第六、ヒガンバナ
八月も終わって数日が経った。夏も終わって、秋の匂いが日に日に増えていく。
日亜くんと見た立派なヒマワリの花も、すっかり元気を無くしてしまって、下を向いて、ポロポロと硬い滴を落としていた。私の大好きなクチナシの花もとうにシーズンが終わっており、低木には花は一つも咲いていない。
もう季節が過ぎたんだな。もう秋がやってきたんだな。そしてこれから、寒い寒い冬が来る。
サクラの咲く春の季節が来るときには、ワクワクしてくるのに、コスモスの咲く秋の季節が来る頃というのは、なぜか暗鬱な気分になる。サクラもコスモスもきれいで好きなのに。
あと、秋の花といえばヒガンバナ。「一緒に見に行こう」と日亜くんと約束したことは忘れていない。忘れるわけがない。早く咲く時期にならないかと密かに焦がれていた。その思いは時期に近づくにつれて大きくなり、破裂寸前のところまで膨れ上がっている。いつまでもつか。
『あとちょっと! たのしみね、みそは。わくわくするわ』
『ッタク! イツニナッタラハナガサクンダヨ! ドンダケマッタラミニイケンダヨ、クソッタレ!』
りんこさんも、意外とイフさんも、ヒガンバナの開花を心待ちにしていた。
「よー、ミソりん」
私のクラスの教室に、日亜くんがやってきた。モモくんとトウくんも連れて、堂々と私を呼んだ。
「そろそろヒガンバナの時期じゃない? だから、見に行こうよ」
ついに来た、この時が! 感無量だ。ついにヒガンバナを見にいける!
『やったー! ついにみにいけるんだね。よかったね、みそは」
りんこさんも大喜びだ。
「ミソちゃん、楽しみにしてたやつだよね」
と香花ちゃん。この話はちょくちょくしていて、一回彼女とも、例の公園に足を運んだことがある。当然ヒガンバナは咲いていないものの、馥郁と漂うクチナシの匂いに親しんだり、ベンチに座ってゆっくりとしてみたりしたものだ。
「しかし、もうヒガンバナが咲く時期なのか〜」
「早いね〜。時間が過ぎるのって」
「次はもー、三年だよ。まだ何も決まってないのにー」
先輩たち三人は、しみじみと浸っていた。気持ちは痛いほど分かる。私も何も決まっていない。私は次、二年である。
部活が終わり、部室を出ると、そこには日亜くんたちがいた。
「お、来た。ミソりん。ヒガンバナ行こ〜」
ついに、ついに! 私は嬉しさとわくわくでいっぱいだ。
例の公園に来た。草木の緑も、アガパンサスの花々も、まだ健在である。
そして、
「おー、めっちゃある! あれ、ヒガンバナだよ」
「え、あれ?」
花は咲いていない。筆のような形をした、緑の植物が、ニョキニョキと生えていた。頭の、緑の頭巾に覆われた中には、赤いつぼみらしきものがあった。成長の早いものだと、頭巾が割れて、ぎっしり詰められていた赤いつぼみたちがパックリと枝分かれしている。あれがヒガンバナであることは間違いない。
「花が咲く前の状態は、見たことないでしょ」
確かに見たことがない。ずいぶんと珍しい。
「面白くない? で、あと……」
日亜くんは無数に生えているヒガンバナのつぼみの中で、不憫にも根元から折られて、横たわっているものを拾った。
「はい、これ」
そしてそれを私に持たせた。
「これ、ウチに持ってかえって飾るといいよ」
「え、いいの?」
「いいんじゃない? 折れてるやつだし。俺も毎年、飾ってるし。ペットボトルってある? 自販機で売ってるような大きさのやつだよ」
「……ない」
「それじゃあ」
日亜くんは、背負っていたリュックから、ラベルの巻かれていない独特の形をしたペットボトルを取り出した。それを即座に空にすると、そのまま私に手渡した。
これで飾れということか。
「数センチ水を入れるだけでいいから」
とのことだが、本当に私がこれを育てるのか。無事に花を咲かせられるか不安だ。私が花を育てるだなんて、枯れて終わりっていう末路も十分にあり得る話である。
家に帰ると、さっそく貰ったペットボトルに数センチの水を入れ、机の真ん中に、どんと置いた。
これで花が咲くのだろうか。本当に枯れてしまわないか、心許ない。
でもちょっぴり楽しみに思う。
しかし驚いた。学校に行くときに携帯する飲み物に、炭酸飲料を選ぶとは。ウチの学校は、他のところよりも遥かに自由度が高いが、流石に炭酸ものは健康面も考えて、持っていこうとは私は思わない。お茶や水を選ぶのが無難だろう。
たまには女子二人でお出かけするのもいいよね、ってことで、香花ちゃんと二人で、自然いっぱいの公園に出かけた。休日なこともあって、家族連れなどが多く来ていた。特に混雑している、開けたところを避け、木々に囲まれたエリアに設置してあったベンチに、腰を下ろした。木陰で涼みながら、自販機で買った、アイスを食べた。
「ヒガンバナ咲いてる」
辺りを見渡すと、数はまばらだが、ヒガンバナが生えていた。茎もぐんぐんと伸びており、早いものだと花が咲いていた。
「あ、ほんとだ。花咲いてるね。ミソちゃんのヒガンバナはどんな感じ?」
「花はまだだけど、順調に伸びてるよ」
「ヒガンバナって、そんな簡単に育てられるんだね」
「そうだね。私も初めて知った」
こういう時間がいちばん好きだ。ほっとひと息つける時間が。
心身をリラックスさせながら、香花ちゃんと談笑した。
「ミソちゃん、いいね。日亜くんって、めっちゃいい人だもん」
香花ちゃんは、天を仰いで、ため息をついた。
「うん、めっちゃいい人。ヤンキーだけど、ヒーローで、花博士」
私も同じく、天を仰いで、ため息をついた。
「なんか焦るなぁ。身近な友達に彼氏ができたってなるとさ。私はどうなんだろって、私に恋人ってできるのかなって。あんまり自信ないから、もしかしたら、ずっと独り身のままで終わるのかもしれない。そもそも、欲しいかどうかも分からない。恋人って、いた方がいいのかな? いない方がいいのかな。……わかんないことだらけだ」
香花ちゃんの話は、丸々わかる。痛いほど共感できた。ちょっと前まで、私もおんなじことを考えていた。
いや、今も似たようなことで悩んでいる。私には、日亜くんという、素晴らしい恋人がいる。だから、幸せなのだ。端からみても、ラッキーなのだ。ラッキーなのだから、もうちょと、心が晴れていてもいいはずだ。なのに、なんだこの悶々としたものは。私は、何を抱えている?
これ、例え立場がちがっても、全くおんなじだったんだろうな。香花ちゃんに素敵な恋人がいて、私には恋人はいないって世界線だったとしても、私は香花ちゃんみたいに悶々と抱えていて、香花ちゃんは私みたいに悶々と抱えている。
全く同じだ。この悶々としたものって、一生剥がれることは、たぶんなさそう。
私は、いちばんすぐそばにあった、香花ちゃんの手の甲に、自分の手を重ねた。
「香花ちゃんには、私がいるよ。友達だもの。この先、高校を卒業して、大人になって、社会人になってもさ、こうやって一緒にアイスでも食べようよ」
この苦しいモヤモヤは、一生晴れることはないのかもしれない。彼女の抱えるモヤモヤを晴らすことも、一生できないかもしれない。だけど、私が彼女の友達であることはできるし、一緒にアイスを食べることくらいはできる。
香花ちゃんは、ふっと笑顔をうかべた。
「ミソちゃん、カッコいいこというね」
私は照れくさくなって、笑みをうかべた。
「こんどは何味にしよう。これも美味しかったから、また食べたいし」
他の味のアイスもすごく美味しそうだった。私は、未知の味のものには警戒心を抱いてしまいがちだが、もっと挑戦してみようと思って、今回食べたのを選んだ。また今度、他の味も試してみたい。そのときも、香花ちゃんと一緒に行こう。明野さんたち先輩衆と行くのも、日亜くんと行ってみるのもアリかもしれない。
「ありがとう。私は今度はソーダのやつ食べてみたいな」
これで少しは、寂しくないかな。
それから二日後に、花は咲いた。燃え盛る炎のような、真っ赤な花々を懸命
なんて美しく、立派な花なのだろう。ずっと成長を見ていたからか、愛着がわいてくる。
それから何日かが経ち、真っ赤な色はいろあせていった。そして、だんだんと元気を失っていき、しわしわになって、最後には跡形もなくしぼんでしまった。しぼんだ花は、今にも茎から落ちそうだ。まるで、線香花火みたいだなと思った。
しおれ果てた花をかえしに、拾ってきた公園を訪れた。ずっと生けていたペットボトルから、花を取り出し、ヒガンバナたちが咲いている辺りに、そっとおいた。これで自然にかえることだろう。
他のヒガンバナたちも、みんな枯れていた。
そうだ。植物だって、生き物なんだ。
植物も、生きている。
動物みたいに四肢もないし、歩いたり、座ったりもしない。
動かない。だけど、生きている。それで今、しおれているのだ。
私も生き物。動物だ。四肢がある。歩くことができるし、座ることもできる。
今、私は生きている。でも、そのうちに、この花たちのようにしおれて、最終的には、生命をなくす。その前になんらかがあって、しおれる前に死ぬなんてことも有り得るが。
ポンポン。
「よっ、ミソりん」
日亜くんだ。
「な、なんでここに?」
「なんでって、気分転換にここに来てみたら、君がいたんだよ」
偶然のできごとということか。
「ミソりんは、何してるの?」
「枯れた花をかえしにきたんだよ」
「へぇ、律儀だねぇ。好きだよ。ミソりんのそういうトコ」
な! さらっと、何をいっている!
「……花って、儚いよね。立派に咲いたと思ったら、すぐに枯れちゃう」
「そうだね。でも、それは、動物も人間も、皆おんなじなんだよ」
意味深なことをいう日亜くん。その素敵な笑顔の裏に、何かしら抱えているような気がした。
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