第4−4話:もう一つの関係④
「さい、っじょう、さっ、いじょっ……」
欠片の愛もない、ただ腰を打ちつけられるだけのセックスに思考を溶かされながら、片隅で遥かかなたの昔を思い出す。
自分が同性愛者と自覚したのは、いつだったか。
一番強い記憶として残っているのは、中学時代の担任だった男性教諭に対して覚えた恋心だ。あの時は最初、気の迷いだと認めなかったが、自慰行為で果てる瞬間、西条のように爽やかで人気者だった教師の顔が浮かんだことで、和臣は自身の性的指向を認めざるを得なくなってしまった。
勿論、散々悩んだ。悩んで悩んで悩みきって、結局、もうどうすることもできないと悟った後は逆に冷静になって、「それなら隠し通せばいいことだ」と固い意志を抱くようになった。
別に結婚に希望を持っているわけでもない。子どもだって必ず欲しいとも思っていない。それなら自分は結婚不適合者と偽って墓に入るその時まで黙っていればいいと結論づけたのだ。
なのに――――。
それから二十年が過ぎ、生活面でも収入面でもすっかりお独り様の人生に慣れた矢先、西条という魅惑的すぎる誘惑が現れた。
西条は同性の目から見ても充分過ぎるほど魅力的な男だ。逞しい体躯に甘いマスク、そしてどんな人間でも虜にしてしまう温かな性格。それに彼の朗らかさは過去の自分が目指した理想の医者像そのもので、密かに羨望も抱いていた。これでは惹かれるなという方が無理だ。
この男になら性癖が知られても、初めてをくれてやってもいい。いや、寧ろ捧げたい。
こうして西条は欲に囚われた狡猾な指導医に、穢れた蟻地獄へと引き摺り込まれたというわけだ。
あれから三年。互いが三十と三十七になった今もなお、一つの生が終わりを告げる度にこの歪な営みは行われている。
両者にとって益となる愚策。
ゆえにこの虚無も、和臣にとっては何よりも大切な宝物だった。
「ふ、っ、ぁああっ」
不意に内襞の弾力を愉しんでいた西条の熱塊が、今までとは違う動きを始める。最奥へと滑り込む動きをより深く抉るものに変え、こちらに意識を集中しろと言わんばかりに襞全面を隈無く拡げたのだ。
当然、一瞬で西条から与えられる快楽に染まり上がった和臣は、高い声を上げながら突き上げられる動きに腰を揺らす。
が、西条の「俺だけを構え」攻撃はそれだけで終わらなかった。
すでに知り尽くされた快楽の秘芽を、さながら動物の交尾のごとく激しい抽挿で集中的に狙い、突き続ける。
「ゃあっ、あっ、く、あぁっ」
和臣は手術台の上で執刀を待つ患者のように、無防備な状態で揺さぶられながら嬌声を上げ続けるしかできなかった。
――――だ、め、くるっ。
十回ほど強い攻めが連続した時、ぶるりと腰の奥が震えた。その瞬間。
「ん、ああぁぁっ!」
下腹部が渦を巻くように震え、そのさらに奥から灼熱の雫が湧き上がった。
シーツに擦られていた背が電気ショックを受けたように大きく跳ね、そのまま再び白の上に落ちる。
下半身は余すことなく痙攣し、震えた場所から徐々に絶頂が全身に広がった。
今すぐ気を失ってもいいと思えるほどの甘美な快楽ーーーーしかし。
頂へと登ったのは和臣だけで、未だ内襞の中にいる西条はまだ欲の発散を終えていない。だからか和臣が先に爆ぜた際、一度腰の動きを止めてはくれたものの、すぐに強い律動を再開させた。
「っ、ぁっ、待っ、イっ、たばっ、か」
西条の気持ちは男としてよく分かるが、快楽を手に入れたばかりの中は酷く敏感になっていて、少し動かれるだけでも神経を直に触られたみたいに痺れる。
気が狂いそうな快楽で、息が止まりそうだった。
その時。
「あ、あ、ああっ、っぁっ」
不意にドクン、と華肛の中で楔が大きくうねる。
「ああぁっ!」
瞬間、和臣の媚肉の中で、確かな質量のある熱が跳ねた。すぐに西条が果てたのだと気づき、続く熱の放射を待つ。が、いくら待っても和臣の中で爆ぜたはずの熱が奥に広がらない。
ーーああ、そうだった。
西条とする時は、いつもスキンをしているのだった。
勢いよく飛び出した西条の遺伝子は、我が国が誇る高品質の避妊具によって和臣の粘膜に吸収される前にその役目を終えた。
また今日も無駄にしてしまった。
襞の中で収縮する雄の動きを感じながら、和臣は胸中にぽっかり穴が空くような虚しさを募らせた。
別に直接中へ出されても妊娠なんてしないのに毎回スキンを使っているのは、医療従事者として当然の自衛だ。それは重々理解しているのだが、本当は西条の熱をすべてで感じたい気持ちでいっぱいだった。
「東、宮……せんせ……」
ゆっくりと中から出ていった西条が、快感の余韻を揺れる呼吸で表しながら和臣の名を呼んだ。
「ん……?」
「ごめん……なさい……お、れ……っ……」
声を上擦らせ、鼻を啜りながら謝罪の言葉を続ける。けれどその目はこちらとは合っておらず、ただ和臣が自身の腹の上に吐き出した白濁をじっと見つめていた。
――まだ心は岩戸から出てきていない、か。
西条自身が勝手に作り出した罪の檻には、鍵なんて一切かかっていない。いつでも自由に出入りできる場所なのに、今の西条には凶悪犯を収監する牢獄と同じだ。
「とうぐ……せ……ん、せ……」
蚊が鳴くように名を呼ぶ西条の頭が、ゆっくりと和臣の腹へと降りてくる。そして唇が肌に触れると、震える合わさりを開いて皮膚に舌を這わせた。
「ん……」
親猫が子の毛繕いをするかのように、はたまた子猫がミルクを飲むように、和臣の肌に沿って懸命に舌を動かす。西条がそうして舐めているのは、和臣が今さっき吐き出した青臭い粘液だ。
西条はセックスが終わった後、必ず謝りながら和臣の身体に付着した精液や汗を舐め、綺麗に清める。一つ一つ、丁寧に。そして一つも残さずに。
それはまるで贖罪行為のように見えた。
そんなことをする必要なんてない。オレの精液なんて汚いからやめろ。毎度そう言ってきかせているが、西条の耳には届かない。こうなってしまったら、あとはもう気が済むまで好きにさせるしかないのだ。
和臣はやるせなさを感じながら全身の力を抜き、腕も足も全部、シーツの波へと沈ませる。
そうして、自分もまた重苦しい罪悪感と戦うのだ。
西条の弱みを利用して欲望を満たすなんて、医師である前に人間として最低だ。きっといつか自分は重たい罰を受けるだろう、いや絶対に受けなくてはならない。
「な……さい、ご……め…………なさ……」
西条の汗が、涙に混ざって和臣の鳩尾の上へと落ちる。それは熱くも冷たくもなかったが、まるで鉄の塊を落されたみたいに内臓が押し潰されて、ぐっ、と痛んだ。
「謝るな、西条」
「先生……」
穢れを清め終えた西条の逞しい腕が、和臣の身体を柔らかく包み込んでくる。
「先生……どこにも……いかないで……」
切ない懇願とともに髪に、頬に、全身に柔らかな口づけが贈られる。
まるで壊れ物を扱うかのように、優しく、優しく。
「大丈夫だ、オレはどこにもいかない」
「ちゃん……と、強く……な……」
「焦らなくていい」
重なっているようでまったく噛み合っていない会話を続けながら、和臣はそっと願う。
――焦らないでくれ。
できることなら、このまま一生弱さを克服してくれるな。無理と分かっていながらも、欲張りな心が西条の温もりを失いたくないと叫ぶ。
この関係はいつか必ず終わりを迎える。西条が医師として成長してしまえば、指導医はお役御免になるのは必至であるし、元より異性愛者で、大学時代に恋人がいたこともあるこの男が、女性の魅力を思い出してしまえば、和臣なんてあっという間にお払い箱だ。
それを重々理解しているからこそ、一日、一分、一秒でも長く、西条には弱いままでいて欲しい。
せめて、いつか来るだろう別離の日に、和臣が笑って送り出せるようになるまで。
精を吐き出した後の虚脱の中、和臣は曇天色しか見えない未来を想像しながら身勝手にそう願いながら、静かに西条の背を撫でた。
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