6話:将来の夢

 勤務後、二人で行ったのは色気の欠片もない行きつけのステーキハウスだった。


 医者は体力勝負。外来診察担当日以外は動いていることの多いため、どこかに食べに行くとなると肉屋を選ぶ医療従事者は意外に多い。和臣も年齢的なことから昔ほど腹に入らなくなったものの、それでも同年代の人間からはよく食べる方だと言われているる。

 

「やっぱりここの肉は美味しいですね。どれだけでも入るし、後でまったく胃ももたれない」

「それだけいい肉使ってるんだろ。……しかし、お前はよく食べたな。四百五十グラムのステーキに大盛りのサラダとライスなんて、俺が十代の頃でも無理だぞ」


 一粒もご飯が残っていない皿を見て、呆れよりも先に感心が上回る。


「子どもたちの相手をすると、ごっそりと体力奪われますからね。終わった後はいっつも腹ぺこで。というか、逆に東宮先生が食べなさすぎなんですよ」

「お前基準で考えるな。これでも三百食べたぞ」


 四十代男性の平均量は二百から二百五十グラム。それから考えれば十分すぎると和臣は反論する。


「でも他はサラダだけでライス食べてないじゃないですか。絶対に運動量と摂取量が合ってませんよ。だからあんなに軽いんですよ」


 納得していない様子の西条が、食後のアイスクリームを頬張りながらもっと食べろと文句を零す。


「オレはそんなに軽くーー」

「軽いです。いつも先生抱き上げる度に心配になって……」

「っ、オイっ、場所を考えろっ」


 やにわに夜の話を出され、和臣は慌てて向かい席の西条に叱責を飛ばす。そしてすぐに今の話題を聞かれていないか確かめるため、周りを見遣った。


「知り合いがいたらどうするんだ」


 運よく顔見知りがいなかったからいいものの、もし病院関係者に二人の関係を知られでもしたら、二人は即座に今の居場所を失う。

 

 今やLGBTに寛容な世の中となったが、医者の世界はまだ閉鎖的だ。それに子どもたちの保護者の目もある。元々ゲイである自分ならいくら批判されても仕方ないが、西条は違う。一時的な関係のために地位を失わせるわけにはいかない。

 

「あ……ごめんなさい。先生との食事が楽しくて、つい調子に乗っちゃいました」

「小児科医辞めたくなかったら、気をつけろ」

「すみません……」


 気をつけますと反省した西条が、萎れた花のように項垂れる。その姿があまりにも親に叱られた子どもみたいで、これ以上責める気になれなくなってしまった和臣は溜息を吐いて話題を変えた。

 

「……それで、昼間オレの経験談がどうとか言ってたが、何か聞きたいことでもあったのか?」

「そうでしたね。実は、今日は経験談というよりも先生の将来の話が聞きたくて」

「将来?」

「先生って将来、どの道に進むか考えてますか? このまま大学病院に残るとか、開業や研究室入りを視野に入れてるとか」

「何で突然そんなこと……」

「いや、俺にはまだ早い話だとは思いますが、四十なんてあっという間に来るでしょう? そろそろ考え始めないとなぁと思って」


 医師の世界は、四十が転換期と言われる。二十代、三十代で培った知識を生かして先の人生をどう生きるか決める人間が多いからだ。

 一応、和臣も考え始めてはいるが、今のところ候補に上がっているのは今の職場で論文を書きながら上を目指すか、軽くだが大学時代の恩師の研究室から声をかけられているので、そちらに進むか。

 だが正直、どれも決めかねている。


「まだ決めてない。じっくり考えようにも、忙しすぎて時間がないからな」


 和臣は半分残っていたハイボールを手に取り、口元に運ぶ。


「お前はどうなんだ? 話を振ったということは、何かしら考えているってことだろう?」

「ええ、それはまぁ」

「どうするつもりだ?」


 歯切れの悪い西条にさっさと言うよう促す。すると溶けかけたアイスの最後の一口を食べ終えた西条が、戸惑いながらも未来の話を語り出した。



「先生は笑うかもしれないですけど、俺、大きな庭がある家が欲しいんです」

「家?」


 斜め上からの答えに一瞬、時が止まる。


「俺、将来は個人医院を開きたいと思ってるんです。すぐに隣に自宅を作って、どんな時でもすぐに駆けつけられるようにしようと思って」

「ああ、開業か……まぁそれはいいとして、その『大きな庭』っていうのは何だ?」

「子どもが思いきり走り回れる場所です。ほら、最近外で遊ぶ場所が少なくなってるじゃないですか。遊具も危ないからってどんどん撤去されてるって言うし」

「そうらしいな。ニュースで見たことがある」


 子どもが思いきり走り回れる庭。いかにも子どもが大好きな西条らしい考えだ。

 

 ――――子ども、か。


 暇さえあれば保育士のように遊び相手を買って出たり、担当の患者が急変すればプライベートの時間を裂いてでも付き添う。それほどまで小さな命を愛している人間なのだから、自分の子にも最大限の愛情を注ぎたいのだろう。


 青々とした芝生が気持ちよさそうな広々とした庭で、西条そっくりな子が嬉しそうに遊ぶ姿が、いとも簡単に想像できる。

 

 けれど当然、その場に和臣はいない。


「っ……」


 西条の弱さを利用して慰め役を担った時から結末は覚悟していたが、改めて現実を突きつけられるとたちまちメスで切り裂かれたように心臓がキリキリと痛んだ。


 心が粉々に砕けそうだ。

 今すぐ、この場から逃げ出してしまいたい。

 それが無理なら何か、この現実から目を逸らすための理由はないだろうか。和臣はそんなことまで考え視線だけで周囲を見渡したが、現実がそんなにも都合良く進むはずはなかった。

 

「まだ早すぎるかもしれないんですけど、看護師の皆口さんのお父さんが建築士らしいので、相談に乗って貰ってるんです」

「皆口……?」


 名を聞いて、すぐに一人の女性の顔が浮かんだ。小児科病棟に勤める彼女は儚げで可愛らしい女性で、他の医師たちから「女版の西条」と言われるほど常に患者を一番に考える有能な看護師だ。子どもや保護者たちからの人気も高い。

 だからか、想像で二人を並べると言葉を失うほどお似合いに見えた。

 

「そうか……」


 子ども好きの西条と彼女が結婚すれば、きっと開業しても息の合う二人三脚でやっていけるだろう。それに彼女なら西条の繊細な心を損得なしで支えてやることができるはずだ。

 こんな卑怯者と一緒にいるより、ずっといい。 


 本当は嫌だけれど。

 西条を失いたくないけれど。

 西条が望むなら、背を押してやらなければ。



「……お前なら大丈夫だ。きっと町一番の医者としてやっていける」

「先生……?」 


 和臣が肯定したことが予想外だったのだろう、西条は目を丸くして言葉を失った。

「何だ、オレが鼻で笑うとでも思ったのか?」

「はい」

「失礼な奴だな。じゃあ望みどおり笑ってやる」

「わっ、いいです遠慮します。……って、じゃなくて、まだ先生には聞きたいことがあって。そっちのほうが大切なんですがーーーー」



 西条が慌てた様子で話を戻そうとする。しかしその時、不意にポケットの中の携帯電話が震えた。


「悪い、電話だ」

「あ、どうぞ取って下さい」


 話を中断してくれた着信に助かった、と感謝しながらもスマートフォンを取り出して相手を確認する。

 瞬間、自分でも分かるぐらいに眉間が寄った。

 

「先生?」

「病棟からだ」


 いくら慢性的な人手不足とはいえ、桜木大病院には毎晩当直医が待機している。ゆえにコールなんてそうそうかかってこないはずなのだが。

 和臣はゴクリと唾を飲み込んで、通話ボタンを押す。


「はい、東宮です――――」

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