2 配属初日

 大陸の四方国全てを壊滅状態に追い込んだ大規模戦争、無秩序戦争フーバーウォー

 勝者なき戦争とも呼ばれるこの戦乱により、大陸全土は文字通り〝めちゃくちゃフーバー〟になった。


 どの国も人口を半数以下に減らし、大陸は血と怨嗟に塗れた。

 死体と瓦礫に埋め尽くされた大地を、生き残った民らは一つの志のもとに必死に再建した。


 ——『二度と同じ過ちを犯さぬように』。


 たった一つの願いの元に国軍を破棄した四方国の武力は、協議の末に大陸中央軍に統括されることとなる。兵たちは出身を問わず、中央軍より各国に配備されるよう整えられた。


 それから百年以上の歳月を数えた今も、四方国は当時の誓いを忘れずにいる。おかげで今の大陸に戦乱の面影はない。もう、歴史以外で当時を知る者もいない。大陸は平和そのものだ。概ねは。


 ただ、戦後五十年を数える頃になってから、出現するようになったのだ。悲惨な過去を忘れるなとでも言うように。


 ——〝亡霊〟と呼ばれる者に繋がる、不可思議な『穴』が。





******

 大陸中央軍第一亡霊討伐隊二級隊員候補。

 それが、今日からのレオの肩書きだった。


 十三歳で予科生として討伐隊に入隊して約五年。

 正式入隊を許可される十八になり、晴れて討伐隊員に任命されたレオをわざわざ執務室に呼び出して、第一討伐隊長のナサニエル・ジーンはいつも通り無感情に言った。


「喜べ、レオ・アスター。ついにお前のバディが決定したぞ。復唱」

「復唱します。ついに俺のバディが決定しまし……復唱いりますか、これ?」

「お前のバディは悩んだぞ。入隊最低年齢の十三からここに居る奴は俺が知る限り、俺以外では初めてだからな。復唱」

「……復唱しなくても聞いてますからさっさと話を進めてください、ジーン隊長」


 ため息混じりにそう言えば、殴るでもなく素直に頷き「楽にしろ」と言ってくる。いつになく優しい。


 無表情ながらもどことなく浮かれた様子のジーンに嫌な予感を覚えつつ、レオは気をつけの姿勢を崩して手を後ろに組み直した。一連の動作の合間に、見慣れた隊長の姿を改めて観察する。大抵は厄介なことにしかならない彼の〝ご機嫌〟の理由を探ろうと思ったからだ。


 ジーンのまっすぐな黒髪と黒い瞳は、東方国イーストの国民の一般的な特徴だ。東方国イーストの女の絹糸のような黒髪は他国の男には受けがいいらしいが、どこから見ても男な彼の長髪の理由は単に、まめに散髪するのが面倒だからだと聞いた。


 切長の黒い目と、黒い髪に白い肌。すらりとした体躯に高い身長というジーンの容貌は見るからに女受けが良さそうだが、九割が男の討伐隊ではまるで意味を成さないものだ。他人事ながら、宝の持ち腐れをお気の毒にと思う。


(まぁ性格的につまんねぇから最終的にはどこでもモテないとは思うけど)


 レオも東方国イースト出身で、黒髪なのはジーンと同じだが、髪は短く、母が西方国ウエスト出身のため目の色は明るい琥珀色だ。レオには兄と妹がいるが、二人の髪の色は母に似て明るい。一方、顔立ちの方は、レオが一番母に似ている。短気で荒い気性は母譲りの女顔に不似合いだとよく言われるが、短気で荒い気性の方も母譲りなのでなんとも言えない。


 ジーンとレオの顔立ちはまるで似てはいないが、同じ東方国イースト出身者としてぱっと見の特徴と、予科歴の長さという経歴が似ているので、親類と勘違いされることもある。だが、十も歳上の彼とはれっきとした他人だ。レオの兄は他に居る。


「年齢的に予科の所属だったとはいえ、お前はもう三年も本隊の任務に探知者サーチャーとして加わっている候補生だ。とすればどの狩猟者ハンターと組ませても問題はないが、満を持しての本入隊だ。どうせなら面白い相棒と組ませてやりたいと思ってな」


 ジーンとは他人であるが、付き合いは長いし経歴も近い。

 公正な彼には贔屓をされたことこそないが、子供と呼べる年の頃から見知っていれば気心は嫌でも知れる。弟分と呼んでいいような部下の門出を前にして、彼なりの好意で祝ってくれているらしい。なるほど、今日のジーンの機嫌がいい理由がわかった。レオが原因とはありがたいことである。


 しかし、ジーンはわかっていない。彼の好意は大抵の場合、相手にとっての迷惑行為になることを。


(面白い……この人の面白いって、もしかして)


 嫌な予感に、後ろ手に組んだ手のひらに汗が浮く。

 こちらの緊張を知ってか知らずか、やけにゆったりした仕草で机上の指を組み替え、前に立つレオの目を見てジーンは言った。


「だから問題児と組ませることにした。どうだ、面白いだろう」

「…………」


 復唱は命じられなかったので、遠慮なく黙り込む。しかし胸中は大絶叫だ。


(面白いわけねぇだろつまんねぇよバカかよこの人! 問題児⁉︎ 五年も軍に尽くして良い子に待って、あてがわれた相棒が問題児って‼︎)


 堅物な見た目の通り、ジーンに洒落のセンスはない。本人はあると思っているらしいが、彼の「面白い」が面白かったことは、知り合ってから一度もなかった。


(……でもつまらないって言ったら殴られるからな。覆らないだろうし)


 諦念と共に質問を絞り出す。


「それで……問題児っていうのはどういう」

「エリアム・ルイス。お前と同じく本日付けで入隊が決まった男で、北方国ノースの旧家の出だ。狩猟者ハンターの資質が非常に高い。実地訓練でも指導役以上の活躍を見せたと報告を受けている」

「旧家――貴族の坊ちゃんってことですね。そういう奴が俺と合うとも思えませんが」


 東方国イーストは戦後より王政が廃止されている。王室も解体され貴族という階級も既になく、それらに代わって元首と議会が国を代表し動かしている。


 そんな東方国イーストの豪商の家に生まれたレオには、貴族の矜持とやらは理解しにくい。故に貴族というだけで敬うことはしないし、軍役免除金を払えないから仕方なくここにいるだけのくせに尊大に振る舞おうとする連中などは心から馬鹿にしている。


 彼らは彼らで、財力のある実家を持ちながら志願してここに居るレオにはなけなしのプライドが傷つけられるらしく、予科に入って間もない頃には売られた喧嘩を買う形の殴り合いをしたこともあった。


「性格の相性までは知らないが、ルイスの狩猟者ハンターの資質は、お前の探知者サーチャーの資質と同じくらい優れている。うまくやれば危険度の高い亡霊にも対処できるようになるだろう。そしてお前は名目上は新人だが、隊歴は長いし実戦経験もある。才能ある問題児の監督役にはちょうどいい」

「……監督が必要なような奴なんですか? 貴族の坊々でしょう。そもそも、何が問題の問題児なんですか?」


 レオの問いに、ジーンは台本を諳んじるように答えた。


「まず盗み食いの常習犯」

「盗み食い。常習」

「予科内での賭博の胴元」

「賭博。胴元」

「入隊以前は結婚詐欺の常連だったとか」

「結婚詐欺……」


 指折り数え上げられる問題児の問題点が結んだ人物像を、レオは虚ろに口に出した。


「統括するとクズ野郎ですね」

「結婚詐欺は言い過ぎですよ」


 声が響いたのは同時だった。


 いつの間にか開いていた扉から、二人の男が入室してくる。


 先に立って歩んできた、燻んだ金髪の男は知った顔だ。

 彼はダリル・アシュトン。第一討伐隊の副隊長にして、ジーンの片腕だ。


「遅くなって悪かったな、ナット。こいつすげぇわ、すげぇだめだわ! 呼び出した時間に来ないと思ったら寝てんの、酒瓶抱いて厨房の隅っこで爆睡! 水ぶっかけて起こして着替えさせるのすげぇ大変だったやり遂げた俺を褒めろ!」


 けらけらと笑いながら、アシュトンは連れてきた男の背中を親しげに叩く。

 軍人にしては小柄で、一見するとレオと同じような年頃に見えるアシュトンは、実はこの場で一番の年長者だ。五人兄弟の末っ子らしく、その反動かやたらと兄貴風を吹かせたがるのが玉に瑕だが、概ね常識的ないい人である。ジーンの扱いも上手い。


「職務中は隊長と呼べ、ダリル。——それでお前は配属初日に飲酒で遅刻か。聞きしに勝る問題児だな。エリアム・ルイス」

「酒に飲まれるなんてお恥ずかしい限りです。ちょっと嫌なことがあったもので」

「恥ずかしがるのはそこじゃないだろ? 予科気分が抜けてないな、エリアム?」


 レオの隣に問題児を置いたアシュトンは、机につくジーンの傍らに立った。

 弟を叱るように嗜める副隊長に、問題児は反省の色なくきっぱり返す。


「僕は予科気分だったことなんてないですよ。二年前、討伐隊ここに志願した時から軍人として至極まじめに真っ当に生きてます」

「……え? じゃあまさか今まで悪気なく盗み食いと賭博を……?」


 アシュトンの困惑をよそに、姿勢を正した問題児は、そこでしっかりとジーンに向けて敬礼を作った。


「遅れて申し訳ありません。大陸中央軍第一亡霊討伐隊五級隊員、エリアム・ルイス、参りました」


 明るい金髪に青い瞳は、典型的な北方国ノースの貴族の特徴だ。

 予科を通常過程で終えたばかりなら、年はレオと同じ十八。大柄でも小柄でもない背丈も大差はなく見える。

 顔立ちは優しく、お行儀よく整っていた。声は酒の気配もなく快活だ。ついさっき整えられたばかりらしいが、黒い軍服にも乱れはない。


 悪評高い問題児は、見た目だけなら大いにまともそうだった。まともすぎて、レオは逆に混乱する。


(この坊っちゃんが日常的に盗み食いと賭博の胴元をして酒に溺れて遅刻して結婚詐欺を……?)


 横に立つ男をつい、まじまじと見つめてしまう。

 レオの視線に気付いていないはずはないが、全く気に留めた様子もない。神経が太いことは確かだと情報を補足する。


「次回からは懲罰対象だ。気を付けるように」


 ため息と共に「楽にしろ」と命じたジーンは、次いでレオに視線を向けた。


「本題に入るぞ。二級隊員候補レオ・アスター、五級隊員エリアム・ルイス。お前たちは今日からバディだ。明日からさっそく巡回任務に入ってもらう」

「流れはレオがわかってるから、エリアムはとりあえず先輩に従っておけばいい。レオは引きがいいから実戦になるかもな」

「巡回ルートは追って指示する。今日は記録管理課で装備を整えておけ。以上だ、下がってよし」

「ちゃんと自己紹介して仲良くなっとけよー」


 何も納得はしていないが、レオは反射的に敬礼で答える。少し遅れて問題児——エリアムというらしい男も同じように敬礼を作った。

 踵を返したのはエリアムが先だった。レオを待つ素振りもなく、さっさと部屋を出る。

 殺しきれなかったため息をつきながら、金色の頭を追おうとしたレオに、後ろから声がかけられた。


「一級になればお前の知りたいことがわかる」


 はっとして振り向くが、ジーンは視線は手元の書類を向いている。

 こちらを見ないまま、彼は続けた。


「せいぜいルイスをうまく使って手柄を上げろ。そうすれば一年後には俺が上に推薦してやる」


「心遣いありがとうございます、ジーン隊長。——頑張っては、みます」


 深く頭を下げてから、レオはあてがわれたばかりの〝相棒〟を追うため執務室を出た。

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