3 険悪な自己紹介

 執務室を出た廊下に、問題児の姿はなかった。


(……先に行きやがったのかよ)


 協調性のないことだ、と苦く思いながら、次の目的地である記録管理課のある別棟へ向かう。別棟へ繋がる渡り廊下の入口で、エリアムは外を見ながら待っていた。


「そういえば場所知らないなーって。予科の宿舎から移動したばっかりなんですよね。予科と本部は近いけど、見える風景は違うなぁ」


 視線を外に向けたまま、のんきな声で言う。


本部ここの周辺にだけは、穴は開かないんですよね? 湖の結界がどうとかって予科でやりました」


 一言の挨拶もなしに、聞きたいことだけ聞いてくる。目には本部を囲む湖面だけを映し、話しかけているくせにこちらを見もしない。


(マイペース……というより自己中なんだろうな、こいつ)


 背を向けて外を見つめるエリアムの元に歩みながら、レオは隠す気もなくなったため息を深々とついた。


 中央軍の本部はかつて神殿があったとされる湖の浮島に置かれており、東西南北にある跳ね橋から各国へ渡れるようになっている。

 神殿に対する信仰は無秩序戦争フーバーウォーよりずっと前から廃れていたらしいが、大陸の中央に位置するこの場所は、長きに渡ってどの国の所有にもならなかった。この湖を中心とした一帯の土地を手に入れようと争ったのが無秩序戦争フーバーウォーの発端といわれている。

 その割に、湖は戦場にならなかった。各々で潰し合った四方国はどこも、目当てだったこの場所まで辿り着けなかったからだ。それが聖域や結界とも呼ばれる所以だった。


 腕を伸ばせば届く距離まで近付いてから、レオは仕方なく質問に答えた。


「結界じみたものがあるの〝かも〟しれない、というだけで、本当に開かないかはわからない。開いたことがないだけだ」

「慎重な言い方ですねぇ」

「穴の原理も亡霊の出現理由も正確にはわかってない。穴が開くようになって五十年、俺達は未だにその場しのぎでしか奴らに対処できてないんだ。常に後手なんだから、油断は禁物だろ」

「後手は不利ですか。本当に?」


 やっと振り向いたと思ったら、いきなり手を差し出してくる。


(……ここで握手?)


 間の取り方が妙な奴だと思うが、拒否する理由も浮かばないため、差し出された手を握る。

 強く握り返してきた指は、そのままレオの腕を大きく引いた。上体が前に傾く。


「……っ⁉︎」


 バランスを崩したレオの懐に潜り込んだエリアムは、両手で足を掴みにかかった。


(崩すつもりかよ!)


 とっさに足を引いて手から逃れる。前のめりになったエリアムの肩を左手で押し退け、同時に右腕を振りかぶる。

 握ったレオの拳を見たエリアムは、なぜか小さく息を漏らして笑った。


「…………?」


 訝しく思い、顔面を殴ろうとした手が止まる。

 不思議そうに瞬いたエリアムは、やがてすっと体を引いてつまらなそうな顔をした。


「気が強いですね」

「……は?」

「ビビって殴ってくればいいのに、寸止めなんて可愛げがない」


 うんざり言われても意味がわからない。ただ、不快さだけが煙のようにもやもやと胸に湧き上がる。

 眉を寄せ、思い切り睨むレオにも、エリアムは少しも悪びれない。むしろこちらを咎めるように続ける。


「なんだこいつって顔してますけど、お返しですよ。傷付いたので」

「はぁ? 今初めて会って喋ってんじゃねぇか、俺がてめぇに何を」

「会ったことも喋ったこともない〝相棒〟を噂だけでクズ呼ばわりは良くないですよ、先輩」


 知ったように言いながら、エリアムは腹に手を当てて頭を下げる、貴族流の礼をとった。


「僕はエリアム・ルイスです。年は十八。北方国ノースの戦争前からある旧家の長男なんですけど、旧家は戦争の責任がーとかって名ばかりなんですよ。で、売る荘園も無くなった今はびっくりするほど貧乏なので、討伐隊に志願しました。知ってます? 北方国ノースでは貴族が軍に志願すると国から褒賞が出るんです。戦争が貴族の特権だった頃の名残ですね。なかなかおいしい額な上に、領地にかかる税もかなり免除されるようになるので、資質もあったしちょうどいいやって」


 四方国の男子はみな十五歳で『選別』を受ける。そこで討伐資質保持者と認定されると討伐隊への入隊が義務付けられるが、継ぐ家のある長男は免除されるのが慣例だ。もちろん、様々な理由から長男でも志願する者はいる。貴族の義務とか志とか、目の前のエリアムのように、経済的な事情がある者もめずらしくはない。


 べらべらと自己紹介したエリアムは「じゃあ次は先輩どうぞ」と水を向けてくる。しかし、すぐに「あぁでも」とまた一人で喋り始めた。


「先輩は予科でも有名だったんで、大まかなことはもう知ってるんですよね。レオ・アスター、アスター商会のご子息ですよね。普通なら軍役免除金を払っておしまいでしょうに、選別前に志願してまで軍に入った変人には、どんな志願理由があるんですか? 教えて下さいよ、バディになるんだし」

「資質に恵まれたなら、世のため人のために果たすべき義務があるだろ」


 貴族にはわかりやすかろう理屈で答えてやると、エリアムは唇を歪ませて笑った。


「嘘つきですねぇ」

「詐欺師に嘘つき呼ばわりされるとは心外だな」

「もしかして僕、嫌われてます?」

「好かれる要素があると思ってんのか?」


 これ以上話しても険悪になるだけだろう。

 会話を打ち切って歩き出したレオの背を、しかし声は追いかけてきた。


「お兄さん、が、いたんですよね?」


 わざとらしく言葉を区切って、はきはきと言う。

 思わず足を止めたレオの表情を伺うように、エリアムは前に回り込んだ。悪意など全くないというような無邪気な顔で、朗らかに続ける。


「八年前だったかな? うちの最後の荘園を手放した時の買い手が先輩のお父上だったんです。よく覚えてますよ。父の顔を立てて、わざわざ御当主自らうちに出向いて下さった。その時に聞きました。息子達が『穴』に落ちたと。次男だけが戻ったがひどく不安定だから、静かに療養させるために縁の薄い場所に土地を買いたいと、腹を割って話してくれた」

「……知ってたくせにわざわざ聞くって、素行に加えて性格も悪いんだな、お前。よくわかったよ」

「先輩が僕を信用する気持ちがないこともよくわかりました」


 うんざり答えると、人を食ったような返事が返ってくる。

 しらばっくれたその声に、レオはようやく自身の判断で思った。


(こいつ、本当にクソクズ野郎だな!)


「信用される要素がどこにあるんだ、クズ野郎」

「相棒は信じるもんでしょ。親不孝者」


 舌打ちで返事をし、前を塞ぐ体を腕で押し退けて歩みを再開する。苛立ちだけではない理由で胸中が荒れたのを悟られたくなかったからだ。


(親不孝か……適当だろうが、言い当てられると腹が立つな)


 エリアムは、静かに暮らせという父の思いを無下にして志願したことを言っているのだろうが、レオはそれとは別の意味で、自分が親不孝だと知っている。


 討伐隊に志願した最初の理由は確かに、兄を助けるためだった。


 しかし、亡霊の穴は前触れもなく開く。どこに繋がるかもでたらめだ。そんな穴の底から人探しなんて不可能だと、入隊してすぐレオは悟った。そして、幽世かくりよとも呼ばれる穴の底は、人が人のまま長く居られる世界ではない。兄がまだ幽世かくりよに残されているとしたら、もう人間ではないものになってしまっているだろう。運よく穴から排出され、地上へ帰還していたのだとしても——きっと既に〝兄〟ではない。


 今だって、兄を取り戻したい気持ちは強い。

 一番の望みはと問われれば、迷いなくそう答える。


 だが、現実を知ってなお無事を信じられるほど、レオは馬鹿でも無邪気でもなかった。だから、兄が消えて八年が経った今はもう、結末を知りたいという思いの方が強い。


 それが、今も兄の無事を信じる両親にとって残酷な結果であったとしても、レオは知りたい。兄の行く末を見届けたい。記憶の中の幽世かくりよに残したままにしておくことは、自分の何より許されざる罪だと、そう思う。


「……お前のことは大嫌いだが、俺は早く昇級したい」

「既に二階級どころか三階級特進してるのに、けっこう欲深いんですね」


 選別前に自らの資質を悟り、志願して入隊した者は二年の予科過程を修了した後に候補生として本隊に加わる。その長さや功績により、通常は五級から始まる入隊時の級が上がる。レオは二級候補と認定された。討伐者ハンター探知者サーチャー、二つの資質を一人で備え、故にいきなり一級だったというジーンの規格外さには比べられないが、滑り出しとしては上々だ。


 だが、まだ足りない。


「一級になれば士官待遇だ。管理局に〝帰還者〟の情報開示を要求できる。俺は兄貴の行方を知りたい。お前も出世は望むところだろ。——だから、協力しろ」

「協力」


 丸まった目を睨んで告げる。


「〝相棒〟の言うことを聞いて良い子にしろってことだ、問題児」


 胸襟を開けるような相手ではもちろんないが、どのみち事情は知られているのだ。だったらジーンの言う通り、せいぜい利用してやらねば損だろう。泣いても笑っても、当面はこのいけ好かない男だけがレオの〝相棒〟なのだから。


 レオの言葉に、問題児は黙ったままでにんまり笑った。初めて見せた楽しそうな顔だった。

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