32話  告白

 美優は、今まで通りの、いつも通りの美優に戻った。


 それは、喜ばしいことなのかもしれない。

 けれども、何かこれじゃない感じは、付きまとって離れなかった。


 俺は、小説の続きを考えようと、机の前に向かった。

 キャラクターは悪くない。美優にはそう言われていた。その主人公は、たぶん、俺自身だった。俺は無意識に、自分のことを書こうとしていた。


 だから、それはそのままでいい。

 その俺が、美優と出会う話になるはずだ。

 美優と出会って、彼女を良い方向に変えてやって、俺自身、変わる話になるのだ。


 俺が、俺自身の物語を、まずはつむぎ出さないといけない。


 しかし、いざ書こうと思っても、筆は進まない。情熱は確かにあるはずなのに、何をどう書いても、これじゃないと思えてしまう。

 俺の中で燃えたぎっている熱さは、なかなか形として出ていかず、俺の中でくすぶってしまう。

 それがまるで、熱病にでもうかされたように、苦しい。机に向かっているだけだというのに、身を起こしているのさえ、息苦しくなってしまう。


 俺は、机に突っ伏した。何か知恵はないかと、苦悩が頭の中で渦を巻いて、その只中に呑みこまれて、窒息してしまいそうな気分だ。


 そうしてどうやら、うなされながら眠りに落ちていたようだ。


 スマホの通知音で、俺は目を覚ます。外はもう、日が暮れようとしていた。

 誰かからメッセージが来たらしい。誰からだろう。俺はスマホを確かめる。


 果たしてそれは、のぞみからだった。


「暇? ちょっと会えない?」


 スタンプと合わせて、そんな短いメッセージが入っている。


「大丈夫だけど、なんで?」と、俺は返す。


「そっち行くね」と、のぞみからは即レスで返ってきた。


「距離あるけど、平気?」と返すが、今度はしばらく返事が来ない。


 たぶん、もう向かっているのだろう。


 突発的な瞬発力だけは目覚ましい彼女らしいなと俺は思う。彼女から返信が届くまでの間、俺は小説の構想の続きを考えることにした。


 すると、小一時間ほどもして、電話が入る。


「近くまで来ちゃった! ここ、どこだろう……」


 電話の向こうは風の音がゴソゴソと言っている。どうやら屋外のようだ。


 俺は、周りに何があるのかを聞いた。


「どっかの河川敷。今、そこから坂を上がってくとこ……。遠くに煙突みたいなの、見える」


 俺はそれを聞いて、どのあたりかの目星がつく。だが、そこは駅からだいぶ離れたところだった。バスも通っていた覚えはない。


「とにかく、行くから。その辺で待ってて」


「うん。なんか、小さい公園あるから、そこにいるね」


 その公園の場所も見当はついた。俺の家から、徒歩でいける場所だった。

 俺は、手早く支度をした。家を出ると、自ずと駆け足になる。


 空は夕焼けの名残に焦がされており、気温もぐっと低くなっていた。寒い季節が少しずつ、近づいてきていた。


 俺が、たぶんここだろうと目星を付けた公園へたどり着くと、案の定、のぞみはブランコに揺られており、「お~い」とこちらに手を振った。


「どうしてこんなとこに……」


 俺はのぞみに近づきながらいぶかしんでたずねると、ブランコのすぐ横に、一台の自転車がとめられていた。


「とっさにこれで来ちゃった」


 のぞみはぺろっと舌を出す。


「この辺住んでるって聞いてたからさ。自転車で行けるかなあと思って。でも、道に迷っちゃった。へへ……」


「そりゃそうだろう。住所とか教えてなかったし」


「でも、会えたじゃん。結果オーライ」


「そう言えるのがすごいよ。で、どうした?」


 俺はのぞみの隣りのブランコに腰を下ろす。


「ん~~、ちょっと会いたかった、だけかな」


 何気なくのぞみは言う。俺はそれをあまり深くはとらえない。


 俺が考えていたのは、まさにこの日、美優と会っていたこと。それをのぞみに明かすかどうか、考えていた。

 しかし、これも渡りに船。タイミングは、ちょうどいい。


「今日、美優に謝ってきたよ」


 正直に、そう告げる。


「へ~え? 直接会ってきたの?」


「だな。昨日から、マユミに相談したり、まあその辺も、色々あったんだが……とにかく、ちゃんと謝れたよ」


「ふ~ん……そうだったのかあ……」


 のぞみは声を落とす。その様子にも、俺は別段の注意は払えなかった。


「なんとか冷静に話、聞いてもらえたよ。あいつの思ってることも、わかったし。ひとまず、気まずい感じはもう、ないかな」


「良かったじゃん。君もさすがだね、こんなに早く仲直りなんて。私なんか、未だに引きずったままなのにさ」


「俺ひとりの力じゃ、どうにもならなかったからな。それに、状況も違う。俺の場合は、俺がヘマしただけだから」


「でも、君が私だったら、もっと早く解決してたよ。きっとそう」


 つぶやくのぞみは、元気がなかった。


「ま、いいや! 私は私だし! 私以上にはなれないもんね」


 のぞみは心のもやもやをごまかすように、ブランコを勢いよく漕ぎ出した。


「俺だって、あいつと仲直りできたわけじゃないよ。無理難題、吹っかけられてさ」


「ふ~~~ん? どんな?」


「俺が大賞取ったら、のぞみと仲直りしてみるって」


「何よ、それ~~~?」


「あいつをモデルにして、俺が小説を書く。それが見事大賞に輝いたら、俺の願いも聞く。そういうことだな」


「なるほどね~~~。で、君の願いが、あの子と私の仲直り?」


「ああ。それがすべての発端、抜け落ちたラストピースだからな」


「君もいい人すぎだよ~~~。そういうときはさ~~~」


 のぞみはそう言うと、ブランコを一段と強く漕いで、


「俺と付き合ってくれ~~~!!! ってさ、願うとこじゃないの~~~~!?」


 それは、半ばやけくそな言い方だった。

 ブランコは、ゆっくりと勢いを弱めていき、やがて止まる。


「君、美優ちゃんのこと、好きなんだと思ってたよ?」


 ブランコが止まると、のぞみはそう言う。


「そんなに真剣になれるなんてさ、それって絶対、好きじゃん」


「どうなんだろうな」


 俺はひとりごとみたいにつぶやく。


「俺は、あいつの書く小説に惚れてたんだ。その作者のミコトに、会ったこともないのに想いを寄せた。それは、あこがれみたいなものなんだ。でも、美優と会って、あいつがミコトだとわかって、それからあいつの色々なことを知って。それで気持ちが変わったよ。俺は、自分でも誰かの気持ちを動かしたいと思った。ミコトの小説に救われたように、今度は俺が誰かを救えたらって、たぶん、そんな気持ち」


「ふ~ん……」


 そっと吐息するのぞみは、もどかしそうだった。


「君は、やさしいんだよ。誰にだってやさしすぎる」


「そうかな?」


「そうだよ。ずるいよ、それ。意味もなく、やさしくしちゃうのはさ」


 のぞみは、勢いをつけてブランコから降りる。


「そういうのはね、もやもやするんだよ!」


 腰に手を当て、叱りつけるように言う。ちょうどそれは、のぞみと出会ったとき、グラウンドに入ろうとする俺とマユミをいさめたときを彷彿ほうふつとさせた。


「俺も、もやっとした奴ってことだな」


 俺は苦笑する。こうやって叱られることも、ずいぶん慣れてしまったものだなと思う。


 のぞみは腰に手を当てたまま見下ろしていたが、不意に盛大なため息をつく。


「そんな感じだからな~君もさ~」


 止めてあった自転車のほうに歩み寄ると、スタンドを上げる。


「ね、後ろ乗りなよ?」


 サドルにまたがりながら、そんなことを言う。


「……は?」


 それでは役が完全に反対だが……。思いつつ、俺はあっけにとられる。


「いいから、ほら~」


 しかし、どうやら逆らえない流れのようだ。

 俺は渋々、自転車の荷台にまたがる。

 どこに手を掛けたものか……と悩み、荷台の部分をつかむことにした。


 すると、


「んじゃ、いっくよ~!」


 のぞみは勢いよく自転車を発進させる。


「うわわっ!」


 俺は弾みで落ちそうになり、とっさにのぞみの肩をつかむ。


「あははは! 腰に手をまわしてもいいよ~!!」


「なんだよそれ! 俺はヒロインか!」


「ヒロインになっちゃえ〜~~!!」


 のぞみはそのまま公園を抜け、河川敷へ続く坂道に差し掛かる。


「お、おい、のぞみ……」


 俺は嫌な予感がした。しかしのぞみは制止の間も与えず、


「とっつげき~~~~!!!」


 坂道へ突進した。


「ぎゃあああ~~~~!!!!!」


 俺は冗談でなく、のぞみにしがみついた。どこを触れて良いかとか、そんなのまったく関係なく、しがみついた。


 ゆるやかな坂を駆け下り、自転車は河川敷へのわずかな坂道をのぼり、それからややも走り続け、ようやく減速した。


「あっははは~!! 気持ちいいい~~~!!!」


「何してんだ!!! 殺す気か!!!」


「このまま天国まで、とっつげき~~~!!!」


 のぞみは頭のねじでも外れたように疾走しっそうする。


「天国は行きすぎだっての~~!!!」


 怒鳴りながらも、俺のテンションまでなんだかバグってきた。


 ここの川は県境を大きく横たわり、河川敷も広い。

 この先だいぶ遠くまで、土手の上の道が続いている。

 夜の時間にランニングや散歩をしている人もちらほらなわけだが、俺とのぞみはそんな中を馬鹿笑いしながら、ふらふらと疾走していく。


 秋の冷たくなってきた風が、その風を思いっきり切って走っていくと、かえってすずしく、心地よかった。

 よくわからないが、頭のネジがはち切れる感じが、なんとも爽快だった。


「なんだか叫びたい気分だ~~~!!!」


 のぞみは夜の黒い川へ声を張る。


「今ならいいんじゃねえのか~~~!!!」と、俺も応じる。


「じゃあ、言っちゃっていいかなあ~~~!!!」


「いいぞお~~~!!!」


「あたしさああ~~~~!!!!」


 のぞみは大きく息を吸い、


「君のこと、好きかもおおおおお~〜~~~!!!!!」


 その声は、川を渡り、さらに向こうまで聞こえるかというくらい、気持ち良く響きわたった。


「…………へ?」


 俺はというと、急速に我に返って、虚をかれていた。


「…………これ、マジね」


 先ほどまでの元気はどこへやら、急に声を落とし、のぞみは言う。


 自転車は急速に速度を落とし、停車する。


「どうして……?」


 俺は困惑して、問いかけることしかできない。


 のぞみは答えないが、不意に低く笑い出す。


「そうだよね。やっぱり、迷惑だよね……」


 俺のほうも見ずに、夜空を見上げ、


「ごめんね。変なこと言っちゃった。忘れていいよ」


「だが……」


「だって……君はさ、誰にでもやさしく、できるんでしょ……?」


「のぞみ……」


 俺は、荷台から降りた。困惑より、心配の気持ちがわいてきているように思った。


 俺はのぞみの肩に手を掛ける。同情は残酷だ。しかし、何もせずにいることが正解とは、思えない。


 のぞみは、ハンドルにひじをのせ、そこに顔を埋めてしまった。


「……泣かないよ。泣くのはずるいもん」


 そんなことを言いつつ、声はすでにたよりなく震えている。


 泣いてもいいよ、などと、俺は言えない。

 泣かせたとしたら、それは、俺だ。


 俺は、どうしたらいい? そうたずねるのは、もっとも残酷だ。

 俺は、黙ってのぞみの肩に触れたままだった。


「ごめん……。もう大丈夫だから」


 のぞみは身を起こし、まぶたをぬぐう。


「なんだか遠くまで、来ちゃったね……」


「そうだな……」


 俺は辺りを見回す。知らない景色だった。


「……帰れそう?」


 ばつが悪そうに、のぞみはたずねる。


「俺はここを戻ればいいから。のぞみは?」


「私も、さっきのとこまで戻れば大丈夫かな……」


「じゃ、そうしよう」


 突発的にバカをして、ひょんな弾みで急激にクールダウンして、俺とのぞみは、妙に静かな空気の中にいた。


 広いだけに思われた河川敷が、遠くから聞こえる人の声だとか、対岸を行く車のヘッドライトだとか、色々な音や色で彩られているのが急に感じられた。


 戻りの道は、自ずと自転車を押しながら進んだ。


「小説、どういうの書くの?」


 のぞみがたずねる。


「そうだな……」と、俺は答えに迷う。


「実は、まだぜんぜんおぼつかなくて……」


「じゃ、一緒に考えよう?」


「え……?」


「しばらく歩きだよ。その間にさ、話しながら、考えようよ?」


 のぞみは、まっすぐに俺を見つめて、言う。


 俺の中で、さあっとすずしい風が吹いたように思う。


「そうだな……」


 俺はそう答える。


「まずは主人公、誰にするかで悩むな」


 そう話しはじめると、脳裏にふと、会ったこともないはずの、小学生の頃の美優とのぞみの姿が思い浮かぶ。


 その頃ふたりも、こんな風に物語の構想を話しながら、仲を深めた。


「美優ちゃんがモデルだから、つまり私とあの子の物語だよね?」


「そう、なるな」


「だとしたら、主人公は美優ちゃんか……私?」


「それもいいな……」


 俺は思わず、ぷっと噴き出してしまう。


「あっ! 笑った! ひどい!!」


「いや、だってさ……」


「ちょろいしバカだし、主人公に打ってつけとか、思ったでしょ~~~~!?」


「思ってないって! いた……痛い……」


 のぞみは抗議して、俺をぽかぽか殴りつける。


 けれどもそれが、なんだかとても、楽しかった。


「でも、確かにのぞみが主人公だったら、書けそうかも」


 これは真剣に、俺は言う。


 のぞみは殴るのをやめ、不意に恥ずかしそうに頬を染めた。


「……じゃあ、いいよ?」


 目を伏せながら、そう言う。


 それから少し、ふたりとも黙った。


「私が主人公ならさ、いっそ、一緒に作る?」


 のぞみがそう、提案する。


「いいな、それ」


 俺も乗り気だった。


 かつて、美優とのぞみがそうしたように。今度は、俺とのぞみが一緒に。


「じゃあ、デートしてもらっても、いい?」


 これは、あざとい上目づかいで。


「もちろん」


 俺は苦笑しながら、答える。


「やっり~」


 のぞみはくすぐったそうに、くすくすと笑う。ようやく、まっすぐで明るい彼女だった。


 俺たちは、小説のアイディアを、わく泉のように交わしながら、河川敷を歩いた。

 街の音も光も遠く、いつまでも続きそうで、そのくせすぐに終わってしまいそうな時間が、ゆっくりと俺たちのかたわらを通りすぎていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る