006
「一年生集まってー」
二年生になったということは部活で後輩ができるということ。
後輩の指導係に任命された私は、早速簡単な雑用を押し付け始めた……嫌な奴と思うかもしれないが、運動部なんてそんなもんなのだ。
ただ――一つ。
グラウンド端でジャグ用の水を汲んでくる雑用だけは……私が率先してやっている。
「……」
じゃーっという水音をかき消すように、隣の道場から大声が聞こえてくる。
この声のどれか一つが、きっと。
市原くんのものなんだろう。
「あれ、前田さんじゃん」
不意に、後ろから声を掛けられた。
今朝も似たようなことがあったなと思いつつ振り返ると――案の定、そこには市原くんが立っていた。
違う点は、いつもの制服姿ではなく、道着を着ているところ。
「……何してんの市原くん。練習中でしょ?」
「なんか入部希望者が少なすぎるらしくて、二年生は勧誘いけってさ。サボれてラッキー」
「なるほどね。勧誘頑張って」
「ありがと。ていうか、前田さんこそ何してんの? 水汲みって一年生がやるんじゃないんだ」
「……今は他のこと覚えてもらってるから、私が代わりにね」
「へー、相変わらず優しいね」
「……」
なんか変な感じだ。
違うクラスになって、もう話すこともないと思っていただけに……不意打ちで始まったこの会話が、妙に心地いい。
「あ、あのー……剣道部の人ですか?」
市原くんの後ろから、そんな声が聞こえた。
見れば、ザ・一年生という雰囲気を纏った女の子が、おどおどしながら彼に話しかけている。
「? そうだけど、何か用ですか?」
「えっと……ちょっと興味があって、見学したいなと……」
「マジ⁉ おっけーおっけー、道場の入り口すぐそこだから、案内するよ」
「あ、ありがとうございます」
女の子はぺこりとお辞儀をする。
「ってことだから、俺行くわ。前田さんも、水汲みとかいろいろ頑張って!」
市原くんはそう言って、私に背を向けた。
当然だ。彼がここで会話を続ける理由なんて一つもないのだから、さっさと道場に戻るに決まっている。
「……待って」
あれ?
なんで私、引き止めてるの?
「ん? どうしたの?」
急に引き止めたの嫌な顔一つせず、市原くんは振り返ってくれた。
「えっと……」
気まずい。
言うことなんて考えてなかったし、どうして声が出たのかも自分でわかっていない。
ただ。
ここで彼を行かせてしまったら……二度と。
もう二度と、話せないような気がして。
「……ココア」
「え、ココア?」
「……無糖のココア、お返しにあげたことがあったでしょ? お父さんが注文間違えたらしくて、家に大量に余ってて……もしよかったら、貰ってくれないかな?」
「マジ? ……いやでも、そんな貰いっぱなしは悪いって」
「お父さんも、無駄にするくらいなら飲みたい人にあげなさいって言ってたから、そこは気にしないで」
「んー……そういうことなら……超いる! ありがと、前田さん!」
市原くんはニコッと笑う。
「一気に渡すと迷惑だと思うから……一本ずつあげる感じでもいい? 私も、段ボール持ってくるの嫌だし……」
「何でもオッケー。俺は貰う側なんだから、前田さんのやりやすいようにしてくれていいよ」
「じゃあ、明日また、部活の前にここで渡すね」
「了解! 楽しみ!」
そう言い残して、彼は一年生と共に道場へと戻っていった。
「……バイト、増やした方がいいかな」
もちろん、家に大量の無糖ココアなんて余っていない。
私は携帯を開き――ココアの相場を調べる。
うん。ちょっとだけシフト、増やしてもらおう。
◇
それから。
私から市原くんへの無糖ココアのプレゼントは、ほとんど毎日続いている。
もっとも、彼はプレゼントだとは思っていないけれど……私が実費で購入してると知ったら、申し訳なくて受け取ってくれないだろうから、そのことは伏せているのだ。
放課後、ココアを渡す数分間。
私たちの奇妙な関係は、なぜか途切れることなく続いていった。
……それで、まあ、認めたくないけど。
事ここに至っては、認めざるを得ないだろう。
私が――彼を。
市原勇樹くんのことを、憎からず思っているという事実を。
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