30話  プラチナブロンドの風

 足りないピースが揃えばいい。

 マナブさんの言葉は脳裏に焼き付いた。


 手持ちのピースは確かに揃ってきているのだ。失ったピースもあるが、できることからやっていくしかない。


 その週の土曜日は、午前中だけが授業だった。


 いったん家に帰ったが、机の前で勉強していても、何か落ち着かない。

 窓の向こうの空に誘われるように、俺は外出した。


 最近お金を使いすぎているので、自転車で、だ。

 俺はママチャリにまたがると、慣れないグーグルマップなんかを開いて、何キロも離れてそうな目的地へ向かう。


 自転車でそんな遠出をするのは初めてだ。迷子になる可能性だってある。けれどもそんなことは気にならない。俺は頭上にのしかかる青空を目指すように、自転車をこいだ。


 自分の中で足りないピースを埋めようと思ったとき、自ずと足が向かう先があった。

 マナブさんにもらっていた情報をたよりに、その場所へ自転車を走らせる。


 たどり着いたそこは、のぞみと美優が通っていた小学校だ。


 そんなところへ行って、なんになるのかと思う気持ちは当然ある。しかし、ふたりが生活していたその場所を訪ねるだけでも、何かヒントになるのではないかと思ったのだ。

 もちろん、部外者が中に入るわけにはいかず、怪しまれてはよろしくない。俺は自転車を降りると、慎重に小学校の周囲を、何気なく散歩する感じで練り歩いた。


 校門の前まで来ると、遠くに校舎の玄関口が見える。

 あそこでのぞみは美優に追いすがって、何も言葉を掛けることができず、物別れになってしまったのだ。

 そこから校門まで走り去った美優はどんな気持ちだったのだろう? 校門の前に立つ俺は、考えてみる。振り返りもせずにここまで走って、そのあとも、何かから逃げるように走り続けたことだろう。


 つらくなかったわけがない。だから、高校に上がるまでの間、青春らしいことはなかったし、友だちも満足に作れなかったのだ。自分が人と友情など築けるわけがないと、心に大きなふたをしてしまっていたのだ。


 ミコトの小説は、どこかはかなくて、消えてしまいそうなさびしさがあった。あれは、美優自身の心の叫びだったのだ。抑えつけられ、行き場をなくした想いが、そこにあふれ出てきていたのだ。

 物語を書き続けることでしか想いの行き場所がなかった。その物語は、のぞみとの思い出だ。美優はもう何年も、のぞみとの思い出をあたため続けているのだろう。


 どこにでもある小学校の、なんてことない普通の校門なのに、いざその場に身を置くと、そんな感慨が次から次へとわいてくる。


 俺は、学校の周りをもう一周することにした。


 校庭では子どもたちが何人か遊んでおり、その声が気持ちよく空にこだましていた。

 大人から見れば、無邪気でほほ笑ましい光景だろう。けれども、あの子たちだって、何年も引きずってしまうような悩みを抱えているかもしれないのだ。


 晴れた空の下で、そんな湿っぽい感傷にひたりがちな自分がなんだか滑稽だった。


 俺は、ちょうど校庭が見晴らせる、長い一本道に差し掛かっていた。

 すると、道の先、敷地を取り巻くフェンス越しに、ひとりの女性が校庭をじっと見守っていた。


 すらりとした長身で、髪は腰までの長さ。何より、その色が外人さんのように美しいプラチナブロンドだ。

 長い一本道に風が吹いて、その髪が風にそよぐ。着ている服も白系の淡い色で、髪に手をやる仕草も、まるで神話にうたわれる妖精か何かのように美しい。


 彼女は近づいてくる俺に気づいたらしく、目が合った。


「あっれ~、文学少年?」


 なぜかその女性が、俺に声を掛ける。


 こんなモデルさんのような知り合いはいない。持った覚えがない。


 しかし、声には聞き覚えがある。


「こんなとこで何してんのよ~?」


 いつものように間延びした声で言う、それは、梁田マユミだ。


「マユミ……のお姉さんですか?」


 俺は、当人とは信じ切れず、そう言う。


「……君さあ。兄がいたからって、姉の存在までねつ造する~?」


「そんな風にしか思えないからな……」


「なにさ~。ちょっと髪型変えただけじゃんね~?」


 確かに、前はここまで素直なストレートヘアではなかったし、巻き毛にしたり結わいたりとアレンジも派手だった気がする。


 髪をおろすだけで、こうも印象が変わってしまうものなのか。


「髪型変えたって、何かあったのか?」


 俺はたずねる。今のこいつは、ギャルという感じがない。前からさほどギャルを自称する奴ではなかったけれど、服装の雰囲気も相まって、今はあまりに正統派だ。


「……ん~、なんだろうね。本当は切っちゃおうかとも思ったんだけど。ママにもらったこの髪、大事にしたいからさ~」


 そう言うと、自身の髪にそっと触れる。


「言ってなかったっけ? あたしのママ、北欧の人だからさ」


「マジ……?」


 なるほど。日本人離れしたこいつの風貌ふうぼうは、正真正銘、日本人とは違う血が入っているからなのだ。


「マジもマジ。ま、素材がいいんだから、自然にしてるのが一番ってやつ? そこに反発してたのもあるんだけど、ちょっと反省しようと思ってねえ」


 マユミはフェンスの向こうをじっと見つめる。


「ここがミユーのいた学校か~。なるほどね~ん」


 声に元気がないように思った。何かを押し隠しているようにも見えた。


「何があったか聞かないのん?」


「話したければ、話すと思ってな。お前は、そのほうがいいだろ?」


「ふふん。あたしの扱い、よくわかってる口ぶりだね?」


 マユミは不敵に笑い、


「君こそ、どうしたのよん? ミユーの母校なんてさ、ひとりで歩いて何の感傷よ?」


「それはお前だって同じだろ?」


「あたしはヤボ用のついでだし〜? 君はそんな風には見えないけど?」


「はは……否めない」


 俺は苦笑する。確かに、俺はとんでもなく感傷的だ。


「俺は、何かヒントになればと思ってさ。ここはあいつとのぞみの過ごした場所だからな」


「ふ~ん」


 マユミは、いぶかるような目つきになる。


「君、いつの間にあたしらのこと、下の名前で呼ぶようになったの?」


 そういえばさっき、とっさに「マユミ」と呼んでしまったか。


「んま、日本人の苗字呼びって、くすぐったいからね~。別にいいんだけどさ~」


「……変なとこで外人かぶれすんなっての」


「ま、キャラ迷走してるってことよねん。ミユーとこっそり会ったりしたのもさ」


「は?」


「君があんまりしょげてるもんだからさ~、放っておけなかったわけ。だって、発端はそもそもあたしなわけでしょ?」


 確かに、美優の傷跡を指摘したのはマユミだし、尾行して彼女の心の闇を明かそうと提案したのもマユミだ。


「君とミユーの青春ごっこに手を貸したのはあたしだよん。だから責任感じたってわけ。あたしがひと肌脱がなきゃってね~」


 俺は思い出していた。マユミが不意にヤボ用だと席を外したこと、マナブさんがマユミの様子がおかしいと言っていたこと。


「この前、のぞみと会ってた日か?」


「ビンゴ。あたしらとつるんでなきゃ、ミユーもひとりだろうと思ってね。呼び出したのよん、話がしたいって」


 俺とのぞみが長い一日を過ごしていた頃、こいつもまたこいつで美優に掛け合っていたというわけだ。


「夕飯くらいおごるって言ったのにさ。お金はあるからって断られてさ~」


 確かに、ミコトの小説のPVなら、高校生の小遣い程度の広告収入は裕にあるはずだ……。


「ま、逆に焼肉、おごってもらったんだけどねん。個室だったし、ゆっくり話せたよん。ラッキーだったよねん」


 その言葉と裏腹に、マユミの表情は浮かない。


「君の話、してきたよ」


「すまないな」


 俺はそう言った。こいつが気をつかうなんて、俺はよほど弱っていたのだろう。


「半分以上はくだんない話だよ。でもまあ、君の話になったら、少しトーンは弱かったかな」


「……だいぶ嫌われたみたいだな」


「やり方が下手すぎるからね~、まったく。んでも、ちゃんと説明したよ。そそのかしたのはあたしだってさ。ところがどっこい、たぶんそんなことだろうってね。最初から感づいてたみたいだよ」


 それは、意外だった。美優のあの怒り方から、俺は彼女が一連のことを俺ひとりの暴走と見なし、立腹したものと思っていた。

 しかし、美優はいつでも、俺の一歩先を行っている。彼女は俺が思っている以上に聡明そうめいだった。


「……女の勘ってのは、鋭いな」


「温泉で傷に触られたとき、どっかでつつかれるのは覚悟してたんだってさ。そしたら君が自分だけの秘密の場所に突然現れた。頭が混乱してつい、かっとなって言いすぎたってね。んまあ、あの子も悪いとは思ってるみたいだよん」


「だが、それと俺を許すかどうかは別の話だろうな」


「あたしに話して、ミユーも心の整理はだいぶ付いたんじゃない? またこれであたしに貸しひとつだね、青春少年?」


「かたじけない限りだ。だが、ならどうしてここに?」


 問われ、マユミはきょとんとして俺を見返す。


「さあ。なんなんだろうね~、よくわかんなくてさ」


 マユミは言い訳を探すように、小学校の校庭を見やる。


「あたしは最初からずっと傍観者だったから。君とミユーがどうなっても、ちゃんと距離置いて見守るつもりだったよ。でも、首を突っ込むうちに、自分のことのように思えてきちゃってね」


 確かに、もともとは俺と美優の青春のプロデューサーを面白半分に名乗っていただけなのだ。それがいつの間にか、だいぶ深いところまで関わりを持っている。


「あたしが発端だし、なら全部あたしのせいかもしれない。なのに君らはみんなそれなりに傷ついて、あたしひとり外野で高みの見物ってね。さすがに罪悪感っていうか」


「で、髪型変えるまでしたって?」


「人にえらそうなこと言うならさ~、せめて見た目も真面目なほうがいいと思ってねん?」


「まあ、真面目というかさ」


 俺は苦笑しながら冗談めいて、


「その……誰かわかんなかったし、きれい、だよ」


 冗談めいたつもりが、それっぽく聞こえすぎてしまった。


 マユミは目を丸くしている。いつもならうまいこと言い返してからかうくせに、今はそれもない。気のせいか、うっすら赤くなっているようにも見える。


「なら……良かったんじゃないの~、知らないけど」


 そう言うと、目をそらす。そんな反応をされると、俺もやりづらい。


「……まあ、なんだ。来て良かった。まさかマユミに会えるとは思わなかったし、美優のことも聞けたから」


「ここで会えなくても、明日辺り呼び出して話すつもりだったけどねえ? まったく、よりにもよって君と同じ思考パターンだなんてさあ」


「土曜の午後が空いてて、ふらっと同じ場所に足が向くなんてな……」


「案外、振り回されてるのはあたしらのほうかもね。ミユーって子に、振り回されっぱなし。せめてあいつのこと知っとこうかって、わざわざこんなとこまで足を運んで」


「俺は、のぞみから色々聞いてもいたからな」


「ふ~ん? あたしがいなくなった、あの後で?」


「そうだな。あいつと美優が小学生だったときのこと。俺の小説の、参考にってね」


「ま、あんたは小説で語ればいいのさね。それでこそ、文学少年でしょん?」


「ああ、否めない」


 俺はそう言って、フェンス越しに校庭の向こう、校舎の玄関を見やる。


「小学校の頃の美優、か……。どんな話、書いてたんだろうな」


 のぞみと一緒に構想して、のぞみに見てもらおうと書き上げた、美優の処女作。

 彼女の、ミコトの原点。


 どんな話だったのだろう?


 今も、残っているのだろうか……。


 もし、残っているとしたら?


「そうか……」


 俺は思わずつぶやいていた。


 マユミが俺の様子に気づき、こちらを振り向く。


「どうしたってのよ?」


「わかったよ、最後のピース」


「最後のピース?」


 マユミは怪訝けげんそうだ。こいつには何がなんだか、といったところだろう。


「助かったよ。おかげで全部、揃った」


 俺はほくそ笑んでいた。マユミはなおも怪訝そうだったが、ふうと息をつく。


「なんだかわかんないけど、役に立てたんなら良かったよ。これも貸しにしていいのかな、文学少年くん?」


 そう言ったマユミは、いつもの調子に戻っていた。


「貸しいくつだか、もうわかんないな……」


「手始めになんかおごってよ? 甘いモノ食べたいな?」


「はは……これでまた、小遣い前借りだな」


 俺はマユミと並んで、小学校から離れていく。

 校庭で遊ぶ子どもたちの声が、俺たちのあとを追いかけてくるようだった。

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