22話  シャトルとラケット

 翌日、俺とマユミが到着すると、のぞみはすでに昨日と同じ場所で待っていて、河川敷に腰を下ろし、文庫本を読んでいた。

 こちらに気づくと立ち上がり、手を振った。

 その傍らには、バドミントンのラケットが三つ、用意されている。


「これだったら、ちょうどいいかなと思って」


 そんなこんなで、俺たちはシャトルをラリーしながら、言葉を交わすこととなった。


「そっかあ~~。まさか一高のトップの身内と、こんなとこで会えるなんてね~~~」


 空は秋晴れに筋雲を浮かばせていて、のぞみの高い声は晴れた空によく通った。


「噂にだけは聞いてたよ~。うちのワルたちが急におとなしくなって、それがどうも、一高のトップのおかげだってことはさあ~~」


 俺も詳しいことは知らない。しかし、こういうのはたいてい勝ち負けで決まったり終わったりするものではなく、やられたらやり返すを延々と繰り返す形になりがちだ。


 しかし、マナブさんは人格もデキた人だ。そして、のぞみのいる三高でも、同じように人格のある人が上に立っていたのだ。そのふたりの活躍で、両者とも納得のいく折り合いがうまくついたのだとか。


「モノ好きなやつだからね~。一緒にいると、たまに疲れるってわけよ」


「きょうだいってうらやましいな~。私もお兄ちゃん、欲しかった」


 そう言うと、のぞみは不意にシャトルを強く打ち返してくる。


「君はどうなの、文学少年くん?」


 その呼び方も、なんとなく板に付いてしまっていた。


「マナブさんみたいな、アニキだったらな」


「ふ~ん」


 話題を振っておきながら、のぞみはそっけない。

 自分の中で消化してしまえれば、細かくは掘り下げない性格なのだろうか。


「美優ちゃんも、変わらず文学してるの?」


 不意にのぞみは、美優の話題に切り替えた。


「そうだな。いっつも分厚い本とにらめっこしてる」


「そっかあ……。美晴さんに、聞いてた通りだな」


 ひとりごとみたいに、のぞみは言った。シャトルを打つ音が、静かに響いていた。


「実はね、中学のときに一度、会いに行ってるんだ。そのとき、美優ちゃんはいなくて。美晴さんがお話してくれたの。少しの間、だったけどさ」


 俺とマユミのときと、同じだ。


「連絡先、渡してたんだけどね。美優ちゃん、連絡くれなかった」


 苦笑いしながらそう言うものの、空に響くシャトルの音は、なんだか物悲しかった。


「私のこと、覚えてないのかもね。あなたたちには、無駄足踏ませちゃったかも……」


「そんなことはないさ」


 俺は、あえて強くそう言った。


「美優も、勇気がないんだよ。立ち止まったままなんだ。のぞみちゃんと、同じだよ」


 俺は、シャトルを強く打ち返す。

 のぞみのラケットは、空を切った。


「はは……言われちゃったなあ……」


 シャトルを追おうともせず、そう言う。

 マユミが肩にラケットをぽんぽん打ち付けながら、シャトルを拾い上げる。


「立ち止まったまま、かあ……」


 のぞみは、苦虫を噛み潰したように言った。


「中学で陸上部に入ったんだよ。走ってたら変われる気がして。何も考える暇がないくらい走って、そうしたら、わだかまってたつまんないこと、全部吹っ切れると思った。そうやって身軽になれば、何もかも上手くいくんじゃないかって。でも、私は美優ちゃんから連絡が来るのを待つだけで、もうあの子の家に行く勇気がない……」


 本当は、立ち止まったままなのかもしれない。


 そう締めくくると、のぞみはバタンと仰向けに倒れ込んでしまった。


「何してんのさ、青春少女」


 マユミが冗談ぽく言いながら、その傍らに立つ。


「空が、青いなあ~~~……と思ってさ」


「だよねえ~~~。ここは屋上でもないのに、やけに空が近いのよねえ」


 そう言うと、自身ものぞみの隣りに寝転んだ。

 俺は、あえてすぐそばの斜面に腰を下ろして、ふたりが見ているのと同じ空を見上げた。


「マユミちゃんさ~」とのぞみが言う。


「ん~~~? なあに~~~?」


「マユミちゃん、屋上でよく、授業サボってそう」


「漫画のヒロインじゃねえし? あたしは昼休み専門だよ。サボって昼寝しても、後ろめたくて気持ち良くないからね~~」


「よく言うよお。屋上なんて、普通は立ち入り禁止なのにさあ」


「そういうのは、知らないかな~?」


「ズルいなあ……自分の意思があって。私は、ぶれてばっかだよ。やるべきことは決めたはずなのに、そこからは逃げてさ、違うとこに走ってばっか。なんだかなああ~~~もうさあああ!!!」


 そう言うと、駄々っ子みたいに両手足をばたばたさせた。


「まじめなんだよ、のぞみんはさ。ミユーとまた会うって、決めたのかもしれないけどさ。そこにこだわる必要だってないじゃんさ~?」


「そうだけどさあ……。逃げてるままじゃ、私が納得しないんだよおおお!!!」


「ほらね~、頑固なの。だから、いつまでも苦しむんだよん」


「どうすればいいんだよおおおお~~~!!!」


 もどかしくって暴れまくるのぞみが、妙にいじらしかった。

 俺だったら、ここまで素直に悔しがることはできない。


「ったくさ~~~。これだからまじめっ子はさあ。自分で動けないんなら、人を使えばいいんじゃないの?」


「人を使えったってさあっ……」


 取り乱して叫ぼうとしたのぞみが、ぴたっと止まる。


「そっか」とむくりと起き上がり、


「だから、マユミちゃんたちが来てくれたんだ」


「そうだってずっと言ってるじゃんさ。あたしたちは、天使だってね~?」


「そこは、悪魔との契約かもしれないけど」


 のぞみは自分でそう言うと、それから少し、考え込んだ。


「私が手紙を書いて、それをあの子に渡してもらう? でも、違う。それは違う気がする」


「いいんじゃないの~? 気持ちはそれでも、伝わると思うよ~ん?」


「でも、違う」


 のぞみは言うと、勢いで立ち上がった。


「伝わったとしても、あの子はきっと、どう受け止めていいか迷っちゃう。そういう子だもん。だから私、お見舞いだって行けなかったの!」


 そう言ってしまってから、「あ……」とつぶやいて、自分の口を手で覆う。


「聞いてるよん、アニキからさ。そのこと、親友を裏切ったって、ずっと抱えてたんだねえ、あんた?」


 のぞみはうなだれていた。


「あんたは正しかったよ。ミユー、見舞いに来た子たちとは会わなかったって話だし。あいつだって、自分で抱えてる。あんたも、ひとりで抱えてる。似た者同士だよ。気が合ってたんじゃないの?」


「……そうかな? やさしいね、マユミちゃんは」


「バカなだけだよ~。空っぽだから、身軽なのよ~ん」


「空っぽだから、身軽か。私と正反対。私は、ごちゃごちゃ抱えて、まったく身動きできない」


「ミユーだって、同じなんだからさ~?」


「でも、あの子は強い。抱えたなりに、どう動けばいいかわかるから。そこに向かって動いてる。きっとそうだよ」


「それがあいつの不器用さでもあるんだよ? あたしは好きだよ、あんたみたいな子」


 何気なくそう言うと、のぞみはあからさまなくらいに、ほほを真っ赤に染めた。


「す……す、好きって……。昨日会ったばっかなのに! なんでそんなすぐに……」


「誰か好きになるのなんて、時間はいらないでしょうよん? あたしは気に入ったんだよ。あんたのそういうとこ。そんな難しい話じゃないと思うけどね~ん?」


「~~~……っ!」


 のぞみは沸騰ふっとうしたやかんみたいになってしまって、どうしようもない様子だった。


 まるでぼっ!と弾ける音が聞こえたようで、のぞみはきゅうっとへたれ込むようにぺたんと座ってしまい、マユミはけらけら笑いながらその頭をなで回した。


「ずるいなあ~~~……もう。みんなずるいよおお~~~……」


 ほとんど泣きそうな声でのぞみが言うと、


「泣けばいいのよお、泣きたいときにはさ~」


 昭和の歌謡曲かようきょくみたいなリズムでマユミは言い、実際にのぞみは崩れるように、その胸にぼすっと身を預けてしまう。


「……ちょっと考えたい。どうしたいか、どうしてほしいか。いいかな?」


「気のすむまで悩むといいよ。爆発しそうだったら、受け止めてあげるよ」


「……たすかる」


 そうやって女ふたり、しばらく身を寄せ合うように、くっついていた。


「ふう……」とのぞみが吐息し、ようやく身を離す。


「……落ち着いた。ありがとう」


「決心のほうは、まだかな?」


「うん。そこはもうちょっと、時間欲しい。気持ち固まったら、ふたりに連絡していいかな?」


 そう言うと、俺のほうを見た。


「もちろんだよ。そのために来たんだ」


 俺は手短に答える。何も動いてはいないが、何かがちゃんと動いた感触はつかめていた。


 そして、俺の中で何かが、揺り動こうとしていた。

 まだ言葉にはできない、でも、今俺にとって一番大切な、何かが。

 そこにきっと答えがある、何かが。


 今はまだおぼつかなく、はっきりしないけれど、確かに俺の中で生まれようとしているのを、感じていた。

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