3話  魔女の宅急便

 こうして俺の創作生活は始まった。

 しかし悲しいかな、文才はおろか、現代文で60点以上も取ったことのない俺なのだ。


 悪友たちは俺のことを心配しているようだった。


「無理すんなって、趣味にすんのが一番って言うしさ」


 そう言うこいつは、自分自身、ずっと前にWeb小説に挑戦したことがある奴だ。

 完結させることもできず、PVが伸びないのも手伝い、すっかりモチベが死んだのだとか。

 それでたどり着いた答えが、「趣味は楽しむのが一番」というわけだ。


「少し、ひとりにしておいてくれ……」


 俺はだいぶむきになっていた。

 冗談ではなく本気になっているのがわかると、悪友たちもそれ以上からかうことはできないようだった。

 それで彼らとは、少しずつ距離ができて、つるむこともなくなっていった。


 俺は、ひとりで頭を抱えているようなことが多くなった。


 俺の物語は、冒頭2ページでいきなり失速していた。

 何日も頭を悩ませて、放課後も日が暮れるまで自席でうんうん唸ったりしていた。


 そんなある日のこと、その日も夕焼けに教室が染まる放課後のことだった。


 部活帰りの連中も帰ってしまって、俺は戸締まりを任され、ひとり教室に残っていた。

 すると、しばらくして教室の扉が開いた。

 現れたのは文学少女様、もとい美優だ。


 ほかに人はいない。

 美優は相変わらず俺と目も合わさずに、すたすたと自席へ向かう。

 俺などいようといまいと関係ない。そんな足取り。

 そうして自席に至ると、机の中を手探りしているようである。

 おそらく、忘れ物だろう。


 俺は、先日の屈辱を思い出す。むろんのことあれは俺が自分で勝手に情けない奴に成り下がっただけなのだが、やられっぱなしは悔しくて仕方ないようにも思う。

 そんな感情でさえ負け惜しみでしかないというのに、俺はあのとき、美優のページをめくる音がやけに威圧的だったことを思い出していた。

 それで、今はこちらが先に教室にいて、席に着いているということで、俺は先日の仕返しで、ペンをノートに走らせる音で圧力を掛けてやろうとした。

 さっさと用事を済ませて帰ったらどうだ、と。


 しかし、そんなことできはしなかった。

 ノートに書けそうなことなど、何ひとつ思い浮かばないのだから。

 俺はただ震えるペン先を見つめることしかできないのだった。


「魔女の宅急便、知ってる?」


 唐突に、美優がたずねた。

 俺はとっさに振り返ってしまう。

 やはり、こいつからペースを奪うことなんて、出来はしない。


「スタジオジブリの名作。知らない?」


「……名前くらいなら」


「13歳の女の子が、知らない街で修行をするお話。女の子は、挫折しそうになるの。そんなとき、画家の女の人がアドバイスをくれる。描けないとき、自分がどうしているのか」


 美優が、こちらに近づいてくる気配が伝わった。


「描いて、描いて、描きまくる。それでも描けなかったら?」


 その先は、俺も聞いたことがあるように思った。


「……描くのをやめる」


 美優は、俺の隣まで歩み寄ってきた。


「私がけしかけたみたいだからさ……責任は感じてる」


 ふわっと、なんだか甘い香りがした。


「でもね。思いつめると、作品も窮屈になるよ」


 それは、今までにこいつの口から聞いたこともないような、やわらかい声だった。

 夕陽が窓の向こうから差しているせいで、こいつの表情は、わからない。


「でも……じゃあ、どうすりゃいいんだ」


 俺は、ノートに目を落とす。


「ひとまずノート閉じなよ」


 美優はそう言うと、俺のノートをそっと閉じた。


「そういうときは、何もしない。散歩するんでも、ゲームするんでも。それから――」


「好きな作品を、読む?」


 そうたずねると、美優はなぜか、顔を赤らめた気がした。それはきっと、彼女の後ろにある夕陽のせいだった。


「……そうね。それもひとつ」


「原点は、そこだもんな」


 俺は、改めて自分のノートと向き合う。


「どうすりゃ、ミコトみたいな物語、書けるんだろう」


 何気なくつぶやいたつもりだったけれど、美優は何か物思うようだった。


「ね、見せてよ」


「……え?」


「君の書いたもの。そりゃ……Web小説は詳しくないけど。君よか小説は読んでるし、アドバイスくらい、できるかも」


「おう……それじゃ……」


 俺はためらいがちに、ノートを渡した。その冒頭部分が、小説の書き出しに当たる箇所だった。

 美優は受け取ると、真剣に読みはじめた。


「キャラクターかな……?」


 ふとつぶやき、手近な席から椅子を引いてきて座る。

 一気に距離が近くなって、俺はドキッとする。


「違う。キャラクターはいい気がする。じゃあ、なんだろう……」


 美優は俺の小説を――たとえ冒頭だけとはいえ、真剣な表情で読んでいた。

 純粋に、それをどうすれば良い作品にできるのか、考えている様子だった。


 こいつ、本当に小説が好きなんだな……。


「ね、あのさ。この主人公、どんな性格?」


「性格って……そりゃあ、どこにでもいそうな普通の……高校生かな?」


「普通ったって、色々でしょ? 陰キャなアニオタもいれば、部活に遊びに青春だー!って奴もいるじゃん?」


「……後者ではないな、確実に」


「じゃあ、学校終わったら何してるの? 友だちとゲーム? それとも夕暮れの教室で、ひとりノートを前に悩んでる?」


 そうたずねると、美優は小悪魔な笑みを浮かべた。

 それがかえって肩の力を抜けさせてくれて、俺は自然と口角をゆるませた。


「色々考えなきゃいけないんだな、小説って」


「だから、面白いんだよ。物語もいいけど、先にキャラクター、掘り下げてもいいんじゃない?」


「そうしてみる。色々ありがとな。よかったら、また――」


 言いかけて、言いよどむ。その先まで、言っても良いものか。


「……いいわよ。私で良かったら」


 美優も、なんだか照れている様子だった。


「連絡先とか、交換する?」


 これも、ためらいがちにたずねてくる。


「……そうだな」


 俺も、照れ隠しのようにそう返した。

 高校に入って、女子と連絡先を交換するのは、たぶん、これが初めてだった。


 帰宅すると、さっそく美優からメッセージが届いていた。


「言い忘れたけど、考えるときは、ひとりじゃないほうがいいよ。煮詰まるより、話す相手がいたほうがいいし」


 それを見て、俺は妙にほっこりした気分だった。


「じゃあ、今度の週末、一緒に作業する?」


 とっさに、そう返していた。

 自分で打っておきながら、急に冷静になる。


「暇だったらでいいけど」


 そんな追撃を入れてしまう。


 何やってるんだ、俺……。


 部屋を右往左往する。

 これじゃまるで……誘ってるみたいじゃないか。

 いや、現に誘ってるし、でも、これはそういう意味じゃないし……。


 すると、少し遅れてスマホが通知音を鳴らせた。

 俺は飛びつくようにスマホを見た。


「土曜だったら空いてるよ」


 彼女からの返事は手短だった。

 俺はほっと胸をなでおろす。


 期せずして、俺は休みの日に女子とふたりっきりで会うことになった。

 小説も書き進んでいないのに、俺自身の物語は、急に動きはじめているようだった。

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