5話 美優とミコト
月曜日から、空はとてもよく晴れた。
昼休み、俺は購買で手早くパンを買ってしまうと、屋上に向かう。
本当は入っちゃいけないはずのここに人は他におらず、美優だけがフェンス際に、ちょこんとたたずんでいる。
「よっ、待った?」
軽い感じで会釈するも、美優は押し黙って、あの冷たい視線をじっと俺に向けているのだった。
俺は気まずいまま、その隣りに並ぶ。
「……呼び出してごめん」
美優はポツリと小さく、つぶやく。
土曜日、あの衝撃的な未知との遭遇のあと、美優は事の真実をすぐには話さなかった。
「ごめん! このことは、また詳しく話すから……!」
すっかり取り乱した彼女は、ひっくり返った声で、そう主張するばかりだった。
「……驚かせてごめん。でも、今日はもう帰りたい……」
そう乞われて、その日はそのまま解散したのだった。
日曜の夜になって、彼女からメッセージが届いた。
「明日の昼、ちょっと時間もらえる?」
そうして、俺は立ち入り禁止の屋上に呼び出された、というわけだ。
「口、すべらせちゃうとは、思わなかった……」
美優は力ない感じでそう言い、力なく座り込んだ。
だから俺も、その隣りにそっと腰を下ろす。
「もう分かってると思うけど……あんたの好きな小説の作者、ミコトは……この私……です」
「本当に、マジ?」
「マジ」
俺の顔も見ずに、美優は言う。
こいつには、文学少女のイメージしかなかった。まさかWeb小説なんて、想像もしなかった。
「私も驚きだったよ。まさか、うちの高校に読者がいたなんて。ミコトのことは、隠しておくつもりだったからさ」
「でも、結構人気だろ? すげえじゃん、お前」
言いながらも、内心動揺が隠せなかった。
それもそのはず。なんせミコトは、俺のあこがれの人なんだから。
そのミコトが、俺のすぐ隣りにいる。
「最初、ここまで伸びるとは思わなかったよ。Web小説、あんまり読んだことないのは事実だし。気を紛らわせたかっただけなのに、さ」
「気を、紛らわせる?」
たずねたとき、美優の横顔に憂いのようなためらいのような表情が浮かんだのが印象的だった。
「私さ、一度、ほかのサイトで失敗してるんだ。そのときは、書きたい小説、書いててさ」
俺の知る通り、美優は理知的な文学少女だ。己の思うような文学を、Webで発表したものらしい。
けれども、世の中には冷たい人間もいる。
PVが付かないだけならまだしも、煽りのコメントを書き込まれたらしい。
それで傷ついて、アカウントを消してしまったのが、中学三年の夏。
「だから、高校に上がったら、自分の趣味とか絶対人には話さないって、決めてた。もう傷つくの、嫌だったし。でもさ、書きたいって気持ち……やっぱり捨てられなくて」
「だから、また書きはじめた?」
「そ。ペンネームも変えて。また好きな小説、書こうと思ったけど。でも、また同じことになったら嫌だし。文体も変えて、ジャンルも変えて。それで書きはじめたのが、アレ」
「じゃあ……お前にとってあの作品は……本当は書きたくもない、不本意だったってことか?」
俺はその作品にあこがれたのだ。もし、あの輝きが嘘偽りだとしたら、つらかった。
「……ううん。そんなことない。書きはじめてみたら、楽しかったよ。あそこに書かれてることは、みんな私の本当の気持ち。でも……最近はつまずいちゃってて……」
「更新は続いてるだろ? 問題ないんじゃ……」
「あれは、書きためてた分。ひとまず、区切りのいいとこまでは書き終えてたから。でも、その続きを書こうと思ったら、苦しくなっちゃってさ……」
「……なんでだよ? 好きで書いてるんだろ?」
「……わかんない。でも、自分の本当の気持ち、わかんなくなっちゃって。この先どうすればいいのか、ぜんぜんわからなくて……。……ごめん。いつもあんたにえらそうなことばっか言って、でも、全部ブーメラン……。本当は、私自身のことなのにさ……」
「魔女の宅急便」
俺はなぜか、さえぎるようにそう言っていた。
「……え?」
「書いて、書いて、書いて書いて書いて……書きまくる」
美優が不思議そうに、俺のことを見ていた。
「それでも書けなかったら?」
美優はたずねられ、目を伏せる。
書くのをやめる。
「でも、その先どうするの? 私、自分が何をしたいのかも、わからないし……」
「だったら、一緒に探せばいいだろ? お前が好きになれること」
「あんたと一緒に? 青春しろって?」
からかうように、美優は笑う。ようやく、いつもの彼女らしい笑みだった。
「なるほどねえ……。青春小説が書けなくなったんなら、自分で青春してみればいい……ってわけかあ」
「お前、どうせひとりで本読んだり、勉強したり、そんなんばっかだろ? 友達とかいないだろ? まあ……俺もあんま、人のこと言えないけど……」
そう言うと、俺は空を振り仰ぐ。小説に没頭するようになってから、俺もすっかりクラスでひとりきりだった。
青春しようなんて口に出したところで、どうすればいいのか、俺自身が聞きたいくらいだ。
「ありがとう。ちょっと、気分は楽になったよ」
美優も、おそらく、本気にはとらえていない。
気休めに言ってもらえて、しかしそれだけでも少しは励ましになって、それだけで感謝だと、同年代にしては達観しすぎた横顔が訴えていた。
俺がミコトの小説から感じる、どこかはかなげなもろさ、そのものだった。
何か、何か知恵はないのか? 俺は自分の悪いオツムが憎たらしくて仕方ない。
けれどもそのとき、屋上の出入り口辺りから、甲高い笑い声が聞こえてくる。
「それでさ~、あのハゲ頭、ずっとえらそうに語っちゃっててさ~」
明らかにギャルのそれと分かる会話で、屋上に女子生徒がふたり、姿を現す。
土曜日に、梁田マユミと連れ立って歩いていた、ふたりだ。
屋上に現れたふたりは、俺と美優の姿を認めると、ぴたっと笑い声を止める。
「あっれ……先客いるし……」
どこか気まずそうな様子で進み出ると、辺りを見回す。
「……っれ~? マユっちぃ~? 先行ってるとか、言ってなかったっけ?」
すると、どこからともなく、答える声がする。
「ここだよ、ここ~」
ギャルふたりが、声の出所を探すように、きょろきょろと首を左右に振る。
俺もそのギャルふたりの動きにならった。すると、屋上の給水塔の上から、白い手がひらひらとなびいている。
「あらよっと。よく寝たわ~」
さっと手が引いたかと思うと、プラチナブロンドの長い髪をはためかせながら、ワイシャツの胸部が大変窮屈そうな上半身が現れる。
梁田マユミ、その人だ。
「……はあ~~~? マユっち、あんた、そこ登るぅ~?」
仲間のギャルがそりゃ確かにというツッコミを入れる中、マユミは意に介さない様子で、給水塔に取り付けられた梯子を降りてくる。
ありえないほどのミニスカートなので、そのくせ堂々と降りてくるものだから……俺は、さすがにまずいだろ、と目を背けるしかなかった。
「別に~~。あそこのほうが空も近いし、気持ちいいかなあと思ってさあ」
頭の後ろで手を組んだマユミは、まったく聞いてない上の空な様子で、空を仰ぐ。
「ま。興が冷めちゃったけどね~。行っくよぉナオっち、メグっち~」
手をひらひらさせながら、もう屋上の出入り口のほうへ向かってる。
「はあ~~? 今日ここでメシするって言ったの、あんたのほうじゃん~?」
ナオっちのほうかメグっちのほうかは定かでないが、とにかく連れのギャルがそう言い、ギャルたちは騒々しく屋上を後にしていった。
去りがてら、マユミはチラッと、気づくか気づかないかの一瞬、俺のほうに横目をくれた。
騒がしい声が遠ざかると、俺は急に現実に呼び戻された。
「聞かれた……かな?」
俺は恐々とつぶやく。
「たぶん……。でも、寝てて気づかなかった可能性も……」
最後の思わせぶりな
「とりあえず……私たちも戻ろうか?」
美優にそう言われ、俺はもう一度、はっとする。
「ああ……それが良さそうだな。意外にここ、使ってる奴いそうだし……」
また珍客が乱入する前に、俺たちもこの場を立ち去ることにした。
校舎への戻り際、俺はふと、空を振り仰いだ。
マユミが先ほど言っていたこと。ここのほうが、空が近いから――。
「そういう感性、してるんだな……」
そんなことを、おもむろに思うのだった。
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