7 問題児の実態

 結構な距離を走り抜けてようやく道にたどり着くと、煙のような案内役は、まさに煙のようにふっと立ち消えた。代わりに白い欠片が視界を掠める。


「……雪?」


 手のひらをかざしてみるが、雪は肌に触れた途端に無くなる。水滴も残らない。

 レオの手元を覗き込んだエリアムが、確かめるように地面に積もる雪を無造作に両手ですくう。


「積もったのは触れますけど——あ、でも消えて戻るな。冷たくもない」

「おい、勝手にうろうろして離れるなよ。ここではお前が俺を守るんだぞ」

「そう言われると気持ちが盛り下がりますね」

「仕事だろ、割り切れ」


 問題児を視界の端に捉えたまま、周囲を見渡す。


 道の先には街があった。

 街並みはおそらく古く、この道はおそらく目抜き通りなのだろう。全てが「おそらく」なのは、確信できるほど詳細ではないからだ。


 朧げな記憶を拙い画力で描き起こしたような奇妙な風景の中で、雪だけが現実感を伴って街の中に降り積もる。


 案内役はもうこない。通りはもちろん無人だが、どこからともなく人の声が聞こえる気がする。ざわざわとしているが、それが何を言っているかはわからない。


「夢の中みたいな場所ですねえ」

「悪いほうのな」


 幽世かくりよでは地上のように亡霊の気配は追えない。においが強すぎて鼻が利かなくなる感覚に近い。

 エリアムを先に行かせながら、目と勘を頼りにらくがきのような街を歩く。


 どのくらい歩いただろうか。

 雪にぼやけた色彩の中で、画布の切れ目のように暗い路地が目に入った。妙に気になって、前を歩く背中に言う。


「おい、そこって入れるか?」

「え? あぁはい、確かめてみます」


 レオの示した方を見たエリアムは、言うが早いかハンマーを路地に向けてぶん投げる。


「えっ……?」


 前触れのない行動に、喉から間抜けな声が出た。

 白い風景の中、赤く光るハンマーが回転しながらエリアムの手に戻るまでをしっかりと見届けてから、ぎょっとする。


「お前、な、なんで投げて」

「え? だって、先輩が確かめろって」

「見てみろとかそういう意味だろ、破壊しろって言ってんじゃねえんだよ雑すぎるだろ! 未帰還者でもいたらどうするつもりだ!」

「えー? 一緒に落ちたわけでもないし、そんな居るもんじゃないでしょう、落ちたままの人なんて」

「たまにはいるんだよ!」

「はいはい、以後気を付けます。とりあえず今のは手応えもなかったし、進む道はあるみたいですね。行ってみます?」

「……行く、けど、な! もう少し丁寧に生きろよお前!」

「はいはい、了解」


 言ったそばから雑な返事をよこすエリアムを蹴り飛ばして路地へ進ませる。

 路地の中は不思議とあまり暗くなかった。明るくはないが、目を凝らせば壁のひび割れまで見える。ふと思い立って指で触れれば、ざらりとした石の感触も伝わった。


「……作りが細かくなってきたな。警戒しろよ」

「了解です」


 そうしてしばらく細い路地を進むと、やがて道幅が開け、街灯がぽつんと一本だけ建つ三叉路に辿り着いた。

 両方の道の先にはどちらにも、隙間なく色とりどりの建物が立ち並んでいる。


「どっちに行きます?」

「右。作り込まれてる」

「緊張しますねぇ」

「ハンマー投げるなよ」


 言葉とは裏腹に、エリアムの足取りに緊張感はない。本当に神経が太い。


(むしろないのか? 無神経だし)


 どうでもいいことを考えながら道を進む。奥に歩むごとに鮮明になる景色はもう、現実と区別がつかない。


 街の姿が顕になるにつれ、建物の特徴が目に付くようになった。両脇にそびえる建物は、一階部分に例外なく大きな飾り棚のような窓がある。全て無人に見えるが、透明なガラス窓は中の何かを見せつけるように明るい。カーテンの引かれた窓の隙間からは、揺れる暖色の光が漏れていた。


 怪しげな気配を帯びてきた建物に何となく気詰まりになり、レオは前の男にぽつりと問う。


「これって……」

「飾り窓ですね」

「飾り窓——ってつまり……」

「娼館ですね。北方国ノースには今もありますよ、この形式」


 振り返った男のよく知ったような口調に、まじまじと顔を見てしまう。

 物言いたげなレオに気付いたのか、エリアムは「違いますよ」と肩をすくめて笑った。


「貧乏だろうと古い貴族は付き合いもあるもので、こういう場所を貸し切ってパーティーとかする悪趣味なお歴々のお誘いを受けることもあるんです。そういう人ほどお金持ちなわけで、よくそういう会合には紛れ込んで、稼がせてもらいました」

「……結婚詐欺でか?」

「賭博ですよ。お歴々が楽しんでる間のご婦人方の暇潰しのお相手に、僕みたいにかわいい子供はちょうどいいでしょ。まあ、巻き上げてはいましたけど、大抵のご婦人はお小遣いをくれてるような感覚だったんじゃないかな」


 エリアムは予科に十六で入隊しているから、それ以前の話だろう。かわいいかはともかくとして、たしかに子供だ。


 鈍く光るハンマーを子供じみた仕草でぶらぶらと揺らし歩きながら、エリアムは続ける。


「中には悪い大人もいるもので、誘われたりはしましたけどね。穏便にかわすために乗ったふりをしたりはしたから、結婚詐欺とか言われるようになったのかな? 予科にも知った顔はいましたし、僕、男には嫌われますし」


 なんでかなぁと首を捻る。性格が悪いという自覚はないらしい。


「まあでも、実際の僕は、一線はちゃんと守っていましたよ。売り時は間違えないようにって」

「売り時……?」

「目当ての買主がいたんです。どうせ若い燕男の愛人を飼うなら、何にも知らない雛のほうが高く買いたくなるだろうなって、声をかけてくるのを待ってた」

「雛もなにも……その時、お前、まだ子供だろ?」


 北方国ノースの貴族は戦前とあまり体制が変わらず、結婚も早いと聞いたことはあるが、それにしたって愛人だのなんだのという爛れた火遊びには早すぎるだろうとレオの感覚では思う。その年の頃の自分はどうだったかと思い返せば、軍都のパン屋の娘をかわいいなと思っていたら数ヶ月後に恋人と手を繋いで歩いているのを見かけてショックを受けた、という程度の子供らしい恋心くらいしか思い当たるものがない。


「子供が身売りを考えるような世界もあるってことですよ。ここもそうだったんでしょうね?」


 無数の飾り窓を背に手を広げ、レオを振り向いたエリアムはことさら無邪気に笑った。


 そうだった、と過去形で言っているということは、エリアムも気付いているのだろう。この場所が過去を模して造られていることに。


 ——亡霊が何なのか、正確には解明されていない。彼らが口を利くことはないからだ。


 ただ、過去の事例から、〝人だったもの〟の思念の集合体だろうとは予測されている。


 穴は、人が死んだ場所に出現することが多い。ありふれた死ならできかけで終わるが、そこに怒りや憎しみがあると、人を落とすほどに大きな穴になる。


 同じような人間を呼び、境界をめちゃくちゃにして取り込んで、思念は大きく成長し——やがて〝亡霊〟となる。


「人の恨みの成れの果てが亡霊だとしたら、ここの亡霊はどんな恨みを持っているんでしょうね」

「……俺よりお前の方が、そいつには共感できそうだな」


 どう返すのが正解かわからず、皮肉じみた返答をしてしまったレオに、エリアムはしかし、心の底から不思議そうな顔をした。


「なんでですか? 僕は誰にも恨みなんてないですよ」

「……は?」

「人並みにむかつくことはありますけど、そこまで深く物思うことはあんまり。だから共感とかできないんじゃないかな」

「え……?」


 今の話の流れからしてこの反応は妙だろう。しかし嘘にしては雑すぎるし、何より理由がない。


 きょとんと言ってのける様と何も考えてなさそうな深みのない声に首を傾げたレオは、しばらくして唐突に思い当たった。


(……もしかして、こいつ——ただのバカか?)


 考えてみれば、この男は最初から衝動的で直接的だった。

 言い換えれば、衝動的で直接的なだけだった。


 思わせぶりな口調とお綺麗な顔でいちいち深読みさせてくるが、言動を思い返してみれば、発言は無神経で自己中で、腹が減ったら機嫌を損ね、食えそうなものは生で食い、賭博は習性で、何度言い聞かせても聞かないのは頭が悪いからなのではないか。


「……あぁそっか。バカなのか、お前。なるほど」


 深く納得し、憑き物が落ちたような心地でレオは何度も頷く。


「えぇ? どういうまとめと納得ですか、それ?」

「恨みつらみも飯食ったら忘れるんだろうな、バカだから」

「そんな健全な悪口は初めて言われました」


 不満そうな声に、ここ数日で初めて笑いたい気持ちになった、その時だった。


「——ねぇ、そこの軍人さん。ちょっと私と遊ばない?」


 白い雪でけぶる世界に、唐突に鮮明な声が響いた。

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