第五、悩み

 かの有名な羽根田うねだ日亜にちあに、彼女ができた。という話は、あっという間に早く広まった。彼は本当に有名人のようだ。活発だった頃の彼は、一体どんなだったのだろうか。なにより、私にかかったプレッシャーは、えげつない。

 押されて押されて、押し潰されてしまって、つい疑ってしまった。日亜くんの彼女は、私であっているのか。もしかしたら、私ではない、他の女の子の方がいいんのではないか。私以外にも、花好きの子はいるでしょ?


 落ち込んだままでいてもしょうがないから、なんとか、なだめようとするも、まるで歯が立たない。私の胸中では、イフさんの力がぐんと大きくなっていた。罵倒の針がグサグサと刺さって、ジンジンと痛んで、痛くて痛くて悶絶する。どうしてこんなに苦しいのだろう。

 突然、私の視界が塞がれた。温もりのある、誰かの両手だ。

「だーれだっ」

 馴染みのある声。すぐに分かった。

「明野さん?」

「せいかーい!」

 明野さんはそのまま抱きついた。両サイドには、深海さんと春陽さんもいる。

「ミソちゃん、また暗い顔してるよね」

 コアラの如くびっちりとくっついて、まるで囁くかのように、私の耳元に顔を近づけていった。ほわほわと色っぽさを感じた。

「そうですか?」

「そうよ。どう見ても暗いわ」と、今度は朗らかにいった。

「最近、いつもそんな感じよね」と深海さん。

「すっごいおもいモノ、背負ってるようにみえるよ?」と春陽さん。

「そういうのは、吐き出した方が身のためよ」と明野さん。

 心強い。でも、話してもいいのかな。ずいぶんと間抜けな自分を晒すことになるから、打ち明けるのに、抵抗感が強くある。

「でも、大したものじゃ……」

「いいよ。大したものじゃなくていいから、話してみて」

「どんなにくだらない話でもいいからさ」

「そもそも人の悩みごとのだいたいが、大したもんじゃないからだいじょうぶなんだよ」

 安心できる。この三人なら、大丈夫だ。

『だいじょうぶだよ。みそは』

 りんこさんが再興した。地下から湧き水が、ちょろちょろと出てきた。私は彼女たちに話すことにした。

「……私、日亜くんの彼女でいて、本当にいいのかな……って」

 間違っているような気がする。彼に私は似合わない。

 告白は向こうからしてきた。私はそれを受けただけだ。

 単にいえば、自分に自信がなかった。

 部屋は汚いし、料理の腕もイマイチだし、美容にだって一ミリも興味を持てないし。誰しもが思い描く、“ 理想の彼女像 ” からは程遠い。そんな私だから、私を好きになる人なんて、誰一人としていないんじゃないか。と、思っていた。

 それなのに、突如として現れた。私を「好きだ」といってくれて、「恋人になって」といってくれた男の子。日亜くん。だけど、今はまだ見えていないであろう私の大きなマイナスの部分を見てしまったら、彼はどんな反応をするのだろうかと気になってしまう。でも、あのニコニコ笑顔の、優しい彼だから、そんなことはないと信じている。

 といった感じのことを、三人に話した。

「なるほど、なるほど。それは大丈夫じゃない?」

 話を聞きおえて、明野さんは口を開いた。

「そうなんですかね」

「そうよ」

「日亜くんてね、仲間思いなカッケェやつで、沢山の不良たちに慕われてたくらいだから」

「すくなくとも、自分から告った相手に、ちょっとマイナスな部分がみえたくらいで切り捨てるような男ではないと思うよ」

 彼女たちは頼りになる存在だ。デタラメをいっているわけはない。悪意はちっとも含まれていない。私の味方にいてくれる存在がいるだけで、心はだいぶ救われた。モヤモヤと抱えていたものも、だいぶ和らいだような気がした。


 学校から帰宅する途中にある、廃れたお店の前に、ガラの悪い男達が、たむろしているのを見かけた。あの男達は、完全なるヤンキーだ。日亜くんよりも、ずっとずっと、ガラが悪い。

 彼らの話し声が、私の耳にも伝わってきた。あの女、日亜の彼女だ。“日亜の彼女” って、私のことをいっている! ヤバい。あのガラの悪いヤンキーに目をつけられたみたいだ。今、私は一人だし。相当ピンチな状況では? 私は、一刻もこの場から立ち去ろうと、足早に先へと進んだ。

「おい、お前!」

 え、私!? 彼らに呼ばれた!? 振り向いてみると、いつの間にか、私のすぐ目の前に、あのヤンキーたちが立っていた。彼らは私を品定めするように、ジロジロ見ていた。

 こいつがか。ずいぶん、地味な女だな。でもこいつ、日亜の方から、告った相手らしいぜ? はぁ、マジか。なんでも、趣味が合うとかな。

 好き放題、いわれっぱなしだ。

 ……詰んだ。こんな状況じゃ、私は声は出ないし、動けもできないから、行くも退くもできない。どうしよう。

 「おら、テメーら!」「日亜の彼女をビビらしてんじゃねーよ!」

 ヤンキー達の背後から、二つの怒鳴り声が飛んできた。すると、頭の横あたりを大胆に刈った、大柄の二人がこちらにやってきた。

 この二人、日亜くんの仲間だろうか。それも、すごく日亜くんに近い存在。右腕と左腕みたいな。

 小さなポニーテールの方が、ヤンキー達の相手をし、そのうちにもう一人のお団子ヘアの方が、私に寄ってきた。

「ごめんな、ミソりん。今のうちに行こ」

 と逃してくれた。


「あの不良どもも、日亜をしたっているヤツらなんだよ」

 このお団子ヘアの彼は、トウと名乗った。あのポニーテールの彼は、モモといった。日亜くんとは、小学時代からの仲で、命を預けている二人らしい。まるで不良漫画みたいだなと思った。部活は、同じ薙刀部だそうだ。でも、二人は家の事情があって、居残って自主練はできないという。

「……日亜くんって、そんなにすごい不良だったんですか」

「うん。アイツ、もともと身体能力が高くて、スポーツ万能なヤツだから、喧嘩もふつーに強ぇんだ」

 不良になりたての頃なんかは、喧嘩もよくしていたらしい。でも、ある時を境に、パッと変わって、極力喧嘩はしなくなったという。

「“ある時” って?」

「さあな。だぶん、当時読んでた漫画に感化されたんだろ。不良漫画を好まないアイツが、珍しくハマったやつだしな」

 それからの日亜くんは、まるでヒーロー。仲間のために立ち向かったり、落ち込んだ仲間に笑顔で寄り添ったり。

「実際、アイツはヒーローだ。日亜自身、そういうのに憧れてたし。誰かを守るために、力を使う。そんなヒーローにな」

 トウくんは、私に尋ねた。

「ミソりんはさ、日亜が不良だってことは、どう思う? アイツ、それ結構気にしてんだ」

 え、そうなの? 気にしてるの? 日亜くんは、そういうのはあまり気にせず、飄々としているイメージだったけど。

「意外! 日亜くんて、格好とかいつも独特だし、気にしてる風にはみえない」

 というと、トウくんはブッと吹き出して笑った。

「たしかにな。アイツの私服はダッセェ」

 彼の着てくるユニークなTシャツは、小籠包に始まり、龍王、海龍、飛龍。『龍』という字が好きなようだ。字面はどれもカッコいいけど。

 しかし、トウくん曰く

「書いてある漢字はカッケェけど、それが返ってダセェよな」

 ということだ。

「まぁ、アイツが不良であることが気になりだしたのは、やっぱミソりんと出会ったことが、一番大きかったんじゃね?」

 え、私? 私が、彼に影響を?

「なんで私が……」

「ミソりんはさ、とにかくまっすぐで、ホントに純粋に花を愛でるんだ。ってさ」

 それ……だけ? 私はただ、好きなものをじっと見ているだけ。私はそれぐらいしか、できることがない。私にとっては、大したものではない。

「で、ミソりんはどう思う? 日亜が不良であること」

 トウくんは、改めて私に尋ねた。

「私は特に、気にしてなかったかな。日亜くんは、優しくて、笑顔が素敵で、花に詳しくて、大好きで、ちょっと飄々とした人っていう印象しかなくて。不良だったって話はよく聞くけど、私はここにずっと住んでいたわけじゃくて、よくわかんないから、私の中ではちょっと薄い」

 本当に薄い。頭の片隅に追いやられている。彼が現にさっきの不良たちみたいにバリバリで、喧嘩もしていて、顔に傷とか作ってるのならもっと大きくあっただろうが、そうではない。着崩したり、ピアスをしているのは、“ そういうキャラの人 ” だと割り切っているし、それも彼の魅力の一つだと思いつつある。

 彼が好きだから、そう思うのかもしれない。でも私は、懐疑的に見るとかいう、ムズカシイことはできない。目の前で笑う彼こそが、私にとっての彼なのだ。

 トウくんはニコッと目を細めた。

「なるほど。日亜にもいっとくね」

 よかった。私のいいたいことはちゃんと伝わったみたいだ。

「日亜くんにも悩みはあったんだ」

「ミソりんにもあるの?」

「まぁ、ちょっと……」

 私の持っていた悩みも、トウくんにあっさりと大丈夫だといわれ、大いに解消された。







 

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