黒い獣に指をかける

@miyabi-fuji

第1話 星と犬

輝ける星

どこにいても

どんな時でも

いつか必ず

あなたを迎えにいく


これだけは忘れないでほしい

俺が今あなたの隣にいなくても

ずっと永遠にあなたを

思い続けていることを


生まれ変わって

争いも

苦しみも

悲しみも

何もない世界で

あなたと笑い合って

老いて死ぬまで一緒にいたい


あなたはきっと

何度生まれ変わっても

素敵な人になる


俺はきっと

何度生まれ変わっても

今世の罪を背負い続ける

あなたの手は美しくて

俺の手は血で汚れている

それでも俺はあなたを愛している


「 」


何よりも大切な輝ける星


あなたの幸せを誰よりもずっと願っている

あなたの


「ふぅ………。」

 ペンを置いて書き終わった手紙を見ながら小さなため息をついた。チラリと手元にあった懐中時計を見るとすでに零時を回っていた。だが外は夜の静けさとは裏腹に兵士たちの慌ただしい足音が響き渡っていた。ハルード戦線が敵国ラドゥスに突破されてから既に四時間ほど経っており、いつラドゥス軍が攻めてくるかわからない状況のため兵士たちは戦いの準備をしているのだ。ラドゥス軍が戦線を突破してそのまま我々ハラル軍がいる領域まで攻めてこなかったのは恐らくだが、我が軍の兵士たちの精神をすり減らすためだろう。いつ攻めてくるか分からない敵に対して意識を向け続けることはとてつもないほどの精神力を使う。もし私が逆の立場であれば間違いなくこの卑劣な作戦を実行していただろう。

 我々ハラル軍のいるこのハルード基地は我が国の最期の防衛拠点といっても差し支えはない。つまりこの基地がラドゥス軍によって陥落させられればハラル国は滅亡する。いや、ハラル国は既に滅亡しているようなものだ。我が軍はラドゥス軍に比べ兵士の数、隊の力量、武器の数全てにおいて劣っている。我が軍が負けることは確定事項のようなものだ。

 もともとハラル国はラドゥス国のような大帝国と呼ばれるほどの国に戦争を仕掛けるのが到底無理なくらい弱小な国だった。しかし、現ハラル国の王であるリーラル三世のリーラル家がハラル国を軍事国家にのし上げた。リーラル三世の祖父にあたるリーラル一世が貴族制が撤廃し、金を徴収。その息子であるリーラルニ世が身分関係なく手練れの兵を集め、徴収した金で裏組織から武器を買い占めた。そして現国王のリーラル三世が一気に周囲の国々に攻め込んでいき次々と戦果をあげていった。

 だが同時に植民地で得た奴隷を死ぬまで労働力として使用したり攻め落とした国を意味もなく破壊つくしたりなど、悪逆非道な行いをしていた。この事実を国民は一切知らない。戦場で起きた事実は全てリーラル三世が国民に聖戦放送で報告するのだがその時に話される内容は国王が自分にとって都合のいいように捻じ曲げられているものばかりだ。そのため国民はハラル軍が大きな損害を出さずに勝ち続けていると思っている。そんな話は事実無根だ。実際の戦場では多くのものが命を落としている。私は同僚も上官も部下もたくさんの者たちが隣で死んでいくのを見た。はっきり言って多くの兵士たちはすぐにでも他国への侵略をやめたいと思っていた。だが上層部の国王派の一派がラドゥス国に争いを仕掛け勝利することができればこの世で最も強い王国になると国王に吹き込み、争い事にしか興味のない王はそれを了承した。そのことにより今起きている戦争が始まった。

 かれこれ四年間は続いている戦争だ。この四年もの間に多くの領土を失い、兵士も失った。それでも降伏せずに戦いを続ける国王と軍、そして勝ちづつけていると信じてやまない国民たち。皆等しく罪を背負っている。もちろん私も例外ではない。飼い主に噛み付くことなくただ忠実に従っている愚かな犬だ。

(外の空気が変わったな…。)

 ふとそんなことを思っていると外から慌ただしく廊下を走ってくる足音がした。その直後少々乱暴に私の部屋の重々しい鉄の扉が開けられた。

「はぁ…はぁ…、お休み中のところ失礼いたします大佐。ラドゥス軍に動きがありました。直ちに戦略会議を開きますのでいらしてください。」

 扉を開けてやって来たのは私の直属の部下であるベルコル少尉だった。

「あぁ。すぐにいく。」

 私はそう答えて愛用しているリボルバーSchmidt M82/29を手にした。黒光りする美しい銃はひどく冷く静かだった。

「人の命を簡単に奪うことができる武器の重さはいつになっても慣れないものだな。」

 無意識にポツリと呟いてしまった。パッと少尉の方を見てみると、彼は驚きを隠しきれていなかった。

「偉大なる大佐でもそのようなことを思われるのですね。」

 真っ直ぐで純粋な瞳を私に向けて少尉はそう言った。

「自分もいくつもの戦場を生き延びましたが未だに武器の重さに慣れることはできません。しかしそれと同時にこの重さは自分への戒めにもなるのです。自分がこれまでどれほどの命を奪って来たかということを心に刻みつけることができます。」

 私はその言葉に対して思わず微笑んでしまった。すると少尉は自分におかしな点があったのだろうかと不安そうな顔をした。

「安心してくれベルコル。君がおかしくて笑ったのではない。上の連中が皆君のようであれば戦争など起きずに済んだのにな、とあり得ざることを思っただけだ。」

 私がそう言うと彼は安心したようで、身に余る御言葉ですと言って敬礼をした。

 上司と部下の関係になってから幾分も経ったが、私は彼のどんな時でも相手に敬意を払うことを大切にする姿勢をいつも尊敬している。

(ベルコル自身に言ったことはないけれどな……。)

 私は心の中で少し後悔しながら思った。

「そろそろ行くとしよう。あまり遅いと怒られてしまう。」

 そう言って私は少尉と一緒に部屋を出ようとした。すると少尉は不思議そうに、私の机の上に置かれている手紙を見ながら尋ねてきた。

「あのお手紙は持っていかなくてもよろしいのですか?」

 ドクンッと自分の心の臓が脈打つのがわかった。

「その手紙は…………。」

 言葉が出なかった。私は迷っているのだ、彼女に届けるべきなのかそれともこのままここにおいて誰に読まれることもなく隠しておくべきなのか。

「届けたいと思う心は後悔してしまう前に届けるべきだと自分は考えます。ですから大佐はその手紙を届けるべきです。」

 悩んでいる私とは反対に、彼は素直でもっともな意見を伝えてくれた。昔から変わることのない綺麗な瞳でじっと私を見つめながら。

「そうだな………、実を言うと私はこの手紙を出す気はなかった。いや、出すのが怖かったんだ。この手紙を読んだ彼女がその後どんな思いで生きていかなければならないかを考えると、急に恐怖心を抱いてしまった。」

 あの美しくも寒い土地で一人彼女を残し、私を思い出してしまうような手紙を彼女に渡せるのか。大切な彼女を私自身の想いにより縛り付けたくはないのだ。だが出すべきだと思う自分もいる。これまで私は何度も何度も何度も多くの後悔をしてきた。そして伝えるべきことを伝えずに死んでいった仲間たちも多くいた。また後悔してしまうのだろうか…。戦場で死ぬのはかまわない、だが後悔しながら死ぬのは私の望む死ではない。

『後悔したくない』

 そう思うのであればこの手紙を出すべきなのだろう。

「ありがとう。お前のおかげで彼女に届ける決心がついたよ。後悔はしたくないからな。」

 私は少尉に感謝の言葉を伝えると、あなたのお力になれてとても幸せですとはにかんで笑って言った。

「では今すぐにそのお手紙を伝達隊に渡して…。」

 少尉がその言葉を言い切る前に私は、

「ベルコル。お前がこの手紙を届けてくれ。」

 –––––と力強く言った。当然彼は驚いた顔をした。それは当たり前の反応だ。なぜなら私は彼に「戦線を退け」と言っているようなものだからだ。

「大佐!何故ですか⁉︎私も最後まで国家のためにあなたの部下として戦場を駆け抜けます!」

 いつもは冷静沈着な少尉は珍しく声を荒げた。

「私が最も信頼しているお前にしか頼めないことだ。ベルコル、お前は誰よりも慈愛に満ちた心を持っている。だからこそこのような戦場で死ぬことは許されないのだ。これは上官としての最後の命令だ。」

 私は彼の怒りを抑えるために強引に言った。本当は命令だ、などと言いたくはないがこういう言い方でもしなければ彼が聞いてはくれないことはわかっている。

「っ!私は、私は……‼︎–––––いいえ、意義はありません。大佐の最後の御命令であるのならば受け入れます………。」

 彼は拳から血が出るほど手を握り締め、俯きながら悔しさに身を震わせていた。戦場で死ぬことを誓った軍人としてはこれほど屈辱的なことはないだろう。だがこれ以上部下が死ぬところを見たくない私にとってはこれが最善の策なのである。

「もう数十分もすればここは戦場となる。早くここから発て。」

 私はベルコルにこの場を今すぐに離れるように催促した。

「さようならだベルコル。」

 私は彼に敬礼しながら突き放すように言った。

「あなたの部下として働けたこと、自分が生きて来た人生の中で最も幸せな時間でした。いつか再び会って、その時は一緒に酒を酌み交わしましょう。」

 私の言葉に対して彼は、哀しそうな瞳で私を見つめながら言った。私が下戸なのを知っていながら言ってきたその言葉は、初めてベルコルが私に対して言ったジョークだった。

 最後に互いに敬礼を交わし、少尉とは別れた。この先どんなことがあってもベルコル少尉ほどの部下に出会えることはない、そう心の中で私は思った。同時に、争い事も何もない世界で出会えていれば最高の友になっていたのだろうとも思った。だがそんなことは起こりえない。この争いしかない世界では何かを敵と見立て、それを憎んで殺して不毛な戦いを続けるしかないのだ。そんな世界に希望も平和もあるはずがない。

 私は一人で軍略会議が開かれている部屋に向かった。コツリ、コツリと軍靴が音を鳴らす。敵に場所をがわからないように必要最低限の明かりしかつけていない廊下は、夜目が効かなければほとんど何も見えない。それに建物内であるにも関わらず息を吐くと白い息が出て手先もヒリヒリと痛かった。まるでこの廊下には黄泉の冷気が充満しているようだ。

 白い息が出るのも、手先が痛いと感じるのも生きている証だ。冷たく動かない肉の塊になれば何も感じなくなる。もう少しで私も死の参列に加わりただの肉塊となる。それになることに対して何の恐怖も躊躇いもない。自分の死が近づいているはずなのに私の心はどうしようもないくらいに空っぽだ。もし恐れがあるとするならば二度と「    」に会えないことだけだ。

 数分歩き目的地の部屋に着いた。中ではすでに会議が始まっているようだった。

「遅れてしまい申し訳ありません。マゼル隊指揮官のクリストフ=メードルックであります。」

 声高らかに敬礼しながら緊張感に満ちた部屋に足を踏み入れた。するとテント内にいた者たちの視線が一気に私の方を向いた。

「遅いではないかメードルック大佐。お前が遅れたせいで我が軍に取り返しのつかない損害が出たらどう責任を取るつもりだ?」

 私に対して特に敵意のこもった視線を向け、嫌味ったらしく発言したのは私と同じ階級であるハンス=シーザー大佐だった。彼の指揮する隊は––––私の指揮するマゼル隊のような真っ先に敵陣へ斬り込む役割をする隊ではなく–––––アクナイ隊といい射撃隊、つまり後方支援の役割を担う隊である。そのため戦果を上げる出番も少なく、自分より年下でありながら同じ「大佐」という階級にいる私を目の敵にしているのだ。

(今にも我々の軍が負けそうだというのに未だに自分の地位を心配しているとは…、愚かしさを通り越してある意味尊敬してしまうほどの執着心だな。)

 顔には出さずに心の中で呆れていると、

「シーザー大佐、メードルック大佐に言いたいことがあるのならばこの場ではなく会議が終わってからにしてください。今は一分一秒も無駄にはできないのです。早くこの危機的状況を打破するための案を考えましょう。」

 私の横に立っていた人物がこのギスギスした空気をなくしてくれた。その人物とは我々の軍の中で唯一、女性でありながら中佐の地位を獲得し、敵軍を撹乱する役割を持つアポラック隊の指揮官を任された人物だ。軍という男社会のシビアな世界で生きてきた彼女は軍の中でもずば抜けて信頼が厚かった。また戦闘力も高く、特に近接戦闘であれば彼女の右に出る者はいないほどである。彼女の戦闘武器は、ほとんどの兵士が使っている銃ではなく東洋の島国で使用されていた軍刀という武器だ。相手の間合いに即座に入り込み、敵を切り倒す。その鬼気迫る戦闘スタイルと数々の戦果から多くの兵士は彼女のことをハラル国の軍神マゼルのようだと称し、「マゼルの乙女」という二つ名をつけて敬意を込めて呼んでいる者も多くいる。

「助かったよ、ありがとうアンナ。」

 小声で彼女に感謝の意を伝える。

「何言ってるの。いつもあなたには助けられてばっかりなんだから少しはお礼をさせてよ。」

 照れ臭そうに彼女は言ったが、優しい口調で言葉を返してくれた。

 アンナ=ユーリ中佐とはベルコル少尉ほどではないが、六年もの間共に戦場を戦い抜いた仲間であり、大切な友人である。士官学校時代のときにはあまり面識がなく、女性でありながら優秀な生徒がいるという認知しかなかった。それは彼女の方も同じだったようで、私のことをとても優秀な生徒だと思ってくれていたそうだが、名前しか知らなかったようだ。私たちは互いに同じ場所で学問を学びながら過ごしていたが全く関わりはなかったのだ。それでも今、友人と呼べる間柄になっているのは互いに多くの戦場で共に戦い、助け合い、本心を曝け出しあったことが理由となっている。私にとってアンナは、私の心の内を吐露することができる唯一の存在と言っても過言ではない。もちろんアンナにも「    」のことは話してある。

 いつもアンナは「   」に会ってみたい、と言ってくれていたがそれは叶いそうにもない。おそらく彼女も多くの兵士達と同じようにあと数十分もすれば冷たい土の中に眠り、帰らぬ人となるのだ。せめて彼女の眠る場所が、多くの美しいエーデルワイスが咲き誇り安心して眠れるような場所になることを私は願う。

 十分ほど話し合い、最後の戦いの戦略が決まった。私の率いるマゼル隊は、敵軍ラドゥスの中心部隊A013に一番最初に奇襲をかけることとなった。十分ほど話し合ったとはいえ、この作戦はいつも通りのものだ。私たちの部隊が一番はじめに仕掛けて、その後に他の部隊が続く。

(いつも通り、いつも通りの戦いだ。だが、今回は何もかもが失敗に終わるだろう。)

 私たちの部隊は死ぬために戦場に行く。これに関しては他の部隊も同様だ。降伏の余地もなくただただ殺し尽くされるだろう。しかしこれは当然の報いだ。私たちは国のためと言いながら数えきれぬほど沢山の命をこの手で狩り尽くしてきたのだから。

 会議の後自分の部隊に作戦を伝え、二十分後に行動開始するように命令を下した。隊の中には、自分の愛用している武器を丁寧に手入れし始める者や、家族へ手紙を書く者もいたり、

十字架を手の中で握りしめ祈る者もいた。

「私たちの父なる神よ。あなたの加護が私たちの上にあることに感謝いたします。どうか私たちに勝利と安寧を与えてくださいませ。そして、戦場で死んでいった仲間や私たちが手にかけてしまった人々の魂にあなたのお守りと救いがありますように。この拙き祈りをあなたの御名によって捧げます。」

 美しくも哀しい祈りだった。なにより、味方の魂だけでなく敵の魂にも守りと救いがあるようにと祈る行為が、人を殺し続けている我々にとってひどく矛盾したものだと感じた。

 


 私は神を信じていない。神なんていう不確かなものを信じるより、自分の力を信じた方が安定して上手く生きることができるからだ。そのことを「    」に言うと、彼女は私に向かって言った。

「そんな悲しいことを言わないでください。私は神様がいると信じていますよ。だって神様がいてくださったおかげでクリス様と出会うことができたのですから。それに、人間という存在は一人で全て解決できると思い込んでしまえば簡単に壊れてしまいます。だからこそ、神様という存在に縋ることによって自分自身が壊れないようにしているんですよ。」

 穏やかな日差しが窓から差し込む部屋で、春の暖かさに包まれながら彼女と「神」について話し合ったことを思い出した。

「じゃあ俺にとっての神様はあなたですね。あなたがいてくれるおかげで俺は壊れずに済んでいる。いつもあなたの花のように明るい笑顔に救われています。」

 私は彼女が言った言葉に対して素直な心を返した。すると彼女は耳まで真っ赤にして熟れた林檎のようになってしまった。それを見て私は、かわいいなぁ…天使みたいだ、と呟いてしまい、彼女はさらに真っ赤っかになってしまった。

 もう戻ることはできない幸福に満たされた日々。ずっとあなたのそばに居続けれると思っていた浅はかな自分が心底憎たらしいと今では思う。もし走馬灯を見ることになれば、その内容はきっと全部あなたとの思い出だ。ずっとずっと忘れることはないあなたとのたくさんの思い出は僕の人生の中の光り輝く宝石だ。手放すことなんて絶対に出来ないくらい世界で一番大切なもの。

 彼女との日々を思い出しながら作戦地点まで歩き、あと数分もすれば作戦開始時刻になる、というタイミングで到着した。張り詰める空気の中、ただひたすらに私は彼女のことを思い出していた。本来ならばこの行為は軍人としてあるまじきことだ。心が緩み、自分が死ぬ確率が上がる。だが、思い出さずにはいられなかった。どのみちこの戦場で死ぬのだ。それならばせめて死ぬ直前まで彼女のことを思い出していたい。



 鉛色の空、肌を刺すほどにピリつく空気、戦場特有の血と硝煙の匂い。チラリと手元にある懐中時計を見た。作戦決行まであと一分。カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、時計は無慈悲に針を進めていく。あと数十秒後には本部からの作戦開始の号令が無線から聞こえる。

「ふぅ………。」

 懐中時計を懐にしまい、代わりにリボルバーSchmidt M82/29を手にした。黒光りするその獣は早く人を狩りたいと熱くなり、低く唸っているように見えた。



〈ザザッ—----ザッ––––き––こえるかね諸君。我々ハラル軍はとうとう最後の砦であったハルード戦線を突破され窮地に追い込まれた。しかし負けたわけではない。我々にはまだ勝利することができる希望が残っている。諦めるな心を強く持て。同志たちよ偉大なる我々の国、ハラル国のために最後まで戦い抜こうではないか。この戦いはハラル国にに永遠の栄光を与えるためのものだ。武運を祈る。作戦開始っ‼︎〉


 多くの兵士の咆哮と耳をを劈く爆撃音が轟く戦場の中で、私は一人でも多くの敵を倒すために駆け出していった。



「はぁ…はぁ…、クソっ!」

 私たちの隊の目的である、A013隊にたどり着くためには敵の弾幕を潜り抜けねばならなかったが、予想以上の砲弾数と爆撃、さらには手榴弾や閃光弾まで投げ込んできており、私たちは八方塞がりとなってしまっていた。すでに十五分ほど経っていたが未だにどの小隊もA013隊には接触できていなかった。

〈大佐!弾幕が厚すぎます!〉

〈マゼル隊右翼側の被害が甚大です!これ以上進むことができません…!〉

〈こちらB 3地点です。もう少しでA013に接触しま––––ドォオンッ‼︎–––––ブツンッ––〉

 私の無線からは絶望的な状況の報告が聞こえた。

(これほどまでに圧倒されるのか…‼︎これ以上固まったままここに居続けるのはまずい、奴らにとっての格好の餌だ…。どちらにせよ作戦は失敗に終わっているようなものなのだ、ここからは私の指示で動かすしかない…!)

 私は意を決して、指揮官としてあるまじき行動に出た。

〈各隊員に告げる。これは私からの最後の命令だ、心して聞け。マゼル隊は作戦を失敗した。だが、負けたわけではない。今からは小隊ごとに動くのではなく、ツーマンセルで動け。互いに背中を預け合い、一人でも多くの敵を倒すのだ。もう一度言う。我々はまだ負けたわけではない。反撃のチャンスは多くある。命尽きるその時まで戦い抜け。以上だ。お前たちにマゼル神の加護があらんことを。〉

 私はせめて少しでもラドゥス軍に一矢報いるべく、隊員達にツーマンセルで動くよう命令を下した。残念ながら私の組む相手は今はもう軍事列車に乗り、山岳地帯の安全領域あたりまで入った頃合いだった。

 私はひとまずこの場を離れることにした。作戦開始前に本部基地で地図を確認したところ、今の地点より少し西に行った場所に何箇所か地形が盛り上がっているところがあった。そこに行けば戦略を立てる時間を取ることができるはずだと考え向かうことにした。現在位置からおよそ七、八分走れば着く場所だった。

(距離は大して遠くないが、目的地点に辿り着くまでに被弾する可能性も大いにある。周囲を警戒しつつ、迅速に行動しなければ…。)

 第一の作戦を頭の中で立てて、私は行動に移した。あちらこちらに兵士の死体が転がっており走りにくかったが、三分ほどで目的地までの半分の距離を走りきることができた。

(比較的順調に進めている。このままいけば予定よりも早く目的地に辿り着ける。)

 そう思いながら走り進んでいると、私の目にアポラック隊が奮闘している姿が映り込んだ。その中にはもちろんアンナもいた。

「怯むな、進め‼︎一人でも多くの敵を倒せ‼︎私がついている限り負けることはないっ‼︎」

 隊士たちを鼓舞する言葉を叫びながらマゼル神のような苛烈な戦いぶりをするアンナは、息をするのを忘れるほどの迫力だった。その姿にラドゥス軍も圧倒されているのか、アポラック隊の方が優勢に戦況を進めていた。 

「ユーリ中佐!私も加勢する!」

 私はアンナにそう叫んだ。すると、

「助かるわ、メードルック大佐!」

 彼女は戦場には似つかわしくないほどの明るい笑顔をしながら叫び返してくれた。


「クリス、他の隊員はどうしたの?」

「ツーマンセルで行動するように命令した。その後、無線はいらないだろうと思い捨ててしまったから、隊員たちがどうなっているかはわからない。」

「相変わらずの放任っぷりね。だからこそあなたの隊は強くて優秀なのだけど。私もそういう指揮をした方が良かったのかしら。」

「そんなことはないさ。君の隊は、君らしさが出ていて逆境にも負けない強い信念を持つ隊だ。私からすれば羨ましいくらいだ。」

 いつ死ぬかわからないという状況の中、私とアンナは敵の銃弾を交わし、その隙を切り込み、手榴弾で敵の四肢を爆発させたりなど、まるでワルツを踊るように敵をどんどん殺していった。このままいけば押し切れる、互いにそう思い残りの敵を殺そうとしたその時だった。敵が腰に備え付けていた無線機から、「了解」「作戦実行」などの単語が聞き取れた。

(向こうの国の言葉は多少しか知らないが、確実に何かを実行する気だ。奴らは何をする気なんだ?)

 そう思った矢先、私は足元に何やら楕円形の形をした影があるな、と思い咄嗟に上を向いた。上空には黒い物体が飛来していた。

(なんだあれは?あれが奴らの作戦か?)

 最新の爆弾だったとしても大した威力は出ないだろう、と安易な考えが頭の中をよぎり大してその飛来物に危機感を抱かなかった。だが次の瞬間、暗く澱んでいた戦場に目を眩ます程の光が放たれ、その後間髪入れずに空気をふるわす轟音と大地を揺らがすほどの大爆発が起きた。その爆発による風圧があまりにも強すぎたためその場に立っていられず、私を含めて多くの者が地面に倒れ込んだ。

(何が起きたんだ⁉︎爆発?それなら一体どこが爆撃されたんだ…?)

 私はなんとか体を起こし、爆発がした方向を見た。

「信じられない–––––––––––––」

 それ以上言葉が出なかった。砂埃が立っていてもわかるほどに、激しく煌々と燃えている炎は私が数十分前までいた場所を飲み込んでいた。その場所は本部基地があるところだった。

ほんの一瞬の出来事だった。しかし、たったその一瞬で私たちは絶望の底に叩き落とされた。私以外の者も立ち上がり始め、本部基地が燃え上がり黒い煙を出し続けているのを見て言葉を無くしていた。

(基地が爆撃された…。それに銃眼胸壁の方にも火の手が回っている。あれではアクナイ隊や、本部に残っている将校の方々や隊員たちは助からない。それに……。)

 何が絶望的なのか。それは「本部基地が爆撃された」という事実を言い換えると「ハラル国の最後の砦が破壊された」ということだからだ。これまで必死に戦ってきた私たちの努力は何もかも無駄になった。

仮にラドゥス軍が本部基地を爆撃する気が元からなかったとしても、一瞬であれ程の爆発を引き起こす爆発物を所有していた奴らは、私たちをいつでも殺すことができたのだ。全てを無にする力を持っておきながら戦いを続け、人を殺し続け、悲しみと苦しみを増やし続けていた奴らは悪魔のようだった。


(国は終わったようなものだ。だが、まだ私は生きている。まだ戦わなければならないのだ。)

 周りには戦意を喪失した兵士たちが多くいた。しかし、私はリボルバーを握った。こんな所で死ぬわけにはいかないのだ。これまでに多くの者が苦しみの中に消えていってしまった。だからこそ、まだ生きている私は戦わなければならない。足は動き、手も動く。目、耳、鼻も十分機能している。そして心臓は脈打ち続けている。それならば、これらが動かなくなるまで戦い続けるだけだ。

 私は呼吸を整え、すぐにでも行動を開始しようとした。

しかしその瞬間–––––

「総員伏せろーーーーー‼︎‼︎‼︎」

 アンナの警告を促す声が響いた。その直後、彼女は私に覆いかぶさるようにその場に伏せた。

 


「っつ…………!」

 激しい頭痛と眩暈がした。三半規管を少しやられたようで、右耳はほとんど音を拾えなくなっていた。おそらく数分ほど気を失っていたのだろう。濛々とたちこめる黒煙により辺りの状況はよくわからなかったが、確かだったのは私たちがいた場所に何かしらの爆弾が投げ込まれたことだけだった。

 

 数分経つと、たちこめていた黒煙が幾分かマシになり周りの状況もある程度見えるようになった。しかしその結果、私は考えないようにしていた現実を目の当たりにした。

「アンナ…………。」

 目覚めてすぐになぜ爆発を受けていながら、致命傷を受けずに軽い怪我だけをして生きているのか、そんなことが頭の中によぎっていた。更には、自分の体の下半身から足までにかけて「何か」が乗っている感覚があった。頭の中では気づいていたのだ、「何か」の正体を。だが考えなかった。いや、考えたくなかったのだ。しかしそれは紛れもない真実で、受け止めなければならない現実だった。

 震える手でアンナを抱き起こした。彼女の顔は綺麗なままだったが、身体の方は左半分が爆発の影響でひどい損傷を受けており、見るも無惨な姿になっていた。希望に満ち、闘志に燃えていた赤い双眸は、絶望の色に染め上げられ赤黒くなっていた。

「なんで俺なんかを庇ったんだ………。」

 時間は戻ることはない。どうしようもないけれど、どうしようもないからこそポツリと呟いてしまった。

「そんな…こと………いわな…い……でよ………。ゴホッ…ゴホッ‼︎」

 ヒューヒューと苦しそうにアンナは息をした。彼女はまだ生きていた。だが、今にも消えてしまいそうなくらい青白い炎をゆらゆらと燃やしていた。

「アンナ…!死ぬな、こんなところで死ぬんじゃない…。まだ助かるはずだから…!」

 死んでほしくない、その思いで俺の心はいっぱいだった。彼女はもう助からないとわかっているはずなのに、根拠も事実も何もない空虚の言葉しか吐けなかった。

「もう無理よ……。自分が死ぬ………こ…とくらい、自分……で…わかって…る。」

 俺とは逆に、彼女は自分の死を受け入れていた。死に際であっても彼女は聡明で気高かいままだ。

 俺は彼女の右手を強く握りしめた。どんどん冷えていく体とは別に、流れ出ていく血は驚くほど暖かかった。彼女の体から出て行ってしまうものを押し止めたいのに、押し止めることができない自分に歯軋りをした。

「クリス………………、わた……し…をころし…………て……。」

 彼女は俺に、「介錯をしてくれ」と細々とした声でお願いをしてきた。

「あぁ…。わかった。」

 ハラル国の風習で軍人は、死んだ後生まれ変わって再び愛する者に出会うためには敵軍の攻撃で死んではならない、というものがある。つまり、味方の攻撃によって死ぬことができれば再び愛する者と出会えるのだ。

 アンナには愛する者がいる。血の繋がっていない妹だ。彼女は妹を全てのものから守るために軍人となった。「強くならなければならない」、これは彼女の口癖だった。彼女はいつもそう言って自分自身に叱咤激励をし、訓練に励んでいた。俺にとっての「    」のように、アンナにとっての妹は、たとえ世界のどこにいたとしても一番に輝き続けている星なのだと、俺はそう思う。



 震える手でリボルバーSchmidt M82/29のグリップを握りしめる。かつて無いほどの重さに驚きを隠せない自分がいた。いつもは片手で撃っていたが、今は両手でなければ照準を合わせることができない。俺は、一発で絶命させられるように彼女の体に馬乗りになった。銃口の先はアンナの心臓を捕らえている。「いつでも殺すことができるぞ」と俺の相棒は、淡々と彼女を殺すという現実を俺に突きつけていた。

 激しく脈打つ心臓の音がうるさい。呼吸が荒く乱れる。早く介錯をしてやらなければならないのに、引き金が固まって動かない。喉から込み上げてくる嗚咽と瞼にたまる水分を止めることができない。頬を伝う涙が彼女の胸元あたりに落ちた。

「泣く……んじゃな………い…。お………とこ…だろ……………。怖がら………なく…ていい………、ひとおも………いに……や……れ」

「わかっているさ…。今すぐにお前を楽にしてやるからもう喋るな…」

「すま………な…い………。わたし………が…死んだ…………あ…と……は、妹…を………たの……………む……」

「あぁ……………‼︎」

 構える。あとは引き金を引くだけ。引く以外の選択肢はない。どれだけ後悔しようとも、もう後に戻ることはできないのだから。

「お前を撃ち殺すことしかできない愚かな俺を許してくれ…。」




                                   


              パァンッ–––––‼︎




 乾いた銃声が静かな戦場に響いた。そこには血を流し続ける哀れな死体と、黒い銃を握りしめ涙を流し続ける愚かな兵士がいた。



 周りの目などお構いなしにひとしきり泣いた。腫れ上がった目が痛かったがそれ以上にどうしようもないほどに心が痛かった。

「ごめん………、ごめん……………。」

 手からSchmidt M82/29が落ちた。それと一緒に大事なものもこぼれ落ちていった気がした。

 何もみたくない。

 何も考えたくない。

 何も聞きたくない。

 何もかもが掌から無くなり、俺は空っぽになった手で顔を覆った。

「うぅ………うぁ…あぁ…………。」

 溢れ出ることをやめない嗚咽が静かな戦場に響く。 



 本当に嫌になる。

 絶望している時でも戦場にいることを忘れず、些細な音でも見逃さない俺の耳は憎たらしいほど優秀だ。

 俺がいる場所から後方におよそ十五メートル離れた地点から足音が聞こえた。足音のずれからして、三、四人こちらに向かってきている。おそらく敵軍の兵だろう。

 少しずつ間違いなく近づいてくる。もしかしたら、向かってきている奴らが爆弾を投げ込んできて、その爆弾により私たち全員が死んでいることを確認しにきたのかもしれない。あるいは上官の命令により、私たちの元へ赴いた可能性もある。

 いや、理由はどうでもいい。

 早く来い。

 まだ俺は生きている、動くことができる。

 一人残らず殺してやる。

 殺し尽くしてやる。

 もう後戻りはとっくにできない。したいとも思わない。

 こんな血に塗れた手で「    」を抱きしめることはできやしないんだから。


 彼女の絹のような髪を櫛で解くことも、白雪のような美しい肌に触れることも、何もかもできない。彼女に会うことさえ憚れる。そもそも彼女が今の俺を見ても誰かはわからないだろう。鏡で自分の顔を見たわけではないが、俺はきっと人殺しの顔をしているからだ。どこまでも深い闇に堕ちた罪人の仮面を今は俺がつけている。

 死と呪いがべったりと張り付いている俺が彼女に近づけば、彼女は不幸になってしまう。それだけは絶対にあってはならない。俺のせいで彼女の幸せを奪うことだけは命に代えてでも阻止しなければならないことだ。だからこそ、今この戦場で命を投げ出さなければならない。

こんなことを言ったら、きっと彼女はとても怒ってしまうだろうけど。

 

 彼女の隣にいるべきなのは俺じゃない。


 血で赤黒くなった手で涙を拭う。そしてもう一度だけ愛銃を握り直した。

(奴らがやってくる。あと数メートルも歩けば俺の姿をとらえるはずだ。その前に姿を消す必要がある。)

 俺はアンナの身体をもう一度だけ抱きしめてから、近くにあった岩陰の後ろに素早く移動した。その際に兵士の一人が持っていたボルトアクション式小銃Kar98kを拝借した。

 Schmidt M82/29の残りの球数は三発。予備に六発持っているが、四人相手にしながら再装填する時間はほぼ無いと言ってもいい。これはリボルバーの最大の難点である。作りが簡単で組み立てやすく頑丈で、ジャムが起こる事故がほとんどないが、装填するのに時間を要するのだ。ただ、小銃を手に入れることができたのは大きく勝利に近づけた筈だ。あとは、敵の虚をつき俺が有利な立場に立てるようにするだけだ。

 呼吸を整える。心臓の鼓動に合わせるように奴らの足音が聞こえてくる。

 ザクザクと土を踏む音が大きくなっている。そして、とうとう奴らが姿を現した。人数は予想通り四人だった。全員背丈は一七五センチ以上で、その中でも特に大柄で筋肉質な体をしている男が隊の先頭を切っていた。

「おい、見てみろ。全員くたばってる。新兵器の爆発力はこれまでの爆弾とは比べもんになんねぇ威力を持ってやがる。さすがだな!」

 筋肉質の男はそのようなことを言って大笑いしていた。その笑いに賛同するように、付き従っていた二人の隊員も私の仲間の死体を見ながらせせ笑った。

 ただ、四人の中でも一番細身の年若い少年だけは暗い表情のままそのばで目を瞑って俯いていた。まるで、その場にいる奴らの汚い笑い声を聞かないようにするために。それか、地面にごろごろと無造作に転がっている死体を見ないようにするために。 

 哀れだと思わずにはいられなかった。

 そこに転がっている屍たちも

 愚かな三人も

 若い兵士も

 そしてなによりも自分が一番哀れで愚かで吐き気がする。


「ぐちゃぐちゃで汚いですね。」

 一人の男が軍神の乙女の亡骸を見て、言ってはならないことを発言した。その時に俺の理性の糸はぷつりと、いとも簡単に千切れた。

––––お前らもぐちゃぐちゃにしてやるよ。

 岩陰から姿を現す。そしてまずはじめに、アンナを蔑んだ男の頭を小銃で撃ち抜いた。どさりと血に濡れた地面に体が倒れた。即死だったようでピクリとも動かない。

 残りの奴らは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、その場で固まっている。そりゃそうだろう。いきなり仲間が撃ち殺されたんだ。動けなくなるのも当たり前だ。だが、戦場での殺し合いは相手が待ってくれるほど甘く無い。

 すぐさま次の愚か者の頭を吹き飛ばす。そいつも即死。神に赦しを乞う時間など与えはしない。

 大柄の男がやっと状況を理解したようで俺に向けて銃を構える。だが、そいつが引き金を引く前に愛銃で心臓と頭にそれぞれ一発づつ鉛玉をお見舞いした。

「き……さまぁぁああぁぁぁぁあぁぁ––––––‼︎」

 死に際の断末魔が静まりかえった戦場に響く。ひどくうるさい喚き声だ。さっさとくたばって地獄に堕ちろ。

 小銃の弾はもう無くなった。残るはリボルバーの一発だけ。残っているのは後一人だけ。一発あれば問題ないだろう。

 最後の一人に銃を構える。銃口の延長線上にいる兵士は今にも気絶してしましそうなくらい青ざめた顔でその場に立っていた。

 岩陰から見た時に年若いと思ったが本当に若く、少年から青年に成長しようとしている時期の子供だった。歳は十四、十五くらいだろう。まだあどけなさが残る顔は昔の自分を見ているようだった。 

 青ざめた顔には死への恐怖、何より俺への恐怖がベッタリと張り付いている。戦意も喪失しているようで肩にかけている銃にも触れようとしていない。

『死にたくない』

 その思いがひしひしと伝わってくる。だが、たとえ相手が少年であっても殺さないわけにはいかなかった。忌むべき敵なのだ。加えて、この少年を殺さなければ先に死んでいった者たちに申し訳が立たない。

 リボルバーを構えながら親指で撃鉄を起こす。

人差し指を引き金に添える。

 あとは引き金を引くだけだ。

 苦しまずに一撃で絶命させてあげられるように少年の頭に照準を合わせる。

 心の中でカウントをする。

––––せめて苦しまないように逝くんだ。五、四、三、

 そこで、あと二秒というタイミングの時にこれまでなんのアクションも起こさなかった少年が口を開いた。

「ごめん、ミシェル…。生きて帰ってくると約束したのに。………死んだとしてもずっと君のそばに僕はいるよ。」

 涙を流しながら少年は愛しい人への最後の言葉を呟いた。

 彼への殺意が一瞬にして消えた。

––––あぁ…俺はこの子を殺すことなどできない。

 根拠もなく、ただそう思った。

 この少年が子供だからとか、仲間の死体を見て蔑まなかったからだとかそんな理由ではない。自分よりも愛しい人を第一に考える姿がひたすらに自分と重なったからだ。

 ゆっくりと構えていた腕が落ちる。もう目の前の少年を撃つことはできない。命尽きる最後まで戦うと言っておきながら、すでに俺の心からは誰かを殺す気力などとうに抜け落ちてしまっていた。

 俺の心はとっくに使い物にならなくなっていたのだ。


 少年は俺が銃を下ろした姿を見て驚いている。

「僕を殺さないんですか?」

 思わず笑ってしまった。さっきまで殺される立場だったはずなのに、殺されないと分かった瞬間に殺さないのかとわざわざ聞いてくるとはなかなかおかしな子だ。

「あぁ、殺さないよ。」

「どうしてですか?」

「君は俺に似ているから。」

 互いにたどたどしい言葉で喋る。

 俺たちは敵同士で、殺し合うことしかできなかった。だが、今だけは違う。武器をしまい、目を見て言葉を交わし合っている。こんなにも簡単なことだったのだ。


「あなたはいい人です。死んでほしくない。捕虜になってください。」

 彼は今の状況における最善の策を提案してきた。どうやら他の隊の人間がこちらに向かってきているようだ。たしかに、このままの状態でいると問答無用で撃ち殺されかねない。

「その提案は嬉しいが、断らせてもらうよ。」

 だが、俺は彼の提案を断った。

 敵軍の捕虜になれば生き残ることができるかもしれない。だが、闇の中に行ってしまった多くの仲間や敵がいるのに俺だけのうのうと生きて幸せになる気は微塵もない。

 心の準備はできていた。

 軍の犬に成り下がった時からとっくに決めていたことだったのかもしれない。

 今立っている場所から数歩後ろに下がる。

「何をする気ですか…?」

 少年が問うてくる。

その問いに笑顔で答えた。


「ごめん………。」

 俺は空に向けて小さく白い息を吐きながら呟いた。

 

道半ばで戦いを終えてしまうことを。 

国に帰れば愛する者がいたはずの者達の命を奪ってしまったことを。

お前だけを戦場から退かせてしまったことを。

君を殺してしまい、さらには君の願いを叶えてあげられないことを。

死なないで欲しいと思ってくれているのにその思いを無下にすることを。

あなたを一人にしてしまう事を。

謝っても謝っても謝りきれないほどの沢山の過ちを背負って俺は死ぬ。

 

 もう一度だけ相棒を握り直し、落とした腕を上げてくる。


 銃口を右側頭部につける。

                             少年が「ダメだ!」と叫ぶ。


コツリと冷たく硬い物が頭に触れる。


                        俺の愚行を止めるために走ってくる。

 


息を吐くと白い息が出た。

                               あと数歩で手が届く。


生きている。

 

 けれど本当はとうの昔に死んでいたんだ。




「これから先ずっと毎日あなたに会って、抱きしめて愛しいあなたの名前を呼び続けたかった。」



 たった一つだけの後悔、たった一つだけの願い



もう「    」の元に戻ることはできないから



それを呟いて俺は引き金を引いた––––––

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黒い獣に指をかける @miyabi-fuji

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