9話  週末のひと時②

 バスの向かった先は、想像の遥か上を行って鮮やかな世界だった。


 山に入ってすぐに、黄色や赤の彩りが山の斜面を染め上げているのが見えた。

 マユミは眠っていたけれど、思わず叩き起こしたところ、思わぬ窓外の景色に歓声を上げっぱなしだった。


 それは温泉街に着いてからも同じで、風情のある街並みが紅葉の山間にたたずんでおり、異世界にでも迷い込んだような雰囲気に、俺たちはすっかり魅了されてしまった。


 年寄りみたいだと散々文句を言っていたナオメグコンビも、今や別世界の美しさにとりことなって、あっちを見てみよう、こっちを見てみようと、スマホ片手にせわしなく駆けずり回っていた。

 そんな様子を見ているのも、なんだかほほ笑ましい。


 昼も近く、そろそろ腹も空いてきていたのだが、まさに花より団子と正反対の状況になっていた。

 ほんの身近にこんな胸を打つ美しさがあるなんて、俺は思ってみたこともなかった。


「こんなところに鐘があるね」


 美優は、ふもとを見晴らす高台に、ちょっとした鐘が据えられているのが気になったらしい。

 マユミは先走るナオメグを追いかけてどこかへ行ってしまっていたから、今は俺と美優のふたりだった。


 美優は物珍しいらしく、鐘を鳴らした。

 秋晴れのすきとおった空に、すずしい鐘の音色が響く。


 ふと気が付くと、カップルがちらほら、順番待ちをしているのが見えた。

 ……よく見たら、その鐘の側には、「恋人の聖地、幸せの鐘」なんていう文言の彫られた銀のプレートが据えられている。


 それで俺と美優はなんだか複雑な気まずさに包まれて、そそくさとその場を退いた。

 はたから見れば、俺たちもカップルに見えたことだろう。


 気分をごまかすように、温泉街を練り歩く。


「マユミちゃんたち、どこ行っちゃったんだろうね……」


 美優がぽつりとつぶやいたのも、気を紛らわすためだろう。


「……ずいぶんはしゃいでやがったからなあ、ったく」


 俺もやや大げさに言いながら、辺りを見回す。

 すると折良く、向かいからマユミが歩いてくるのが目に入る。


「お~い、どこ行ってやがったんだよ?」


「あ~もう、ナオメグの奴ら、見つかんなかったよ~~」


 マユミはやや息を切らした様子である。

 こうして第三者が加わったことで、俺と美優の間の微妙な空気もなんとか解消できていた。


「あいつら探してお前まで行方不明になってどうすんだっての」


 俺は相も変わらずやや大げさ気味にマユミに突っ込む。

 美優はきょろきょろと辺りを見回しているようだったが、


「私、ちょっとそこの神社、お参りしてくるね」


 すぐ近くの神社のほうを指差し、そう言う。


「お~、行ってこ~い」と俺は見送り、美優は手を振ると神社のほうへ走っていく。


 京都とかなら俺も神社仏閣を回ったりするが、こういうとこでも土地の神様に挨拶をしようというのは、なかなか殊勝しゅしょうで、いかにも美優らしい。


「んで、どんな感じよん?」


 マユミが唐突になれなれしく肩なんか組みながらたずねてくる。


「……って、わ!」


 こいつは自分の女としての武器をあまりに自覚してないんじゃないかと思うときがある。

 もしくは自覚してわざとやっているのか。

 そんなに密着するものだから、腕の辺りに妙にやわらかい感触が当たっていて、どうしようもない。


「なにさ~、なんも進展ない感じ~?」


「進展って……なんのだよ!」


「ふふ~~ん、そんなの決まってんでしょ~ん。なんのためにこんなとこまで来たのよ~ん?」


「……お前なあ。楽しむベクトル、間違ってんぞ」


「そうなのかなあ~?」


 マユミは俺から体を離し、つまらなそうに頭の後ろで両手を組む。


「あんたがあの子との関係、どう思ってんのかはしらないけどさ。女は誰にだってすがるわけじゃないからね?」


「どういう意味だよ……」


「期待してもいいんじゃない、ってことよ?」


 その言い振りは、俺が美優に心惹かれつつあることを見抜いている、という風だった。


「そういうんじゃないさ」


 俺はちょっとセンチな感じで言った。


「それが理由で協力してるわけじゃない」


「まっじめだね~ん」


 マユミはやれやれといった感じで言う。


「言っとくけど、そのやさしさは魅力でもなんでもないからね?」


「……わかってるさ」


「女の子は、ちゃんと気持ち良く口説いてあげなきゃダメだよ?」


 美優がときどき見せるのとは違うタイプの小悪魔さで、そう言う。


 これだ。こいつにはこういう感性を時にひしひしと感じさせられる。

 本当に、なんで俺の周りには文才のありそうな奴ばかり集まってくるのだろう。


「……ったく。その才能、俺にも分けてもらいてえぜ」


 深いため息と共に、俺はマユミに聞こえないよう、そう言った。


「なんか言った~?」


「いや、なんでもねえ」


 だが、これはこれで楽しい。

 楽しいことを楽しむのは、モノ作りの基本だろう?


「さて、俺らもお参り、行っとくか?」


 少なくとも、今この瞬間は、ほかでもない自分自身の力で切り開いているのだと思いたかった。

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