31話  大賞

 その翌日、俺は美優の家を訪ねた。


 ちゃんと謝りたい。その旨の連絡を、入れていた。


 小学校で鉢合わせた後、マユミとも話し合って、やはり美優には、正面切って謝ったほうがいいだろうという話になった。


 勝手に秘密を暴いてしまったこと、土足で彼女の大切な場所に踏み込んだこと、それを悪いと思っていることを、美優にはまずメッセージで伝えた。

 その上で、ちゃんと会って謝りたい、と。


 返信はすぐに来ないと思っていたけれど、その夜のうちに、


「明日でもいい?」


 手短な返事は、ただ一言、そうあった。俺はもちろん快諾かいだくした。そして、今に至る。


 美優の家の前に立つと、俺は急に緊張してきた。ちゃんとひとりで来ていた。昨日、マユミと話していなければ、こんな覚悟も固められなかっただろう。最後の最後まで、俺は彼女のプロデュースに助けられっぱなしだ。


 玄関の呼びりんを押すと、辺りの静けさが一層、増したように思う。


「はーい」


 出てきたのは美晴さんだ。俺の訪問は聞いているのか、驚いた様子はない。


「美優よね? 少し、待ってて」


 どこか、救われたようにも見える笑みを浮かべていた。


 一度扉は閉じ、ややもして、美優その人がおずおずと扉を開く。

 眼鏡は掛けておらず、髪もおろしていた。


「あがってく?」


 ためらいがちに、たずねる。ここで話したいか、どこか場所を変えるかと聞いていた。


「よかったら、あの公園で話せないかな?」


「……わかった」


 美優は、しおらしかった。怒ってはいなさそうで、安心した。


 俺と美優は、連れ立って公園へ向かった。交わす言葉はなかったけれど、今はそれで良いと思った。


 美優の大切な公園は、子どもの声が弾けていた。

 日曜だからか、子どもだけのグループと、親子連れが何組か。

 幸い、街並みを見晴るかすベンチは、空いていた。

 俺と美優とはそのベンチに向かい、ゆっくりと腰を下ろす。


「まずは、ごめん」


 彼女が何か言う前に、俺は自分から切り出した。


「美優の気持ち、俺は考えられなかった。自分のしたいようにして、勝手だった。本当に、ごめん」


 色々と話の手順は考えていた。けれども、役には立たなかった。それで良かった。俺の手順にのっとっても、それは美優に寄り添うことにはならない。


「私ね、ここでいつも、お父さんと話してたんだ」


 美優はぽつりと、そう言った。俺は黙って耳を傾けることにした。


「誰かに何か話したいとき、私はまず、ここでお父さんに報告してた。つらかったこととか、後悔したこと。このあと、どうすればいいのかってこと。ここで目を閉じて、話しかけると、返事が来るような気がしたの。それで、今まで私はやってこれた。ここは、私になければならない場所。たったひとつの、私の居場所」


 美優はそこで言葉を切った。


「でも、君と出会って、何かが変わった。変わろうとしてた。この場所以外に、私がいられそうな場所ができた。楽しいって、久々に思う瞬間が増えた。でも、私はそれを信じていいのか、わからなかった。だから、ここで何度もお父さんに聞いた。なのに、こればっかりは、答えが返ってこなかった」


 俺は、黙って聞いていた。美優は、くちびるを噛んだ。


「わかってたんだよ。お父さんは、初めから返事なんかしてない。私自身が自分の心と見つめ合って、自分で答えを出していただけ。今までずっと、自分で答えを出せることとしか、向き合ってこなかった。だから、君たちと出会ってから、何もわからなくなった。自分じゃ何も、答えを出せないから」


「美優は、どうしたい?」


 俺はそこで、ようやくたずねる。


「……わからない」


 美優はうなだれる。当然、そうなると思った。ここで美優を落ち込ませたら、いけない。


「それで、いいと思うよ」


 俺は言った。


「無理は、通さなくていい。ピースが揃えば、ね」


「……ピース?」


 美優は、不思議そうに俺を見返していた。


「なあ、美優」


 俺は、そっと呼びかける。


「のぞみに見せようとしてた物語、まだ残ってる?」


 はっきりと、そうたずねる。


 美優の表情は、硬直していた。けれども、以前のように、絶望のそれとは違っていた。

 涙することも、走り去ってしまうこともなかった。


「あの物語を見せ合えなかったところから、ふたりの時間は止まったままだ」


 つまり、これが俺の見つけた答え。


「美優が最初に書いたあの物語が、欠けていたピースなんだ」


 美優の父親が亡くなる前の時点で、すでに入っていた、決定的な亀裂。

 物語を見せ合うことで仲直りできたはずのふたりが、すれ違ったまま、それっきりになってしまった。


 そこがすべての、虫歯の根だ。


「取ってあるよ」


 美優は、かすれて消えそうな声で言う。


「破れちゃったとこは張り合わせて。たぶん、まだ読める。でも……」


「見せる勇気が、出ない?」


「それもあるけど……」


「見せて前に進めるのか、わからない?」


「…………」


 美優は答えない。その沈黙が、答えだった。


「じゃあ、それをギャラにしよう」


「……え?」


「美優をモデルにするギャラ。俺が、前に進める道筋を、代わりに描くよ」


 美優は、戸惑っていた。何を提案されているのか、理解できない表情だった。


「小説の形で」


 俺はそう言った。


 俺は、美優の悲しい青春を、題材としてもらう。その対価は、俺の書く小説自体。

 美優をモデルにするのだから、それは、美優のための物語として書く。


 美優は、なおも狐につままれたようだった。けれども、その表情が少しずつ変わっていった。


 昔から教室でよく見かけた、突き刺すような視線の恐ろしい、文学少女様のそれへと。


「……なによ、それ?」


 追及するように、そう言った。


 俺は凍りつく。失敗だっただろうか? こいつのセンスからすれば、落第点もいいところだったということか?


「ばかみたい……」


 盛大なため息までつく。怒ってはない。しかし、かなりあきれられている。


「ま、いいんじゃない。大賞取れば、さ」


「……え?」


「言ったでしょ、君? 大賞取るってさ」


 そう。それは美優と、はじめてまともに言葉を交わした、夕暮れの教室で。


「大賞取れたら、考えてもいいよ」


 追い打ちのように、もう一度言う。


「俺が大賞取れたら、のぞみと仲直りしてくれるのか?」


「その勇気、出してみる。たとえ道筋が見えなくても。傷ついても、胸が痛くても、ぶつかってみる。私の書いた物語、のぞみちゃんに見てもらう」


 俺は、まだ戸惑っていた。その俺の目を見据え、


「君次第だよ」


 不敵に浮かべた笑みは、生意気な文学少女、そのものだった。


「わかった」


 俺はそう答える。


「やってみるよ」


「君にできるかな?」


 浮かべた美優の微笑は、今まで見た中で一番、挑戦的だった。

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