1章 美優
1話 文学少女
それからは暇さえあれば彼女の小説に読みふけった。
俺が熱心にスマホをのぞき込んでいると、クラスの悪友たちは「なんのゲーム?」「新しいイベント始まった?」等々、始めは興味を示す。
しかしWeb小説を読んでいると知るや、「それ面白いの?」とあからさまに反応が鈍い。
こいつらにとって、小説なんていうのは現代文の授業でやらされるイヤなアレでしかないのだ。
俺がそうやって何日も小説ばかり読んでいると、ついには「お前まで文学少年かよ」とのそしりを受ける始末だ。
お前まで、との言い分にはワケがある。
俺のちょうど斜め右後ろ、窓際の席にぽつりと、がっちり結んだ三つ編みの髪に、ぐりぐり模様でも書いてありそうな眼鏡を掛けた奴がいる。
いつの時代の漫画の地味ヒロインだよっていう風貌のそいつは、いつもひとりで黙々と分厚い本を読んでいるのだ。
ひそかについたあだ名が、“文学少女”様。
こいつは誰ともしゃべらない。
クラスでもだいぶ浮いているが、こいつをイジメの対象に選ぶ奴はいない。
なんというか、付け入る隙がない。
現に俺の悪友たちが陰口を叩きつつある今も、察し良くこちらに冷たい視線を投げてくる。それで悪友たちはぎくりとして、関係ない話題に切り替えたりしている。
独特のオーラ……は確かにある奴だった。
見た目はぜんぜん悪くないし、むしろその独特な雰囲気も相まって、やりようによってはミステリアスな美少女なのだが、いかんせん人を寄せ付けない
一度、クラスで一、二を争うイケイケ男子が、この文学少女様に興味を示したことがある。
入学半年で先輩含め何十人も食ったとの悪名高いこいつは、普段は狙わない女の子をターゲットに選んだようなのだ。
「ねえねえ、文学ちゃ~ん」とこいつは、持ち前の甘ったるい声で美優に言い寄った。
隣りの席に座り、「なに読んでんの~?」と、さりげないフリで距離を詰める。
美優は無視を貫くが、こいつはそのくらいじゃめげない。
「あれ、照れてるの?」と身を寄せたり、美優の読んでる本を横から音読したりと、しつこいことこの上ない。
周りもクスクス笑うばかりで、野次は飛ばせど止めることはない。
こいつはこうやっていつも誰かしらを口説いているキャラなのだ。クラスの女子たちも、表向きは嫌そうにすれど、自身も選ばれる価値があると思えば嬉しいのか、結局はまんざらでもない対応を取ってしまう。
こいつはそれをわかっているから、攻めの手をゆるめない。
クラスで一番の
美優もしばらくはされるがままだった。けれども不意にぱたんと分厚い本を閉じた。
その音が、俺の席からも聞こえるようだった。
文学少女様は、虫けらでも見るような目を相手に向けるや、
「君、本当は童貞でしょ?」
そう言い放った。
クラス中に聞こえるくらい、はっきりした声で。
昼休みで
「は……っ?」
これにはイケ男も戸惑った。
「なに言ってるわけ……?」と反論しようとするが、口ごもる。
イケ男は思わず教室中を見回していた。
奴は自身の武勇伝を勲章にしているが、噂はうやむやにしていればこそなのだ。
童貞なわけない、と否定してしまったら、じゃあ何人食ったのかという空気になる。
……という以上に、皆が薄々感づいてはいるのだ。
こいつ、言うてそれほどモテないだろう、と。
そんなお前の弱みを、いくらでも追撃してやるぞ、という構えで文学少女様は威圧を掛けているのだ。
「……シラけたわ。つまんね」
イケ男は悪態をつくと、美優の席を離れていった。
とにかくこの一件があってから、美優の評判は瞬く間に学校中に広まった。
それが良い評判でなかったのは言うまでもないが、ある種の
“文学少女”様は、ますます孤高となり、腫れ物となった。
触るな危険。まさにその標語がぴったりの存在となったのだ。
文学少年などと呼ばれた俺は、期せずして早乙女美優と同じ属性の人間になってしまったのかもしれない。
だが、俺は所詮ただのモブだ。文学少女様のように孤高ではないし恐れられてもいない。
積極的に忌み嫌うつもりはないけれど、かといって親しみは感じなかった。
もし、これがミコトだったら――。
そんな考えがちらっとは頭を
けれども、早乙女美優は厳格な文学少女様だ。Web小説なんていう柄ではない。
俺とは別世界の人間なのだと思っていた。
あの、夕暮れの放課後までは。
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