4話  秘密の勉強会

 週末が、待ち遠しかった。


 教室ではお互い意識しなかったけれど、俺はつい考えてしまう。いきなり誘ったけどなんて思われただろうとか、こいつはどんなつもりでOKしたのだろうとか。


 とにかく、その日はすぐにやってきた。


 待ち合わせ場所は、なぜか学校の近所の広い公園の一角を指定された。美優なりに、誰かに見られるのを避けようとしたのかもしれない。


 俺は私服だった。だからきっと、美優も私服だろうと思った。

 どんな服装で現れるのか、嫌でも想像が掻き立てられた。

 目つきの悪い昭和ヒロインとしか思っていなかったのに、不本意にも俺は緊張している。


 と、そこへ、「お待たせ」と声が掛けられた。こういうときのお約束で、背後からだ。

 俺は、ばくばく心臓を鳴らせながら振り返る……と、そこにはいつも通りの三つ編みおさげに制服姿の美優がいた。


「……なんで休みなのに制服?」


「これが一番楽だからに決まってるじゃん。なんで?」


 美優は冷たい目線を俺に注いでくる。まさか変なことを考えていなかっただろうなという圧力だ。


「いや、別に」


「ふうん?」


 明らかに信じていない目をしている。


「そ……そんなことより……どこ行こうか? 駅前とかだと、さすがに混むよな?」


「公園の近くのハンガーバー屋さん。そこだったら割と空いてるし」


 圧迫するのも飽きたと言わんばかりに、美優はもう歩を進めていた。

 なるほど。確かにそこなら学校の奴らもあまり使わない。休みの日なら尚更だ。作業に集中するにはちょうど良い。


 こうして俺たちは並んでハンバーガー屋へと向かうのだったが、足並みの合わせ方からして、なんだかぎこちない。

 こんなんでいいのかな……とか、むやみに考えてしまう。

 当たり前だ。女の子と付き合ったことなんてない。距離の取り方も、話の振り方もわからない。

 店についてからも、先導したほうが良いのかとか、席はどっち側に座らせるのが良いのかとか、イチイチ考えてしまう。


 美優のほうは特に何を考えているのかもわからない様子で、席に着くとカバンから自習道具を取り出す。

 そういえば期末テストが近かった……ということを思い出しながら、俺は小説ノートを取り出す。


 さすがにいつかはスマホかPCで書くのが良いのだろうが、なんというか、最初は自分の文字で書くことにこだわった。小説っていうのは、もともと「本」なわけだから。時代がどう変わっても、自分の文字で物語をつむぎ出す感覚は、大事だと思う。


「あんた、見栄っ張りだよね」


 美優は数学の図形問題を解きながら、不意に言う。


「……あ? なんのことだよ?」


「小説。冒頭もまともに書けないくせにさ。構想があるだの、コンテストで大賞取るだの」


 生意気で小悪魔な笑みを、また俺に向ける。


「大賞かあ。言ったからには、わかってるよね?」


「あ……あったりめえよ! 武士に二言はねえ!」


 なぜか急に、てやんでえ調になる。テンパると俺はまるでピエロだ。


「期待はしてないけど、いいんじゃない? ここに読者はひとり、いるんだしさ」


 そう言って、また数学の問題に取り組みはじめた美優は、なぜだかとても楽しそうだった。


 それからしばらく、俺は小説の続きをノートに書き込んだり、構想をまとめてみたり、悩んだ部分は美優に相談したりした。

 美優はときどき気まぐれに絡んできたり、そうかと思えば俺が悩んでいる様子でも無視して問題に取り組んだりしていたが、俺が声を掛けたときは、丁寧に対応してくれた。


 彼女の意見は的確だった。さすが、いつも本を読んでいるだけのことはある。


 自分でも書けばいいのに……とはちらりと思ったが、口には出せなかった。


「ちょっと疲れたかなあ」


 やがて美優は大きな伸びをした。その弾みに眼鏡がちょっとズレて、直す仕草が、女の子っぽくてかわいかった。


 こうして改めて正面から見ると、顔立ちはフツーに整ってるほうなんだよな……。


 しゃべらなければかわいいのに。いや、黙ってたら黙ってたで、もっとかわいくないのだが……。


「なに?」


 俺の妄想をとがめるように、美優がとがった視線を向ける。


 これだ、この目つきがあまりに損してる。


「……お前、小説のヒロインみたいだなって」


「はあ!? どういうこと!?」


 こういう癖のある奴なら、たぶんヒロインの枠にぴったりだ。知らんけど。そこまで色々読んだわけではないし……。


「モデルにしたら、ギャラ取るからね?」


「その前に、まず俺の小説がカネになったらだろ?」


「あ、そのカネって言い方、ヤだな」


「だって、事実だろ? 大賞目指してんなら、なおさらさ」


「う~ん。人気って言い方のほうが好きかな。だって、小説は好きだから読むもんだし、そうやって読む人の輪ができて、それで人気が出る、ってわけでしょ?」


「確かにそうだな」


「小説って、書くのはひとりだけど、そうやって読む人が増えたら、ひとりじゃないって、思えない?」


 そう言った美優の表情は、どこか生き生きとしていた。


 もしかすると、掘っていけばこういう表情がもっと出てくるのかもしれない。


「さてと。息抜きに歩きたいかな」


「ここ出るか? すぐそこが公園だし」


「名案ね。アイディアは歩いてるときに降ってくる、とも言うし」


 俺たちはトレーを片してしまうと、表に出た。

 まだ昼を過ぎたばかりで、陽の光が心地よかった。


「ふあ~。生き返るなあ」


 美優は、太陽に手を届かせようとするように伸びをする。

 まるで、果てしないものに手を伸ばしてあこがれるようだ、と俺は不意に思う。


 信号が青になり、公園のほうへ横断歩道を渡ると、俺たちが出てきたハンバーガー屋へ向かう女子の集団がふと目に入る。

 いかにもギャル、といった出で立ちの三人。その真ん中のひとり、シャツの下から強烈に胸を主張させたギャルに、俺はぎくりとする。


 プラチナブロンドの長い髪に、透き通るような色白の肌。

 まるで外人のような雰囲気のそいつは、同じクラスの梁田やなだ・マユミだ。


「ちょ、こっち!」


 俺はとっさに美優の手を引いて横断歩道を小走りに渡った。


「えっ……!?」


 美優は意表を突かれて焦った様子だった。でも、構ってはいられない。

 あの手の人間に目撃されるのが、一番マズイような気がした。

 公園の中まで入ってしまうと、俺はようやくひと安心する。


「なんなのよ……これ?」


 美優は、つないだままの手をとがめるように口を尖らせる。


「ひゃっ!? いや、これはなんでも!!」


 俺は慌てて手を離す。


「……別にいいけどさ」


 美優はツンとしたまま先にスタスタと歩いていってしまう。


 気のせいか、頬が赤くなっていたように見えた。


 俺はその後ろから付いていく。


「この公園、よく来るのか?」


 微妙な空気をごまかすように、そうたずねる。


「たまにね。学校の帰りとか、もやっとしたときはよく」


「お前も、もやっとするときとか、あるんだな」


 そこまで言うと、ようやく美優の隣に並ぶ。


「そりゃあるよ。青春に悩みはつきものだし?」


「だから小説の主人公って、十代とかにすること多いのかな」


「小説みたいな青春なんて、そうそうないけどね~」


「お前、そもそも青春小説なんて読むイメージないけどな……」


「読むよ~、たまにはね。君が好きって言ってくれてるの、あれだって青春モノでしょ?」


「ミコトのか? 確かにそうだな。あんま考えたことなかったけど」


「普通はジャンルとか、考えて読まないもんね」


「やっぱ、お前ほどにもなると、そういうの意識すんだな」


「そりゃあね。読者層とか多少は考えるし。あれ書いてるときだって、本当に苦労して――」


 そう言ってから、美優は急に足を止めた。


 俺も数歩行ってから、足が止まる。


「……え?」


 一瞬、頭の中が真っ白になる。

 それから、何かの答えを求めるように、通り越してしまった美優を振り返る。


「あれ書いてるときって……?」


 毅然きぜんとして動じないはずの“文学少女”様が、すっかり取り乱した様子で、口元に手を当て、困惑の表情を浮かべている。


 早乙女・美優――。今さらながら、こいつの名前を思い浮かべ――。


 ミコト――。


 あこがれたあの人のペンネームが、頭の中に浮かぶ。


「…………え?」


 俺と美優とは、まるで未知との遭遇よろしく、硬直したまま互いに互いを見つめ合うのだった。

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