第2話 恐怖は人を支配する。

 徳川軍は、大坂城の攻め方に苦慮していた。

 小競り合いはあったが、戦局を揺るがすものではなかった。そこへ真田丸という最大の難敵が、容赦なく徳川軍を追い詰めに掛かった。

 時は、冬。日増しに寒さは、厳しさを強めてきていた。

 野宿する兵にとって、夜間の凍てつく冷え込みは、戦意を削ぐ。食料はつき始め、粥をすする有り様。これでは体力を維持できない。暖を取るために、燃やせるものは燃やした。

 戦わずして敗戦の色合いが、寒さに伴い、濃くなっていた。徳川軍には、残された時間は、僅かなものに。家康は、現有戦力での戦い方を思案していた。

 一方、真田隊ら実戦経験のある武将たちは、徳川の弱体化が日増しに進んでいることを承知していた。開戦前こそ、地の利を活かした先制攻撃を主張していた幸村も、今は、ただただ時間の経緯を眺めるに至っていた。

 豊臣秀頼は、戦いを好まない穏やかな性格だった。膠着状態が続く中、なぜ、このような不愉快な思いを元家臣とも言える者に味あわせられなければいけないのか…考えれば考えるほど、淀殿の怒りは、朱を濃くしていった。また、静観する徳川軍の不気味さを感じていた。


 「この静けさは、何か有るにちがいない。あの狸親父が何もせず、時を過ごすなどあろうはずがない。いや、きっと、何かある、あるに違いないわ」


 静寂が、疑心暗鬼の淀殿の不安を煽り、心労を重ねさせていた。

 幸村の兄・信之も徳川に就き心労を重ねていた。

 家康は、豊臣恩顧武将が豊臣側に寝返るのを恐れ、福島正則・黒田長政・平野長泰らを江戸に留置、その息子を出陣させていた。

 真田家は二度も徳川家を撃退している。信之はいつ家康が心変わりし、言い掛かりをつけられまいかと心休まるいとまがなかった。

 家康に気遣い、神経をすり減らすような日々の中、弟の幸村が大坂城に登城。信之の心労は頂点に達し、家康への強迫観念から、寝込んでしまった。


 「徳川家に忠義を尽くさなければならぬ時に病に伏すとは、真田家の名折れとなりますまいか」


 信之は、床に就きながらも真田家への思いに馳せていた。

 関ヶ原の合戦後、真田親子の命を生かした。なのに敵方に就いた真田家について難敵であると共に、恩を仇で返す態度に家康は、怒りで震えていた。信之の正室・小松姫は窮地に追い込まれていた。小松姫は思案の末、家康の養女という立場を利用して根回しに尽力した。信之は自らの態度を早々に家康に告げた。


 「貴殿がご病気の場合、息子・川内守殿(真田信吉)に人数を付けて早々に出府されよ」


と、家康から出陣の際の但し書きが添えられた。家康なりの信之への配慮により、真田家の面目は保たれた。


 「何事にも、くれぐれに気をつけるように」


と、小松姫は、重臣・矢沢頼幸に申し付け、嫡男・信吉に次男・信政を添え、大坂冬の陣に送り出した。

 信吉は、信之と側室の子、信政は正室・小松姫との実子だった。小松姫は、父・本多忠勝の力も借り、疑いの目に晒される真田家の窮地を救った。

 小松姫は、家康の無言の呪縛を痛いほど感じ取っていた。小松姫の思いは、恥じても生き長らえよ。生きていれば道は切り開かれ、希望は残る。その思いを矢沢頼幸は、しっかりと受け止めていた。

 徳川秀忠もまた、家康の顔色を伺っていた。関ヶ原の戦いで大失態を犯した秀忠は、家康に随行する本多正純に使者を送っていた。


 「私が到着するまで、戦は始めないでください」


と懇願し、急ぎ京都・二条城に向かった。秀忠が余りにも急いだため、二日前に出立していた伊達政宗や上杉景勝を追い抜き、味方が付いてこれず、軍列が乱れた。結局、秀忠は僅かな供回りだけを連れて二条城に入った。それを聞いて家康は


 「周りを見ず、隊列を乱す失態。大将としてあるまじき事ぞ」


と激怒した。秀忠の思いは、空蝉の如く、虚しく、空回りしていた。


 徳川軍に就く豊臣恩顧武将たちが裏切るのではないかと噂され、肩身の狭い思いを余儀なくされ、不協和音も目立ち始めていた。そんな折、松平忠直の陣に不審な男が迷い込んだ。男は、吉川清兵衛と言い、江戸幕府軍の藤堂高虎に告げた。


 「豊臣秀頼様は、徳川家康と秀忠の両将を大坂城へ誘い込んでくれたことを喜んでいる。同士を発起し、反撃すれば約束通り、国を与えよう」


 松平忠直から報告を受けた家康は、常に家臣の動向を把握していた。同士を募り、反故の動きがあれば直様、報告がある手筈となっていた。しかし、吉川清兵衛の報告はなかった。


 「戯けたことよ。その者、高虎にくれてやれ。いや、待て。手足の指は20本を切り落とし、額に「秀頼」と烙印して大坂城に捨てよ、と付け加えよ」


と、家康は命じた。高虎は、家康から吉川清兵衛を引き渡されると、家臣・藤堂主膳に命じて、男を拷問にかけさせた。

 家康・高虎の命令は、主膳に並々ならない緊張感を与えた。真意を吐かせれば褒美、でなければ失墜を意味していた。家臣に清兵衛を水責めにさせ、鞭を打ち、石を抱かせた。その様子を小窓から覗き見、清兵衛が弱りきった所を見計らって、主膳は、拷問牢に入って行った。 


 「な、何をしておる、そのような仕打ちでは、命を失わせますぞ。皆の者、この場から去れ」


と、一喝してみせた。


 「大義はないか、とは白々しいか、済まぬ。辛い目にあわせたな。しかし、このような思いをしてまで守り抜かねばならぬ大事などあるのか。このままでは命を落としすぞ。それでも守るのか、見上げたものよな。よくぞ、耐えられましたな。もう良いではないか、辛い目にあうのは。儂にも慈悲の心はる。今話せば、考えを改めないでもない。どうだ、話してみないか、楽になりなされ」


 主膳は努めて、優しく清兵衛に語りかけた。


 「わ、分かり申した。話す、お話申す。故に命だけは…」

 「分かりましたか」 


 清兵衛は、主膳の手の内に落ちた。主膳は、その場を去り際に家臣に目線を送った。清兵衛の前に数人の男が現れた。


 「何、何をする気だ、殺す気か…約束が違うではないか」

 「違わないさ、命は取らねーよ」

 「では、何をする…」

 「命でないものを頂くまでよ」


 そう言うと、男たちは清兵衛の手をまな板の上に押し付けた。


 「何、何をする…」


 男たちは黙って、清兵衛の親指にノミを当てた。


 「や、や、やめてくれー」


 叫ぶ清兵衛を無視して、勢いよく、ノミに木槌が打ち込まれた。


 うぎゃーー。その残虐な行為は、人差し指、中指と進められた。全て一撃で、指は清兵衛のもとを離れた。両手の指を失った清兵衛。切断は、足の指に移った。足の指を二本ほど切り離した時には、清兵衛の生気はなく、これ以上は死に繋がると中断した。一撃で仕留めたのは、武士の情けだった。家臣が、吉川清兵衛の仕上げに掛かっていた頃、主膳は、藤堂高虎のもとを訪ねていた。


 「ご報告致します。あやつは、大野治長の家臣であると吐露致しました」 

 「そうか、治長の者か」

 「今頃は、お申し付け通りに事は運んでいるかと」

 「大儀じゃ」

 「して、あの者、如何致しましょうか」

 「家康公のご指示通り、清兵衛の額に秀頼の烙印をして、主の元へお返し致すがよい」 

 「では、早速、立ち戻り、手筈致しまする」 

 「後は任せたぞ」 

 「御意」 


 主膳は、大坂城の大野治長の元へ突き返すように命じた。

 家臣たちは清兵衛を戸板に載せ、大坂城の門前にまで来た。それを見つけて門番が、「何事ぞ」と行く手を阻んだ。


 「我らは徳川の家臣である。大野治長殿にお返ししたきものがあり、伺ったまで。他意は御座らん」

 「何を返されると言うので御座る」

 「これよ」


 そう言うと家臣たちは、戸板を地に降ろし、むしろを捲った。


 「うぐっ」


 門番は、無残な姿となった人物を見、込み上げる嗚咽を堪えていた。


 「そ、その者が…どうなされたと」 

 「この者、吉川清兵衛と名乗る者。不届きな事を犯しましてな、このような姿に。命まで奪うまでもなく、かと言って預かり置くのも難儀なこと。聞けば、大野治長殿に仕える者と申すではないか、ならば、お返しするのが筋かとお届けに参った次第。引き取られよ」

 「治長様の家臣とな…いや、知らぬ、何かの間違いではないか」

 「それは、難儀なことを。我らとて、持参したものを、おめおめ持ち帰る訳には参りませぬ。ここへ置き、立ち去りまするゆえ、あとはその方らで好きにするが良い、では」 


 主膳の家臣たちは門番に申し出を拒否されたため、清兵衛を門前に残し、立ち去った。しばらくの間、隠れて見ていたが、闇にまみれて、清兵衛の姿が見づらくなり、一旦、引き上げた。

 翌朝、様子を伺いに来ると、清兵衛の姿は消えていた。その報告は家康のもとに、高虎から伝えられた。家康の心理戦がそこにあった。

 密偵を捕らえれば用が済み次第死罪が常套。家康は敢えてそうしなかった。それは、冷戦の中、清兵衛の惨たらしい生き地獄は、静寂な大坂城に大きな波紋を広げるであろうと家康は読んだものだった。

 男の兵たちは、生死を掛けた戦にいるから、然程もないだろう。しかし、おなごの淀殿にとっては違った。直接、清兵衛を見なくても、噂話は増幅して、何れは淀殿の側近の者の耳に辿り着く。いや、辿り着かせるために態々、「秀頼」の名を清兵衛の額に烙印させたのだから。秀頼の名があることで、見逃された事も見逃されずに響く。淀殿の耳に入れば、家康に逆らい軍門に下れば、愛しい息子も清兵衛のような仕打ちを受けるのではないかという強迫観念を植え付けられる。幾ら強気の淀殿でも、弱気になるに違いないと家康は考え、それを実行した。



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