸村は、景勝に申し出た。


 「お家の大事で御座います。出陣のお許しを」

 「それはなりますまい」

 「何故で御座います」

 「そなたは、真田家が差し出した、言わば人質ですぞ」

 「私が…ですか」 

 「知らないでおったか、昌幸から申し出たことよ」

 「それは何かの間違いではあるまいか」

 「間違っておるのはそなたよ。理解されたら、この上杉に心して仕えるが良い」

 「ぎょ、御意」


 その後、昌幸の裏表比興が如実に現れる。影勝が秀吉のもとへ上洛した留守の間に、昌幸は幸村を呼び出し、秀吉に出仕させ、気に入られ、真田家は豊臣家の直臣となった。


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