6話  青春宣言

 それからしばらくは、俺は美優との青春宣言を何か具体的に実践することもなかった。


 ときどき一緒に帰ったりだとか、昼を一緒に食べたりだとか、それとなく時間を共に過ごすことは増えた。

 周囲からは、付き合ってるものと言われていたかもしれないが、もはや周りの目はどうでも良かった。


 とにかく、期せずして俺は美優の心の奥に眠っていた感情に触れてしまったのだ。

 それは、きっと長い間、寄り添う人もおらず、閉じ込めていた感情だ。


 なんとなく、責任は感じていた。

 仮初めであれ、俺が寄り添うべきではないのか、と。

 美優は俺があこがれたミコトその人だから、という想いも、少なからず影響はしていた。


 そうやって、ひと月くらいが経った。


 うちの高校では、毎年恒例のマラソン大会があるとかで、これが少し離れた河川敷で20kmくらいを走る大掛かりなものなのだ。

 持病でもない限り、基本的には在学生全員、強制参加だ。

 もちろん途中リタイアも許されてはいるので、体育系の行事が不得手な層は、もっぱら監督教官の見ている間だけ走って、その先は仲の良い相手と駄弁りながらリタイアまで時間を潰すのが通例なのであるが。


 俺は運動が苦手というほどでもないので、マラソン大会の当日は、疲れすぎないペースでのんびりと走った。

 なんとか一度も止まらずに15kmを過ぎようかという地点で、誰かが俺の隣りに並んだ。


「やあやあ、青春少年くん」


 誰かと思えば、梁田マユミだ。


 ギャルはこういうの、真面目に参加しないものと思っていたが、こいつは体育の授業での練習のときから、割りと真面目に走っていることが多かった。

 今も俺はたぶん、真ん中よりは上位を走っている。一応男と女の体力差もあるはずだし、こいつもそれなりには本気のペースで走っているはずだ。


 問題は、なぜ俺の隣りにわざわざ並んできたのか、ということだ。


 いざ並んでみると、こいつは俺よりずっと背が高い。170cm以上はゆうにあるはずだ。

 今日はジャージの胸もわがままに揺れていたりはしない。きっと、さらしかなんかを巻きつけているのだろう。

 男の目からすれば巨乳は欲情の対象でしかないが、巨乳には巨乳なりの悩みや工夫があるのだ。


「調子はどう~?」


 やや息を切らしつつ、こいつらしいマイペースな感じでたずねる。

 とはいっても、こいつが俺にまともに声を掛けてくるのなど、たぶん、これが初めてだ。


 片や陽キャ中の陽キャ、片や陰キャ中の陰キャ。

 しかし、よく考えればこいつも、クラスで特定の誰かとつるんだりはしていなかった。あのナオだかメグだかにしても、クラスは別だ。

 こんなナリだから、周りに嘗められることもない。例の残念なイケ男も、こいつには一度も絡んだことがないくらいだ。美人は美人なのだが、どちらかというと美人すぎて手が出せないのだ。


 こいつこそクラスで孤高の地位にいる人だった。

 狭い世界でせせこましい生存戦略を繰り広げる同級生たちを、冷ややかに傍観さえしていたかもしれない。

 そんなこいつの目に、俺はどんなふうに映っていたのだろう。


「残り五kmだしな。そのくらいの余力はありそうだよ」


 俺も息が上がりながら言う。おかしな組み合わせかつ、心なしか周りの視線も感じるこの状況で、それでも平常心で済んだのは、きっと疲労のおかげだ。


「マラソンじゃなくってさ~、青春のほうよ~」


 マユミはぴったり並んで走りながら、言う。


「故意じゃないとはいえ、聞いちゃったしさあ。悪いなあとは、思ってたんだよね~」


 走る呼吸に合わせるように、途切れ途切れに言うのだった。


「……そういうの、気にするんだな」


 俺も呼吸の合間に返事する。


「あ~~~……さすがに……限界かも……。ちょっとさ、話しながら歩こうよ~~……」


 マユミはズルズルと崩れるように退いていった。

 俺も合わせて足を止めた。本音を言えば、俺もずいぶん前から、歩いてしまいたい欲求には駆られていたのだ。


「……意外だな。俺みたいなの、眼中にないと思ってたのに」


「そうでもないよ〜。何かがんばれるのって、えらいじゃんね〜?」


「あいつに比べれば、大したことないよ……」


「あいつってのは、早乙女のことよねん?」


 マユミは間延びした声でたずねる。揶揄する感じも、悪く言う感じもない。

 こいつは恐らく本音から、クラスのひとりひとりを対等に傍観しているのだろう。


「どんな感じなのよ~あの子とは? 付き合ってる……ってわけじゃ、なさそうだけど?」


「さすがだな……。その辺、見抜けるのは」


「だてにチャラチャラしてきてないもんね~。ギャルってさ~、実は人を見る目、あるのかもよん?」


 へらへらと笑いながらも、マユミはぜえぜえと荒い息をする。

 もしかしたら、俺を見かけて、がんばって追いついてきてくれたのかもしれない。


「ずっと気にしてはいたんだよ。あたし、いい奴だからさあ」


「で……このタイミングで話しかけるってわけか」


 俺はなんだかおかしくて、苦笑した。


「なんかね~……今だったら絡めそうって、思ったわけよ~」


 相変わらず荒い息をしながら、マユミは言う。確かに、こういう余計なことを考える余裕もないときのほうが、好都合ではあるのかもしれない。


「で、なんだっけ。青春だっけ? 君らがしようとしてんのはさ~?」


 やはり、あのときの会話は聞こえていた、というわけだ。


「笑っちまうだろ。青春しよう……だなんてさ」


「ん~……、わかんなくもないけどねえ。青春、青春かあ。走んのも青春っちゃ青春だよねえ……」


「はは……。陸上部でも入れってか」


「部活とか、ダルイっしょ。ま、今はもうちょい、走りますかね」


 マユミはそう言うと、軽いペースでマラソンを再開した。


「こういうの、絶対真面目にやらないタイプだと思ってたけどな?」


 俺も並んで走りながら、そうたずねる。


「あたし? まあ、かもね。でも、意外となんでもゼンリョクでやるタイプだよ。それこそ、青春? かもしれないよね〜」


「見習わねえとな、俺も」


「あたしみたいなの見習ったって、ろくなことないよ?」


「でも、充実してそうだよ」


「んじゃ、真似してみる?」


「真似って……」


「君らの青春、プロデュースしてやろうってわけ」


「プロデュースって……」


 マユミはどこか楽しそうだった。


「あの子にはえらそうなこと言ってたけど、君だってろくすっぽ、遊んでないんじゃないの~?」


 妙に勝ち誇ったように言う。ぶっちゃけ、図星も図星だった。


「だったらさあ、その辺は経験者にね、任せるのが筋かもしれないじゃんねえ?」


「それってさ……」


「ふふ~ん。興味ありそうだねん?」


 マユミは、美優のそれとも違う、小悪魔な笑みを浮かべた。


 それからは残りの数km、俺はマユミの企みを色々と聞きながら走ることになった。

 一番きついはずのマラソン終盤で、疲れなど吹き飛んでしまっていた。

 どうやら俺は、意外すぎる相手を巻き込んでしまったようである。

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