第4−3話:もう一つの関係③
悲しみを受け止めきれないなら、別の形で吐き出させてやればいい。
それが、今この光景だ。
「んっ……ぃぁっ、くっ……や」
今日、一人の少年を見送った。
その子は生まれつき心臓が弱く、何度も手術や入退院を繰り返してきたものの回復が見込めず、残された希望は海外での心臓移植のみという難しい状況に追い込まれていた。
少年の両親は我が息子を助けるため、様々な批判で傷つきながらも募金活動を始めていたのだが、今朝、突然急変してしまってーーーー。
今日一日、どのスタッフも笑顔を作ることが難しそうだった。勿論、和臣だって医師として平然とした態度を取りながらも、ふと気づくと少年のことばかり思い出してしまって、なかなか仕事が手につかなかった。
そう、患者の死を悲しいと思うのは、誰だって一緒だ。
しかし、それでも。どれだけ辛くても、和臣たちは他の患者のためにいつもどおりの顔をしなければいけない。非情と罵られようが気持ちを切り替えて、別の患者のことを優先しなければいけない。それが他人の命を預かる者の責務だからだ。
けれど、西条はそれができない。
今日も命の灯火が消えてしまった少年の死亡確認を終えた瞬間に西条の顔から笑顔が消え、そして感情が消えた。
小児科の同僚たちは西条の弱点を知っているので無理に話しかけることはしなかったが、和臣はすぐさま医師用のロッカーへ連れて行くと、
『今夜、必ずオレの部屋に来い。必ずだ。来なかったら明日から現場には立たせないからな』
と、視点の合わない西条を半ば踊る形で念を押した。
その理由は当然、無の世界の住人と化した西条を、小児科医に戻すためだ。
「っ、くっ……は、あ、ぁっぁっ!」
別の思考に囚われていたことを咎めるかのように、西条が突如腰をより強く打ちつけてくる。その度に内臓が胃の方へと押し上げられ、弱い吐き気に見舞われた。
「さ、いじょっ、待っ……ぁああっ」
今の西条に待て、は通じない。せめて呼吸を整えるタイミングをくれと頼んでも、聞き届けられたことはこれまで一度だってなかった。
でも、これでいいのだ。
これが西条の心を支える唯一の手段なのだから。
この方法を思いついたのは、今から三年前。小児科医として専門医登録を終えた西条が、続く後期臨床研修で初めて幼い患者の死に触れた日の夜だった。
取り乱しすぎてどうしようも手がつかなくなった西条をこの部屋に連れ帰り、どうしたものかと考えた時、不意に大学時代、心理学の講義で習った知識が頭を過ぎったのだ。
人間という生き物は強すぎる負の感情に囚われても、感情のピークさえ過ぎてしまえば徐々に気持ちは落ち着き、情動の波から抜け出すことができる。それはつまり、一番心が掻き乱れている時に別の衝動を与えてしまえば、窮地を凌ぐことができるということ。簡単に言ってしまえばただの現実逃避術だ。
だが和臣は一か八か、賭けてみることにした。
無に囚われている西条を言葉巧みに誘導し、ベッドへと誘った。そして無と戸惑いの狭間で動けなくなった西条に跨って、彼に自分を犯させたのだ。
悲しみを、セックスに溺れさせることで忘れさせるなんて愚かだと、誰もが思うだろう。
でも、この関係のおかげで西条は今も小児科医を続けられている。
だから間違いではない。
それにーーーー。
そこまでを思い出して、ふと、和臣は西条に悟られない程度の自嘲を浮かべた。
ーー西条を助けるため? ハッ、そんなの大嘘だ。
自分はとんだ偽善者だ。
頭の中で「西条のため」「自分は指導医だから助けて当然だ」とどれだけ繰り返し唱えたところで、やはり自分の中にある本心は騙せない。
ーーこの関係は、すべて自分のためだ。
決して西条を同情したわけでも、指導医として尊い自己犠牲を払ったわけでもない。
確かにきっかけは西条だった。だが初めてこの手段を思いついた時、和臣の脳裏には別の思惑が浮かんでいたのだ。
<そうだ。西条の弱さに付けこんで、自分の欲を叶えてしまえばいい。>
そう、和臣は同性愛者だった。
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