8話  週末のひと時①

 その次の土曜日。

 俺は生活圏では一番大きいターミナル駅のバスロータリーに向かっていた。


 到着すると、ギャル三人はすでに到着していて、あとは美優の到着を待つばかりであった。


「温泉とかひっさびさ~」


 休日らしくサングラスなんかを額に差したマユミは、山というより海にでも行くのかという出で立ちだ。


 カラオケの後に美優が恐々と伝えた願い。

 それは、現実に友人たちとお出かけがしてみたい、というものだった。


 季節はちょうど秋だった。

 マユミが、それならちょっと遠出するのもいいんじゃないかと提案し、美優がその具体案として紅葉狩りを上げたのだった。

 ナオとメグは「年寄りみたい」とあまり乗り気でなかったが、そこは社会勉強だからと、マユミの強引なノリで押し切られてしまった。


「小遣い前借りするのが大変だったけどな……」と俺は、軽くげんなりした表情である。


「バイトしろってえの」と、ナオがスタバのコーヒーを飲みながら言う。


 この子はこうして何かしらを飲んでいることが多いようだ。


「早乙女のやつ、遅いし~」と、メグが口を尖らせる。この子はこんな風に口を尖らせた表情がやけに板に付いている。


「乙女は準備が大変なんじゃないの~。あたしらとは違うのかもね~ん」


 サングラスを額から取ってくるくると回すマユミは、まったくもっていつもと同じ調子だった。


「はぁ~? うちらが女子力ないってえの~?」とナオが不平を言えば、


「うちらはジンソクなだけだし~」とメグも口を尖らせる。


 俺は時計を見る。確かに待ち合わせ時間を数分過ぎていた。普段は真面目な美優にしては意外だった。


「ん〜、あたしらが待ち合わせ場所、間違えてたりしないよね~」と、マユミが縁起でもないことを言う。


「あのな……あいつに連絡してやったの、お前だよな? 間違えるとしたら、お前しかいないわけなんだが……」


「ん~~~、まあね~? でも、そのときはそのとき、でしょ? 日本は狭いんだし?」


 いや……それだと日本中、お互いに捜し歩くことになってしまうが……。


「ごめん! 待たせちゃった!」


 息の上がった声が呼びかけてきたのは、そのときだった。

 早乙女美優、その人の声である。


「お~お~、主役は遅れて来るだね〜、って……」


 振り返ったマユミが、心なしか硬直している。

 俺もその視線を追って、マユミ同様、やや固まった。


 そこに立っているのは早乙女美優、その人……のはずである。

 ただ、淡い色のワンピースに同系統色のニットセーターを羽織り、ウェーブの黒髪を伸ばしたその面影は、一切見覚えがない。


 第一、眼鏡を掛けていない。


「普段お出かけとかしないから、準備に手間取っちゃって……」


 申し訳なさそうに、しおらしくそう言うが、俺とマユミが硬直しているのはそこじゃない。


 恥じらい乙女とはこのことか? 何やらキャラまで違うように見える。いや、このメンツでつるむようになってから、彼女はずっとキャラ迷走したままではあったが……。


「いや……いいと思うけどね〜ん……」とマユミはややたじろいだ様子で、


「ほら。このバカもこんなに見惚れてることだしさ」と、なぜか俺のほっぺたを思いっきりつねる。


「いってえよ! 本気でやんな!」


「んあ~~! これだから無粋な男は嫌だねえ~~~~!!」と、マユミはなおも俺の背中をバンバン叩くなどの暴行を続ける。

 どうやらテンパってるのはこいつも同じようだ。


 そこで横からナオが、


「早乙女、雰囲気違うからアセったわ~」と、穏やかに美優に歩み寄れば、


「早乙女~、デートに行くみたいだよ~」と、メグも反対サイドから挟むように距離を詰める。


 このふたりはなんだかんだと、バランスの取れたムードメーカーだ。


「えっ!? 私……変だった!? コンタクトとかも、普段はしないし……」


 目を白黒させる美優は、ミコトのイメージとも、教室でひとり分厚い本を開く文学少女のイメージとも違った。


 人間、こんなに色々な表情があるもんだな……と、俺は美優を茫然と見つめていた。


「どうしたのかな、青春少年」と、そんな俺の肩にマユミは手を置く。


「もしかして、マジモノで惚れちゃったかな?」


 俺はため息をつくと、マユミの手を肩からどかす。


「あいつは、自分の小説に真剣なだけなんだ。勘違いしちゃいけねえよ」


「今日は小説関係ないよ、青春くん」


 マユミは急に大人びた声を出す。こいつもキャラのわからないやつだ。いつものつかみどころのなさが天然なのか、それも自ら演じる何かしらなのか。


 この日、向かおうとしているのは、バスでニ時間ほど離れた温泉地だった。

 世間的にも割と有名で、往復のバスで格安の旅ができるので今回のチョイスだったのだが、到着したバスに乗り込む旅行客はまばらだった。

 朝早い便を選んだのが幸いしたかもしれない。

 おかげで、こちらは五人というそれなりの御一行様でありながら、肩身狭い想いもせず、それなりにゆったり過ごすこともできそうだった。


 俺の隣りは、美優だった。

 せっかくの旅行なのだからと、俺は窓際を譲った。


「ありがとう」とそっけなく礼を言った美優は、いつの間にか俺のよく知る窓際の文学少女に戻っていた。

 俺に対してあきれたような、馬鹿にするような態度を取る、いつも通りの美優だった。


 まったく……今が素直じゃないのか、マユミたちといるときが普通じゃないのか……。

 けれども、俺はそんな掴みどころのない彼女から、目が離せなかった。


「……なによ、何か言いたいことでも?」


 眼鏡を外しても、こちらを刺し貫いてくるようなあの視線は、変わらなかった。

 けれども今は、そのキツさに懐かしささえ感じてしまう自分がいる。


「この前の歌、本当に良かったよ」


 俺は、あえて関係ないことに話題をそらし、自分の中のモヤモヤからも目をそらす。


「ただの気晴らしよ。書けないとき、小説とは別に、何か表現したくなるときはあるの」


「でも、その小説だって、ただ気を紛らわすためだったのに、あれだけ人気が出てる。すごいよ、お前」


「ほめないでよ。悩んでるんだから、私はさ」


「力になれてたら嬉しいよ、少しでもさ」


「そうね……。実際に助かってるわよ、それは本当」


 窓の外に見入る美優は、景色とは別のところに想いを馳せるようでもあった。


「たぶん、ひとつずつピースが嵌ってるのかな、とは思ってるの」


「それは、物語の?」


「ううん、私自身の。ほら、自分の青春も満足に成立しちゃいないのに、虚構の青春ばっかり書いてきちゃったから」


「ああ……。そういう……」


「でも、誰かとカラオケに行くのも初めてで、今度は誰かとお出かけに行くのも実現して。ほら、こうやって少しずつ成長していくような感じ、物語みたいでしょ?」


「はは……、早乙女をヒロインにして育てていく、リアルな育成ゲームみたいだ」


「それね」


 おかしそうに笑う姿は、今までとは違うリラックスを感じさせてくれた。


「一歩一歩、前に進んでこうぜ。それこそ物語、書き進めるみたいにさ?」


「あんたも私も、小説はちっとも進んじゃいないのにね?」


「そこは……リアルタイム型の物語ということで……」


「なによ、それ」


「でも、楽しみだよな。これも物語だって思うと。梁田だって、思ってたよりずっといい奴だし」


「ああ、マユミちゃんね。あの子、独特な空気、持ってるもんね」


「天然ボケなふりしてるけどさ……」


「わかる。意外と自分の世界、持ってる」


「そうそ。ぶっちゃけ早乙女以上に、気取ってる」


 俺の斜め前に座るマユミが、噂されている気配を察してか、怪訝そうに俺を振り返る。けれども、そんなことさえ、今の俺には愉快に思えてならない。


「ちょっと! 早乙女以上って、どういうこと?」


「言葉のまんまの意味だけど? 文学少女さん?」


「ふうん……。あんた、そういう目で私のこと、見てたんだ?」


 いかがわしそうな目つきをする美優は、それでもまんざらでもなさそうで、


「……ま、そんなあんたに、助けられてるのも事実だから」


「たぶん、そのうちに書きたいって、また思えるんじゃないかな?」


「まさに、魔女の宅急便ね」


「そうすりゃ俺も、ミコトの小説が読み続けられますよっと」


「あら、最初からそれが目当て?」


「さあ? でも、イチファンとして、当然のことかもしれないのはある」


「なるほどねえ……。その心意気に、賭けてみるのも悪くないかも。私自身としても、ミコトとしても」


 この先、どんな“物語”が待ち受けているのか、それは俺にもわからなかった。


 でも、小説だって、先が分からないからこそ、紡ぎ出すのが楽しいというものだ。

 今の俺は、ちょうど物語の主人公の行く末を構想するように、あこがれたミコトの、迷いに満ちた未来を、共に切り開いている。


 そう思えば、なんてことのないこういった日常の出来事でさえ、特別な何かを切り開いているようで、確かな手ごたえを、感じずにはいられないのだった。

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