11 眠る場所

 亡霊の腹の中には、未だエリアムのハンマーがあった。焼けた石を水に突っ込んだ時のように、ハンマーの周囲に気泡が見える。体のうちを焼かれているはずの亡霊は苦しげな顔すらしていない。苦しいのなんて当然なんだと言うように。


 亡霊は静かにレオに近付いてくる。攻撃を仕掛けてくる様子はない。

 誘うように右手を伸ばすと、しんと冷えた細い指に握られる感触がした。ふっと視界が白くなり、気付けば亡霊に手を引かれる形で、街を見下ろすように隣に立っていた。レオを見つめる白い瞳に問いかける。


「あんたたちは、下の男は普通に取り込もうとしてるよな。なのに、俺から手を引いたのはどうしてだ?」

「……あなたは違ったから。私たちとも、私たちが知ってる誰とも違ったから」


 同じような位置に並ぶと、やはり彼女たちはレオより幼い。

 肩までしかない背丈の幼い亡霊は、拙い言葉でレオの問いに答えようとする。


「全然違ったから、あなたは私たちにはなれないって思ったから……だから、やめたの」

「そういう場合はどうするんだ」

「どうするのかしら。わからない。そういう記憶は、誰にもないの」


 戸惑った様子に、聞き方を変える。


「あんた達は、俺に何をしてほしいんだ?」

「わからないわ。わからないの。……先のことは、なにも」


 ゆるく頭をふった少女の言葉に、レオは苦い気持ちで息を吐く。


(……亡霊は、死人だ。死人に未来はない、当たり前だ。でも、目の当たりにするときついな)


 やり辛い、というのが正直な気持ちだった。

 今までレオが出会った亡霊は、誰も明確な言葉を発さなかった。だからこそ人間とは違う〝亡霊〟という存在だと割り切れたのだ。それなのに、この少女たちの亡霊は、どういうわけか言葉を覚え——思い出し、生きた感情に近付いている。生きた〝人間〟に。


 全くもってやり辛い。人間のような彼女たちには、それでも悲しい過去しかない。


(今さら心を取り戻したところで、俺は何もしてやれない)


 囚われていた部屋の中で彼女たちに何を言ったかは覚えていない。だが、彼女たちはおそらく異物であるレオに、記憶にはない慰めを望んでいる。生者たるレオに死者の過去は贖えないのに、彼女たちはそれを知らない。


 亡霊となってしまった以上、救いと呼べる未来はないのだ。

 その事実を知らない少女たちに、少なからず同情を寄せてしまう。


(でも、それでもこの子たちは、死人だ)


 生きている人間を、死人に差し出すわけにはいかない。


 最後に一度、繋がれた手を強く握った。不思議そうにこちらを見上げた亡霊に告げる。


「あそこに這いつくばってるのは、一応は俺の相棒だ。いちいち腹が立つ野郎だが、あんた達にくれてやるわけにはいかない。俺も、あんた達と一緒にはいられない」

「……どうして?」

「まだ生きてるから」


 そっと振り解いた指を、亡霊の腹に突き立てる。雪像のような体はレオをあっさり飲み込んだ。


 亡霊の体内は、外と同じく白かった。視界が塞がれるかと思ったが、レオの妙な目のせいか、目当てのものはきちんと見える。積もった雪をかくように進み、亡霊の腹に取り込まれてなお鈍く光るハンマーの柄を、覚悟を決めて左手で握った。


「——……ッ‼︎」


 熱い。痛い。皮膚の焼けるにおいがする。それでも掴む。強く握り込んで本質を探り知る。

 できる、と思う。これは同じものだ。エリアムの中にあった、おそらくは、生きた人間の思いの形だ。


 閉じ込められる不安はあったが、武器の熱のおかげか道は開けた。ハンマーで掻き分けるようにして、亡霊の腹から顔を出す。ぶはっと息を吐いた途端に、下から咎める声が聞こえた。


「生で掴むって、そこは無策なんですか⁉︎ やっぱ先輩バカなんじゃ」

「あぁくそ、うるせぇお前のせいだろ‼︎ なんで柄まで熱いんだよ、食った飯全部ここに吸われてんのか‼︎」


 痛みを叫びで誤魔化して、爛れ始めた手のひらに全体重をかけた。ずるずるとやけに生々しい感触を伴って、亡霊の腹からハンマーが抜ける。反動で体が宙に放り出された。


(これ遠距離でも効いてたよな、だったら——)


 ふと思い立ち、空中で半回転してハンマーの頭を下にする。エリアムの元へ戻ろうとするハンマーに導かれるように、凍りついている背中目掛けて落ち込んだ。熱と衝撃で上半身の氷が割れる。ついでに落下の勢いも殺せたので、着地も無事に成功した。


「ぐぇっ、ちょっと先輩、ハンマー振りかぶって人の上に落ちるって雑すぎ——いやそれより、手、怖いことになってるんじゃ」

「ほら待たせたな、お前の得物だ」


 這いつくばったエリアムに見せつけるように顔の横に鎚頭を振り下ろす。その衝撃でめちゃくちゃになった皮膚に止めが刺された気がしたが、努めて意識から外す。


「取り戻してくれたのはありがたいですけど、まだ腕しか動かないですよ。何すればいいんですか」

「お前は持つだけでいい。あとは俺がやる」

「はぁ? 先輩に使えるわけないでしょ、すでに手ぐずぐずじゃないですか。頭大丈夫ですか? 亡霊化してます?」

「うるっせぇバカ! すげぇ我慢してるけどめちゃくちゃ痛ぇんだよ、いいから黙って速やかに俺に協力しろ!」

「協力」


 間抜けに丸まった目を睨む。やはりバカだ、察しが悪い。


「相棒の言うこときいて良い子にしとけってことだ、問題児!」


 返事は聞かずに、爛れて張り付いた指に最後の力を込める。空いた右手でエリアムの手首を掴んで柄の上を握らせる。上空の亡霊は動かない。ただ静かにレオを見下ろしている。


(あと少しだ)


 白い少女たちに胸中で呟いて、握り込んだ両方の手のひらに力を通す。ハンマーの光が増した。大丈夫だ、きっとできる。


(俺はこれを作り変えることができる)


 エリアムこいつが許しさえすれば、きっと。


 力の源を探る。武器のおかげか、さっきよりも明確に力の流れが追える。追いかけた先に、手応えがあった。


(よし、見つけた!)


 触れると、栓を抜いたようにどっと駆け巡るものがある。

 脈動がある。熱がある。痛みか熱かわからない、熱湯のような力の奔流が両手を介して身体中を巡る。奥歯を強く噛んで衝撃を堪え、武器の元へ送り出す。


(今度は流れた、これで作れる!)


 亡霊の力を操作し使う者。亡霊を打ち砕く武器を生み出し倒す者。


 発現の仕方こそ違うが、両者の力の源はきっと、人としての思念の強さだ。人の感情の成れの果てである亡霊と、元を辿れば同じもの。同じものだから干渉し、倒すことができる。違う世界のものならば、触れ合うことすらできないはずだ。


 死んだ人間の記憶に、生きた人間の思いをぶつけて壊す。亡霊を討伐するというのはつまり、そういうことなのだろう。


 ——だったら、最後に少しだけならば、記憶にない未来を見せられるのではないか。


 エリアムの武器を作り変えながら、僅かな希望に縋るように思う。


「え、ちょっと先輩、また目めちゃくちゃ光ってますし——なんか僕、今度は吸われてませんか⁉︎」

「うるせぇ、あぁくそ熱いな、いってぇ、くそ、熱い! バカ! 死ね!」

「八つ当たりですよね、それ! それでこれ、どうするんですか⁉︎」

「元のハンマーじゃまた取り込まれる! だったら方法は一つしかないだろ!」


 赤い光はそのままに、大きく形を変えつつあるハンマーだったものの先端を視線で示して問うエリアムに、レオはきっぱりと答える。


「でかくしてぶつける!」

「え、あ——あたまわるそう……」

「てめぇにだけは言われたくねえぞそれ!」


 灰色の空からは、まだ雪が降っている。

 膨れ上がった武器を見てなお、まるで見守るようにこちらを見下ろす亡霊を——少女たちを見つめて思う。しんしんと降る雪は彼女たちにしか積もらない。それは記憶で、いつかの現実だったのだろう。


(そうだな。寒いのはもう嫌だよな)


 せっかくこんなに熱いんだから、何か、暖められるものがいい。

 過去には干渉できないが、最後に眠る場所くらいはせめて、暖かい日差しの中にしてやりたい。


 柄の先にできあがった赤い球体に祈りを込めて、レオは叫んだ。


「ぶん投げろ、エリアム!」

「——よくわかんないですけど、わかりました!」

「お前にしてはいい返事だ。——やれ‼︎」


 レオが柄から指を引き剥がすと同時に、氷の欠片を撒き散らしながら持ち上げた腕を、エリアムは大きく振りかぶった。


 赤く輝いた球体が、亡霊の少女たちの頭上へ届く。


 不思議そうにそれを見上げた彼女たちの視線の先で、ふくらんだ球体はガラスが砕けるような高い音と共に弾け飛ぶ。破片はやがて金色の光となって、雪にまみれた少女たちに降り注いだ。


 雪が、溶ける。


「……お日様の光みたい」


 亡霊は——亡霊だった少女たちの記憶は、降り注ぐ光を浴びて、そっと小さく笑って言った。


「あったかくて――眠くなるわね」





******

 光に溶けるように消えた少女たちが白い塵になるのを見届けてから、レオはその場を立ち上がった。


 左手の存在は忘れることにして、右手でホルダーを漁っていると、横を通り過ぎるものがある。背後でパシンと受け止める音がしたので、投げた武器が戻ったのだと知った。


 形状をハンマーに戻した武器をぶら下げて、氷から解放されたエリアムはなんの感慨もなさそうに、消えゆく雪雲を見ながら言った。


「ようやく晴れましたね……っていうのも違うか。白くなりましたね?」

「雪も消えたし、街も消えるな。早いとこ帰らないと」

「外に帰るまでが討伐です、って予科でしつこく習いましたもんねぇ」

「そうだ。が、だ。よく覚えとけよ、問題児」

「はい、了解」


 わかっているのかいないのか、返事は軽い。

 へらりと笑ったエリアムを睨みつつ、取り出した小瓶を平らになった地面に並べて蓋を開いた。やがて亡霊だった白い塵が浮き上がり、柔らかい風と共に赤い瓶に吸い込まれる。


「アンデルセン班か。また仕事が増えるって文句言われるな」

「赤い髪の班長さんのとこですね。頭の軽そうな」

「お前にだけは言われたくないだろうな、班長も……」


 瓶をホルダーに戻し入れると、ようやく肩の力が抜けた。大きく息を吐いてから、ただの白になった空を見上げる。


「……さて。帰るか」

「道覚えてます?」

「ぎりぎりな」


 帰路を頭に浮かべ、下に向けて円を描くように指を回す。白い地面が切り取られ、扉と呼ばれる外界への穴が現れた。


「行きも落ちるのに帰りも落ちるのって、よく考えると妙ですよね」

「妙って言ったら亡霊に関する全部が妙だろ。まあでも、この穴は特別妙だったな。報告書をどう書くか……」


 うんざり呟いたレオを、エリアムはなぜかじっと見つめていた。探るような奇妙な目つきに眉が寄る。


「なんだよ、じろじろ見るなよ気持ち悪い。さっさと入れ、閉じるぞ」

「……先輩、扉を開ける時には目、光りませんね?」

「いっつも光ってるみたいに言うな。外では穴があれば光るけど、中で光るのは——初めてか? たぶん」

「へぇ。妙な無茶をする時だけ、不思議な力の証拠みたいに光るんですね? 変なの」


 ぽっかりと開いた黒い穴に飛び降りたエリアムは、ついでのようにこう言い残した。


「先輩が一番、妙だったりして」

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