10話  週末のひと時③

 メグの祖母が温泉宿を経営しているらしく、挨拶がてら日帰り温泉に入ろうと訪ねたところ、当然泊まっていくものだと思っていたらしく、空いた部屋を宿泊用に準備しておいてくれていた。


 空いた部屋である以上、ひと部屋……。


「ま、いいんじゃないの~」とメグは、受け取った部屋の鍵を指でクルクル回しながら、俺を振り返る。


「こいつが襲ってくるんなら、それはそれでオモシロそうだもんね~」


 俺は引くに引けないところへ来てしまったようである。


 部屋はそれほど広くもないが、窓から紅葉した山肌が綺麗に見渡せる良い部屋だった。


「うおお~、すごいじゃんさあ」とナオは、手すりから身を乗り出して山肌の景色に目を奪われている。


「部屋のどっかが漏ってるんだって。そんで客に貸すのはやめてるんだってさ~」


 メグは窓際に据えられた椅子に座りながらそんな風に説明した。


 なるほど、これは確かに居心地の良さそうな部屋だ。


 置かれた状況が状況でなければ、だが……。


「さあって! 泊まりとなれば、弾けないとね~ん。温泉行こう、温泉!」


 マユミが音頭を取り、ギャル三人は大盛り上がりで部屋を出ていった。


「あんたはここでゆっくりしててもいいからね」


 ふたりっきりになって、美優は俺に気づかいをしてか、そんなことを言う。


「ああ。お前も行ってきたらどうだ?」


「うん。でもその前に、書きとめておきたいかも」


「今日思いついた、色んなことをか?」


「そうね。この景色、せっかく独り占めできそうだからね」


 美優は窓の外を見やり、そう言う。


「そしたら久々に、やるか?」


「え?」


「勉強会。ここしばらく、できてなかったろ?」


 しばし美優はきょとんとしていたものの、笑みを浮かべる。


「……いいね。ここでなら、はかどりそう」


 こうして俺たちは、紅葉の景色を望む座卓を挟み、互いに創作ノートを開いた。


「進捗はどうなの?」と美優はたずねる。


 進捗と言えば、むろん俺の小説のことだろう。


「……本編は、進捗なし」


「ダメじゃん」


「ほら、今は書くのをやめて、青春する時期だから」


「確かに」


 美優はそう言うと、小さく笑う。

 眼鏡がないせいか、笑ったその表情が、見たことのない別の人のように意外だ。

 こんな風に、こいつの笑うところを度々見るようになった。

 いつも笑っていたら、もっとかわいいのに。

 そんなことを思う。


「魔女の宅急便はね」と、そんな俺の物思いと関係なく、美優はノートにペンを走らせながら言う。


「書くのをやめる、のあとが大事なんだよ」


「ほお……?」


「こんな風にさ、カラオケ行ったり、紅葉見に行ったりで、何もしない。そのうちに、急に書きたくなるんだよ」


「そのときを待てば、また書ける?」


「それがいつ来るかなんて、わからないけどさ」


「それまでは、付き合うよ」


 俺がそう言うと、美優はちらっとノートから顔を上げて俺を見る。


「……その、こういう勉強会とか、さ」


「私を助ける前提だけど、あんたが助けられるほうって可能性は?」


 ふふんと勝ち誇るような笑みは、いつものように。


「……今んとこ、助けられてばっかりだ」


「まあ、でもいいよ。楽しいからさ」


 楽しい、のところを、本当に楽しそうに言う。


「俺も、最近考えるんだ。マユミたちには助けられてばかりだけど、こうやって過ごす青春、書いてもいいのかなって」


「あんたの小説に?」


「主人公、高校生にしてるのもあるからな……」


「あんた自身グルグルしちゃう青春クンだから、私小説はお似合いだし?」


「……否定はしません」


「でも、あんたのことはともかく――」


「お前をモデルにしたらギャラは取る、だろ?」


「わかっているならよろしい」


 それからはまたしばらく、俺たちはお互い静かにノートにペンを走らせた。


「そういや、気になってたんだけどよ」


 しばらくして、俺はそう口を開いた。


「んん?」


「お前、本は昔から好きだったのか?」


「そうね。小さい頃から読んでたわ」


「自分でも、書いてたのか?」


「…………そうね」


「なんか、きっかけとかあったのか?」


 何気なくたずねたつもりだった。けれども、美優の手が不意に止まる。


「どうして?」


 たずね返し、俺を見返してくる美優の目が、例の突き刺すような鋭さを訴えていた。


「……いや、特に深い意味はないけどさ」


 ミコトは今でも俺にとってあこがれの人だ。

 その人のルーツは以前から知りたいと思っていたし、美優がミコトだと知っている今は、その美優のルーツこそ、興味深く感じていた。


 しかし、そのことは口に出さなかった。


「そうね……」


 美優は遠い目をしていた。窓の向こう、ここではないどこかを見ている目付きだった。


「ほかに居場所、なかったのかもね」


 ぽつりとそんなことを言う。


「……居場所?」


 俺は、なんて反応して良いのか、悩んだ。


「気にしないで。好きだったのよ、物語が」


 美優は何かをごまかしていた。しかし、それを追及することはできなかった。


 そのときは作業に励んでいたのが幸いだった。

 ただ、美優の寂しげな様子は、俺の中にわだかまった。


 青春小説を書いてはいても、青春はできていない。

 そんな彼女の悩みは、彼女特有の(目付きが悪すぎるというような)性格ゆえの不器用さだと思っていたが、本当はもっと深刻な何かを抱えているのだろうか。


 俺は、踏み込みようもない深い溝を、急に感じはじめていた。


 やがてマユミたちが温泉から戻ってきて、暇つぶしに大貧民やろうなんて話の流れになって、そのまま大盛り上がりしてしまって、そのまま食事の時間になって――。


 そんな風に時間が目まぐるしくめぐってくれたおかげで、俺がちらりとつまずいた疑問も、吹く風のようにかすんで消えてしまうのだった。

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