花❀巡り — 桜野叶う

 

 パッと視界に入ったのは、何とも清美な、純白のバラのような花々。

 でもこれは、バラではない。これは、クチナシの花だ。

 ここは、とある街中にある、私の通う高校の校門前。

 私は、ネットでこの花を見かけて、一目惚れした。いつか生でも見てみたいと思っていた。案外、身近なところに咲く花だったらしい。

 これがクチナシの花。きれいな花だ。理科で習ったように、手で仰いでみる。ほのかに甘い匂いがした。これがネットにもあった、クチナシの花の匂い。

「クチナシ?」

 声をかけられた。私はあっと目を大きく開いた。何に驚いたかって、その声は男の子の声であったことか。ずっしりしていて、でも軽くて。ちょっぴり、クチナシの匂いのような甘さもあるだろうか。

 湿気混じりの、温暖な風が、髪を揺らした。

 声の主の男の子は、私のすぐ隣で屈んだ。彼が放つ、特別な妖術か何かの仕業で、私の体はカチコチに固まってしまった。首を動かして、彼の姿を捉えたいが、できない。かろうじて、横目で彼の横顔を捉えることはできた。きれいに整った横顔。目はつり目。髪は短髪。スポーツでもやっているのだろうか。

「綺麗だよねー、クチナシ。香りも良くって。これは八重咲きのヤエクチナシっていうんだ」

 固まる私には、構わない様子だ。

 少しだけ動けるようになったので、全身を見てみると、見事に荒れた格好をしていた。制服はだらだらに着崩しているし、右の耳にはピアスをしている。これはいわゆる、ヤンキーってヤツか。

 しかし、不思議だ。

 見るからにヤンキーって格好なのに、全然オラっている様子もない。むしろ、ソフトで、慈しみの眼差しを、クチナシの花に向けていた。ただの心優しい少年である。

 これはいわゆるギャップというやつか。

 バラのような形をした、八重咲きのヤエクチナシ。これは私も知っている。なんせこの花が好きであるからだ。極力、家の外には出ない私の、好きに対する情熱を、ナメてもらっちゃあ困る。

「俺は羽根田うねだ日亜にちあ。ヨロシク」

 彼は私の顔を見て、にっと笑顔になった。

萩野はぎのみそはです」

「……じゃあ、ミソりんで」

 ミソりん? 初めて呼ばれる呼び名だ。  

「俺、花とかめっちゃ好きでさ。でも、俺の周りは野郎ばっかで同士全然いなかったから、クチナシに夢中のミソりん見かけて嬉しくて、つい声かけたんだ」

 まだ会って数秒としか経ってない私に、そんなに全部話せてしまうんだ。自分の胸中の気持ちとかを。

 じゃあねー、ミソりん。と手を振って、彼は、校門から出る生徒たちの中に紛れていった。

 きれいな顔の、眩しすぎるあの笑顔。

 つんと燃える、胸ん中。ソフトで素敵な男の子、日亜くん。

 

『オイ。ナニヤッテンダヨ』

 家に帰ると、説教タイムが始まった。今日は、特にデカいことをしでかしてしまったから、特にご立腹の様子だ。

『オメーナ、ドーセコンカイノモ、ムナシクオワルダケナンダカラヨ、メンドイコトバッカニクビツッコムナヨ』

 そうグダグダと説教を垂れているのは、私の胸中に住みついている、イフさんというモノ。

『ちょっとイフ! うるさいことばっかいってんじゃないわよ!』

 イフさんを叱責するのは、同じく胸中に住み着く、りんこさんというもの。

『りんこ。ナニシヤガルンダ、オメーハイツモ!』

 イフさんとりんこさんは、いつもこんな感じでバチバチだ。

『みそはは、かわったよ。まえよりもずっとせいちょうしてる』

 りんこさんは、いつだって私の味方をしてくれる、

『ナニガセイチョウシテルダ。イエヲカエテ、マルッキリカワッタツモリニナッテ、デモヨエーノハカワラナイ』

 イフさんは、いつだって私にとっての鬼となる。毎回、痛いトコを突いてくる。

 私はこの春、生まれ育った家を出た。そして、一人で暮らすことを決意した。

 マズいと思ったのだ。これまでの私は、何でも他人に任せっぱなしで、自分から“進んで物事をする”なんてことはできなかった。

 ずっと口を閉じていたのが大きいか。家族以外の誰かと話した記憶なんて、とんとない。それを何とかしたいってのもある。遠く離れたこの地には、私を話さないものだと認識している人はいないから。

 身の回りのことは全て自分一人でこなさなければならない。器用ではない自分には結構ハードな生活が始まって、はや一、二か月と過ぎていた。実にハードな毎日だ。

 心機一転、新しい自分になろうと心に決めたが、そう簡単には変われない。

 強度の人見知りを持っていた。自分から声をかけるのもためらうし、かといって、急に誰かに声をかけられても戸惑うし。アニメや漫画によくあるような、“ 気の置けない仲間 ” とかいうやつは、私には縁のない存在なのだと痛感せざるを得ない。私が学校で口を開くのは、必要最低限のやりとりのみ。口数の少ない人間である。

 やっぱり、長年やってこなかったことを急にやろうとすると、慣れていないためか、難しい。

 練習しようも難しくて、長く音読するも段々キツくなって、長続きしない。

 皆は呼吸をするが如く、スラスラとたくさん話せているが、どうしてそんなにスラスラと話せているのか、疑問に思う。

 ……結局、私は変わっていない。

 物悲しさが広がった。水面に広がる波紋の如く。

『じぶんをしんじて。みそはならできるわ。だいじょうぶよ』

 今も時折、あの顔が私の脳裏に浮かぶ。クチナシの花を愛おしんでいる、あの表情を思い出すと、心がきゅっと締まる。じんわりと熱も出てくる。

 

 私はわからない。何が正しいか正しくないか、私にはわからない。

 この恋心は正しいのか。正しくないのか。

 遠いこの地で、一人で暮らすという決断は、正しかったか、正しくなかったか。

 確かな答えなどないとわかっていても、求めてしまう。

    

 部活は美術部に入っている。単純に絵をかくのが好きだから。でも、ただそれだけだ。技術面なんかは、まだまだ乏しい。当然、私よりもずっと絵が上手い人なんて、わんさかといる。そりゃあ、美術部だから。

 絵を描くのって、基本的には一人でやる作業だから、人と会話する必要はそんなにない。

 しかし、一年生の間でも、すでに仲良しグループみたいなのが誕生していて、仲良く雑談でもしながら、絵を描いていた。

 私は相変わらず、一人で絵を描いていた。目に慣れた情景だった。……やはり結局は同じことなのか。

 ただ、私の隣に座る、ハーフアップの女の子は、私と同じように個人で活動していた。

 これはチャンスだと思ったが、ここで問題が浮上した。

 どう声をかけたらいいのだろう。何を話せばいいのか。わからない。

「今日は天気がいいね」というか。でも、今日はあいにくの曇りである。曇りだって、素敵な天気と捉えることはできるが、そうではない。

 絵に集中している人に、声をかけるその第一声が、「天気がいいね」って、明らかに場違いだ。相手も戸惑う。どうしようか。

 ふと、日亜くんの顔が、目の前に浮かんだ。クチナシの花を慈しんでいた、優しい表情をした、彼の映像が。

 私は、彼女の絵をそっと見た。華麗なアーマーを着て、薙刀を構えている女の子の絵を描いていた。私よりもずっと上手い。

「すごい。かっこいいね、その絵。薙刀だ」

 なんて不格好な文だこと。

 彼女は私を見た。そして、照れ臭そうに絵に目を落とした。

「薙刀、知ってるの?」

「知ってるよ。好きだし」

 ホント? 表情に明かりが灯った。

「ここの高校、薙刀部あるんだってね。最高じゃない? 私は音痴だから入らなかったけどさ」

「同じく。武道系だから、ちょっと怖いよね」

「わかるわかる」

 彼女の名前は、たしか五島ごとう香花きょうかさんといった気がする。

「練習風景でも、見てみたいよ」

「かっこよそう」

「だよね」

「行ってみる? 今から抜けてさ」

 私はノリにのって、こう提案してみた。そしたら三年生の部長さんに、ダメだよ! と注意されてしまった。鋭い。

「じゃあ、帰りに武道場によってみる?」

 香花ちゃんがいった。

「うん、いいね」

 

 部活が終わって、香花ちゃんと二人で、薙刀部の武道場にやってきた。古民家のような、体育館よりひとまわり小さい建物だ。

 玄関の扉は開いていた。こっそり潜入することにした。武道場に通じる扉は、中途半端に開いていた。中から声が聞こえる。そっと中を覗きこんだ。

 和風な木造の道場。床も木でできている。そこでは一人の薙刀部員が、居残って自主練をしていた。しんと静まっている空間に、一つの勇ましい声が響いていた。

 部員は完璧に武装していて、顔は見えないが、声からして男の子だろう。胴の下の垂れているとこには、羽根田とあった。

 日亜くんだ。改めて聞いてみると、声も彼の声である。

 しばらくして、声と動きが止まった。そして、面を外した。つり目の、整った綺麗な横顔に、フレッシュさを感じる短髪。キラリと光る耳元のリング。胸のときめきから、完璧に日亜くんだと確信した。

 薙刀部だったんだ。花が好きな、美形薙刀男子。……萌える。

「終わったらしいし、帰ろ」

 後ろから、香花ちゃんが小さく声をかけた。「うん、そだね」 

 このままずっといても、バレるだけだし。 

 

   

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