4 書斎の記述者
大陸中央軍亡霊記録管理課は、隊員には〝書斎〟の通称で呼ばれている。
「へぇ。なんで書斎なんですか?」
「書いたり読んだりさぼったりしてる場所だからだろ、たぶん」
レオの説明には微妙な顔をしていたエリアムだが、別棟にある記録管理課に至り、物々しい二重扉の先に広がっていた室内を見ると「あぁ……」と納得したような呆れたような声を出した。
書斎は全体的に薄暗く、光源は机上に置かれたランプと、天井付近にある明かり取りの窓しかない。決して屋根裏ではないが、屋根裏部屋のような雰囲気の部屋だ。
狭くも広くもない部屋には机が三つ、それぞれの縄張りを示すような微妙な距離感で置かれていた。
そして、机につく色とりどりの人物もまた、三人。
「血が足りないのです……人手も足りないのです……助けて……なんでうちの班こんな人少ないの、貧血に寝不足が重なって吐きそう、おえっ」
来客に気付いているのかいないのか、右端の鮮烈な赤毛の男が、ペンを持たない左手で口元を押さえる。
「ぜっっったいにここで吐くなよアンデルセン。吐いたら吐瀉物と一緒に穴に埋め直すからな。その上になんかの種をまいて花畑にしてやる、花を見るたびに思い出してやるから安心して眠れ」
えずいた赤毛を害虫を見るような目で睨めつけるのは、左端に座る海の底のような青い髪の男だ。整頓された机には、いくつかのインク壺と整った文字の書かれた紙が几帳面に並べてある。散らかった赤毛の机とは対照的だ。
アンデルセンと呼ばれた赤毛は、青髪の売り言葉にわかりやすく気色ばんだ。
「はぁー? 穴に埋めるとかできるのかよ、
「なるほど、アンデルセンからならさぞかし綺麗な花が咲くだろうねえ。グリムの発想は美しいね」
口論に口を挟んだのは、真ん中の机に座る、白く長い髪を持つ中性的な人物だった。とたんに黙った二人の視線を受けて、白髪はにっこりと華やかな笑みを浮かべる。
「でも吐かないでね、後始末大変だから。ほら、私の血わけてあげるから元気出しなよ、アンデルセン」
「わぁーさすが
アンデルセンは、弾むような足取りで白髪の差し出した不透明な瓶を受け取りに行く。
「アンデルセン、失礼だぞ。第一イソップさんは男だろうが。こんなに凹凸のな――、まっすぐな女がいるか」
「はーいわかってないこれだから童貞は! 世の中にはぺったりした女の子だっていますーグリム君みたいなガリな男がいるのと同じですー! ねぇイソップさん!」
「うーん、どっちだっけね。忘れちゃったな」
男にしては華奢だが女にしては薄っぺらく、女にしては落ち着いているが男にしては高い声。たしかにイソップは性別不詳だ。二十代半ばほどの外見のアンデルセンとグリムよりは幼く見えるが、書斎では一番の古株と聞いているので実際のところはわからない。きっと本人も言葉の通り、覚えてはいないのだろう。驚くことでもない。人間にはありえない髪の色の示す通り、〝帰還者〟はみな、大なり小なり歪んでいる。
「なんかうるっさいですね、この人たち。想像してた帰還者と違うなぁ」
「バカ、声がでかい!」
「だってこの人たちに用事があるんでしょう? くだらない喧嘩を見にきたわけじゃないし、さっさと済ませましょうよ。お腹すいたし」
空気を読まない——読めないではなく読まないのだとそろそろ気付いてきた——エリアムの声に、
皆を代表するように動いたのはイソップだった。羽ペンを置いて席を立ち、扉の前に立つレオとエリアムの元へ歩んでくる。
「やぁ、レオ。来ていたんだね。そちらの素直な彼は君の相棒かな? そうか、もう新人が入隊する時期なんだね」
「お騒がせして申し訳ありません、イソップ班長。本日付けで正式に討伐隊に配属されました。こいつも同じです」
「エリアム・ルイスです。よろしくお願いします、イソップ——班長?」
レオに倣って敬礼を作ったエリアムに安堵すると同時に、予科では書斎に関して突っ込んだ内容は習わないことに思い至った。帰還者の情報は中央軍の機密だ。軍内部で働いている帰還者がいるということは知っていても、どのような能力を以って職務についているかまでは知らないし、姿を見るのも初めてだろう。
説明を待っている気配にイソップを見ると、レオの意を察したように頷いて話者を引き受けてくれる。
「亡霊記録管理課には三つの班がある。アンデルセン班、グリム班、そして私のイソップ班。班員は奥にそれぞれ何名かいるが、君たち討伐隊との窓口は私たち班長だから、班の名で呼んでくれればいいよ。どうせ本当の名前は失くしてしまっているからね」
「へぇ。それって亡霊化が進んでるってことですよね。記憶とかも一切ないんですか? いきなり亡霊になったりとかしません? 怖いなぁ——って!」
脇腹に肘打ちを入れると、不満そうだが何とか黙った。しかし時すでに遅し、前方からは不快げな声がする。
「わぁすげぇ、稀に見る無神経なガキだ。嫌いだなぁああいうの」
「腹の底ではどいつもそう思ってるだろ。正直なだけいいんじゃないか」
「あのさグリム君、俺に反論したいだけだよね、それ。実はむかついてるよね? 紙ガリガリなってるし。やめてくんないそういうの?」
「お前こそ、初対面の男に毎回難癖つけるのは止めろ。レオのことも生意気なガキだって言ってただろ最初は。その能天気な面で人見知りか、見掛け倒し」
アンデルセンとグリムは問題児を忘れて喧嘩を始めてくれた。一方、話者であるイソップは無礼を気にした様子もなく笑う。
「帰還者から亡霊になった事例はない。人間に戻っていくことはあっても亡霊になることはないはずだから安心しなよ。〝生前の〟記憶については個人差が大きいね。——あの子たちみたいに、記憶は一切なくても仲が悪いことだけはしっかり覚えてるようなこともある」
視線を背後に向けて潜めた声で言うイソップに、エリアムは素直に目を丸くした。
「そっちの班長さん達は穴に落ちる前からの知り合いだったんですか?」
「たぶんね。同じ場所に同時に排出されていたのを発見されているから」
「なるほど。じゃあ、あなたは?」
「私は、君が言うところによる亡霊化が最も進んだ帰還者だろうね。体もかなり歪んでいるし、なんにも覚えていないから。まさに真っ白だ」
異形を見せつけるように両手を広げる。白い髪がはらりと揺れた。
「まあでも、どうやら自我は保てているからね。こうして仕事もできるというわけさ」
エリアムを促し、扉側の壁に備えられている棚へ向かったイソップは、
「なにか入ってますね。石——結晶? 白、赤、青……これって」
「気付いた? 私たちの血だよ。それ。変な色だけど」
故に軍は、穴から自然に排出された、あるいは助け出された人間を保護し、管理し、隔離する。もし身元が知れたとしても、家族にすら情報は秘匿される。生きているか死んでいるのか、それすらも知らされない。資質を持つ者以外は、「落ちたら終わり」なのだ。
(……もしかしたら兄貴も、あの扉の奥で血を抜かれてたりしてな)
そうだとしても、今のレオにそれを知る術はない。
知るためにもまずは仕事をして出世だと、瓶をもて遊ぶ問題児へ意識を戻す。
「実地訓練で討伐後の亡霊を閉じ込めるのに使ってただろ。見なかったか?」
「倒した後にカチャカチャやってるのは知ってましたけど、ちゃんと見るのは初めてですね。予科生は優先的に外に戻されますし」
「俺はよくやらされてたが——まあ、回収は基本的には
とはいえ必要な知識ではあるため、説明はしておかねばならない。
「亡霊は倒すと塵になるが、それを持ち帰って封じないと復活する。そこまでは知ってるな」
「この瓶に入れるんですよね。三つなのは?」
「亡霊によって〝作風〟に好みがあるらしいからね。選ばせてやるのさ。塵になった亡霊は、自分の物語を描かれたい
「三つのうちのどれかに勝手に入るってことですか」
イソップの言葉を情緒なく纏めたエリアムに呆れつつも、レオは頷く。
「そうだ。そうすると、もともと瓶にあった班長の血の結晶と混ざって、液体になる」
「その液体を、また私たちの血でのばしたものが〝インク〟。
「へぇえ。手間のかかることですねぇ。誰が考えたんですか? そんな封じ方」
感心しているのか馬鹿にしているのかわからない、間延びした声を出す。
「やり始めたのは帰還者だろうね。帰還者はなりかけだから、わかるんだよ。亡霊が満足して眠るようなやり方が」
「……〝物語〟にされたいってことですか?」
「記録ではなく、記憶に残りたいのかもね。心、と言い換えてもいい」
「ずいぶん感傷的ですね。僕ならぱっと消えたいけどな」
今度は完全に馬鹿にしている声だった。
レオが諌める前に、イソップが笑い混じりに答える。
「終わる時にならないと、本当のところはわからないよ。そんな時が来たら君だって思うかもしれない」
「忘れられたくないって? ……どうかな」
「世の中、お前みたいに人様に忘れてほしい悪事を働いてる奴ばっかじゃないってことだ」
エリアムの手から瓶を奪い、腰のホルダーにしまう。
用事は済んだので、これ以上余計なことを言わないうちに撤退を決める。
「お忙しいところありがとうございます。失礼しました。……主にこいつが」
「いいバディになってね。応援してるよ」
返事を敬礼でごまかして扉に向かう。
追ってくる厄介な男の気配には、まだ慣れそうになかった。
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