5 穴の出現

 ホルダーの中に三つの小瓶があるのを確認し直してから、荷物を置いたレオはさびれた宿の部屋を出た。


 老人の言うとおり、荷馬車は日暮前に河川沿いにある街に着いた。

 運河を備える街は、農村の多いこの近辺では比較的大きい物流の要だ。本来ここには最後に来るはずだったのだが、まるで逆回りになってしまったため、お使い任務に支障が出そうだ。


(全部巡回し終わってからゆっくり店を探して交渉しようと思ってたのに……予算ないから厳しいんだよな軍施設契約してくれる店探すの)


 この街に隊員を駐留させる予定があるらしく、借上げて使えそうな宿と食堂を探してこいとアシュトンから巡回ついでの命令を受けていたのに、問題児の起こした問題のせいで予定が狂った。


 巡回ルートのスタート地点だった街では、レオが部屋でうとうとしている間に宿の食堂兼酒場に降りていたエリアムが質の悪い連中と賭博に興じ始めたせいで大騒ぎになり、結果として夜中に農村まで逃げ、あげく荷馬車に身を潜めて移動する羽目になったのだ。討伐隊員が巡回任務中にチンピラ集団と騒ぎを起こしでもしたら、任務放棄とみなされジーンに殴られた上で降格されてもおかしくないというのに、あの問題児はわかっていない。


 だからこの数日はエリアムを野放しにしないように張り付いている。気の合わない問題児と常に顔を突き合わせているせいでレオの精神状態は悪くなる一方だが、監視以外の解決策が浮かばないのが現状だった。


(だって結局なんにも言うこと聞かねぇからなあのクソ坊ちゃんは……!)


 良い子にしろと言ったはずだが、おそらく奴とは「良い子」の概念自体がずれている。敬語を使えばいいと思っているのだろうか。逆に腹が立つ。


 街の裏路地にある、今夜の宿の一階は食堂になっていた。古びた外観のせいか立地のせいか客足は少ないが、石造りの建物はまだ頑強そうだ。


(いい具合に目抜き通りから外れてるし、飯も食えるし、お使いの要項は満たしてるけど金額の折り合いがつくか……なんか交渉の材料ねぇかな、弱味とか)


 軍人らしからぬことを考えながら階段を下り、食堂へ向かう。厨房に近い奥のテーブルで、問題児はすでに食事を始めていた。レオが荷物を置いて戻ってくるまで十分もかかっていないのに、全く堪え性がない。犬でももっとちゃんと待つ。


「適当に頼んじゃいましたよ。先輩は食べたいのつまんでください」

「また何人前も頼んでんじゃないだろうな」

「ちゃんと食べますから大丈夫ですよ。僕は先輩と違って食べ物粗末にしませんから」


 空になった皿を脇に退ける合間に言う。食べ方は貴族らしくお上品だが、エリアムは早食いの上に大食いだ。


 任務初日で、問題児が常習とする盗み食いの理由はわかった。燃費がめちゃくちゃに悪いのだ。特別に逞しくもない体のどこへ消えているかは知らないが、満腹まで食わせても、二時間もすれば腹が減ったと騒ぎ出す。予科の宿舎には食堂があり、三食きちんと提供されるが、三食以上はもちろんされない。嗜好品のように持ち込もうにも、これだけ量を食らう男であればきりがなく、部屋に食糧庫でも作らない限りは盗み食いでもするしかあるまい。


(いや、我慢しろよという話だが)


 向かいの椅子に座り、水でも飲むように飯を平らげるエリアムを見るとも無しに眺めていると、新しい料理を給仕係の娘が運んできた。茶色い巻き毛の、客の少ない食堂にはもったいないような可愛らしい少女だ。


「お待たせしましたー! ふふ、すごい食べっぷりですね。軍人さんって、みんなたくさん食べるんですか?」

「まぁ食う奴も多いけど、ここまで食うのは滅多にいないな」

「あ、やっぱりです? お兄さんはあんまり食べなそうかも」

「人並みには食うよ」


 食事に夢中なエリアムの代わりに料理を受け取る。明るく笑って礼を言い、娘は厨房の方へ去っていった。

 娘の笑顔に僅かに癒された心地になったレオは、運ばれてきた料理皿から適当に野菜と肉の料理を選び取る。食えそうなもの以外をエリアムの皿に移していると、揶揄するような声がかけられた。


「なんか見栄はってませんでした? 先輩、普通に少食ですよね?」

「別に少食じゃない。好き嫌いが多いだけだ」

「あ、だからよく残すんだ。我儘ですねぇ」

「なんでも生で食うよりましだろ。大体、自分で作ればちゃんと残さないで食う」

「へぇ、料理するとか意外と家庭的なんですね。なんか引きました」

「なんでだよ! 予科も本部も食堂の飯まずいんだから作るしかねぇだろ!」


 むきになったレオの反論にエリアムは笑う。

 ある程度は腹が満たされたのか、機嫌は良くなったようだった。すぐに腹を減らす問題児は、腹が減ったと言い出すと機嫌が悪くなる。見た目には出さないものの、言葉に露骨に棘が出るのだ。そういうどうでもいい生態がわかってきてしまったことが何となく虚しい。


 逃避するようにエリアムから目を逸らして店内を見ると、ちょうど一人の客が入ってくるのが見えた。寂れた食堂に不似合いな、貴族の館の使用人のような風情の男だ。

 さっきの給仕の娘は、男を見つけるとはっとしたように肩を震わせる。男が視線で外を示すと、逡巡した気配の後で小さく頷いた。厨房にいる、母親だろう店主に配達を頼まれたと声をかけて、奥にある勝手口から外に出る。


「……なんだ、あれ」

「なんだも何も、そういうことじゃないですかね」

「そういう……って、つまり」

「地方の新興貴族が下町の女と遊ぶとか、北方国ノースじゃ特にめずらしくもないですよ。女所帯みたいだし、大方、地代を払えない代わりにーとかそんなんじゃないですか。あの様子だと親には内緒なのかな? そうなら健気なことですね」


 今回の巡回任務指定地域は北方国ノースの農村地帯で、そういえばエリアムは北方国ノースの貴族だ。レオより事情には詳しかろうが、告げられた内容を素直に受け入れられるかというとそうではない。


 眉を寄せたレオに、エリアムはなんてこともなさそうに続ける。


「思ったより優しいんですね? 同情するのは勝手ですけど、先輩に分かりやすく言えば、彼女がしてるのは〝商談〟ですよ。子供じゃないし、納得してやってるんだから邪魔しないで放っとくのが親切です」

「納得じゃなくて、諦めてるだけだろ。妹いるから嫌なんだよそういうの。——ああ、でも、そうか。どうせ商談なら俺とすればいいんじゃないか?」


 閃いて手を打つと、大げさに身を乗り出したエリアムは、青い目を据わらせて眉尻を下げ、心底呆れた表情を作った。


「いきなり何言ってんですか、妹のくだりどこ行ったんですか。いくら先輩の実家がこの店ごと彼女を買っても大丈夫なくらいお金持ちでも任務中ですよ?」

「お前にまっとうなこと言われると腹が立つな。そうじゃなくて、副隊長から店探せってお使いがあって……あぁでも借金嵩んでんなら無理なのか?」

「なにブツブツ言って——……ん? あれ、先輩、それ」

「うわっ、何だよ! 顔が近い!」


 唐突に近付いてきた顔から逃れようとするも、逆に頭を掴まれまじまじと覗き込まれる。


「先輩、よく見たら目——光ってません?」

「……!」


 振り払った腕をそのまま掴んで出口に走る。


「装備はそのままだな。行くぞ、走れ!」

「どうしたんですか、そんなに好みのタイプ——うわ、先輩、目! 暗いとこで見るとめちゃくちゃ光ってますよ、どうやってんですかそれ」

「このへんでもうすぐ穴が開く! そんなに光ってるなら深いぞ!」


 街灯のない暗い路地を、気配を追って走り抜けながら叫んだ。


「俺の目は、穴の予兆を感知すると光るんだよ!」


 探知者サーチャーの主な役割は三つある。

 一つ目はその名の通り、亡霊の穴の気配を探知することだ。

 嗅覚にも似た感覚でできかけの、あるいは開いたばかりの穴を探知することから、一部の狩猟者ハンターには猟犬などとも揶揄される。


「え、なんかみんなにおいがとか気配がとか言いません? 光るって物理的すぎてかっこ悪くないですか、しかも光ってる自覚なしって」

「うるせぇそこは個人差だ、他の奴らよりかなり事前に予兆を感じとるんだぞ俺の目は! しばらくすれば気配でもわかる! こっちだ!」


 しばらく走ってたどり着いたのは、街の中心から外れた河沿いにある小さな館だった。外観を見たエリアムが馬鹿にしたように言う。


「わかりやすく愛人用ですね。さっきの子が居たりして」

「おい、お前ら、ここに何の用——」

「中央軍だ、ほら緊急時立入許可証!」


 門番に何枚か常備している許可証を投げつけて中に踏み込む。穴の気配を追って中庭へ走ると、噴水の影に人影が見える。よりにもよって、輪郭の見え始めた穴に近い。


「お前ら、そこから退け! 早く!」

「え——お兄さんたち、さっきの……」

「うわ、ほんとに居た。引きの良さはダテじゃないんですね、先輩」

「あぁあ、もう! なんなんだ!」


 更に悪いことに、館の主らしい壮年の男の手前には、茶色い巻き毛の娘が佇んでいた。焦りか怒りか苛立ちかよくわからない気持ちで叫ぶ。


「き、貴様ら、軍人とはいえ夜間に人の館に踏み込むとは無礼な、軍人が来る心当たりなど」

「うるせぇ黙れそれどこじゃねえ!」


 わめく館の主に走った勢いのまま飛び蹴りを食らわせると、背後から文句が聞こえた。


「先輩、僕にはだめって言っときながら民間人ぶっ飛ばしてるじゃないですか」

「任務遂行中はいいんだよ!」

「あなたたち、どうしてここに……もしかしてお母さんにばれて……?」

「わあ健気」

「言ってる場合かバカ!」


 口を押さえて目を伏せた娘の足元で、穴がついにその輪郭を光らせた。娘にもやっと視認できたのだろう。黒く窪みかけた地面に大きな目を見開いた。叫びかけた娘の足元に手を突いて、落ちそうなそれを支える。


「うわぁ、開きかけを止めるってできるんだ。初めて見た」


 感心したような声をのんきに上げるエリアムをぎっと睨む。


 探知者サーチャーの二つ目の役割は、穴を操作することだ。

 主には狩猟者ハンターと共に乗り込めるほどに「広げる」ことで、広げることは探知者サーチャーであれば誰でもできるが、狭めるほうは難易度が高い。留めるのはもっと難しい。つまり娘を逃すため、穴を開かせないよう踏ん張っている今はかなりきつい状態だ。


「目もばっちばちに光ってますね。その明かりで本読めそう……」

「それどこじゃねえだろバカ! さっさとそのオヤジを避難させろ——あんたも早く逃げろ! 『穴』が開くぞ!」

「……ッ!」


 穴、と聞いた娘は弾かれたように門の方へと駆け出した。遠ざかる背中にほっと息を吐く。

 エリアムが面倒そうな仕草で呻く男の足を掴んで領域外に引き摺り、雑に放り投げた。一仕事終えたようにパンパンと手を叩く問題児に向かって叫ぶ。


「のんびりしてんじゃねえ、てめぇはさっさと来い!」

「あ、もう限界ですか? そんな長くは保たないんですね」

「うるせえ、相当がんばってんだぞこれでも! いいから急げ!」


 小走りにやってきたエリアムは、やっとレオの隣に立った。


「実戦だぞ。覚悟はいいな」

「はい、了解」


 へらりと笑って敬礼を作る。緊迫感のない緩んだ顔に、今更ながら不安になった。

 穴に入ってしまえば、狩猟者ハンターであるエリアムだけが頼りなわけだが、果たしてこの〝相棒〟で大丈夫なのだろうか。


(こいつに命を預ける覚悟は全然、できてないんだけどな……!)


 それでも何とかこいつを御して、二人で戻って来ねばならない。

 苦い諦めにも似た覚悟を以って、レオは穴を留めていた力を抜いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る