004



「……おはよ、市原くん」



「んー……えっ、あ、おはよ、前田さん」



 お菓子によって餌付けされた翌日の朝……机に突っ伏して寝ていた彼の肩をゆすり、私は起床を促す。

 寝ぼけ眼をこする市原くんの顔は、どこか小動物染みていて可愛らしかった。


 ……イライラする。



「えっと……もしかして、また俺なんかやっちゃった?」



「あ、違くて……その……昨日貰ったお菓子のお返し、的なやつを持ってきました」



 私は鞄を漁り――一本の缶を手に取る。


 そしてそれを、彼の机の上に置いた。



「……? 何これ、無糖のココア?」



 恐らく初めて見るのだろう、市原くんは大きい目を更に丸くして缶を見つめる。



「うちのお父さんが好きで箱買いしてて……よければ、どうぞ」



「マジ? 貰っていいの? うわぁ、ラッキー!」



 もし彼に尻尾が生えていたら、ぶんぶんと振っているのが想像できる喜びようだ。



「ココア好きなんだよねー、サンキュー前田さん」



「……喜んでるとこ申し訳ないけど、ココアが好きだと、それ苦手かも」



「え、何で?」



「そのココア、全然甘くないから」



 あれは何年前のことだったか……正確には覚えてないけど、小学校低学年くらいだったように思う。


 昔ココアが好きだった私は、お父さんから無糖ココアを貰い、意気揚々と口に運んだのだが……その苦さに驚き、危うく吐き出しそうになったのだ。



「そりゃ、無糖って書いてあるんだから甘くないでしょ」



「でもココアとも書いてあるじゃない……ココアは甘いものだって、思い込んでたの」



「……無糖ってのは糖分がないって意味なんだぜ、前田さん」



「それくらい知ってたけど……ココアなら甘いかもって、無意識に期待しちゃってたから」



「へー、おっちょこちょいだったんだね」



 言って、市原くんは缶の蓋を開ける。


 プシュッと――ほのかなココアの香りが広がった。



「じゃ、頂きまーす……何これ、うまっ⁉」



 一口目で衝撃を受けたらしい彼は、ごくごくと中身を飲み干す。


 ごちそうさまと爽やかに笑う彼の目を、直接見れない。



「……美味しいならよかった。これで貸し借りなしね」



「貸し借りって、貸してたわけじゃないんだけど……お返しに『うめえ棒』いる? 明太チーズ味」



「それ繰り返してたら一生終わらないでしょ……私がすっきりするためにやっただけだから、気にしないで」



 用は済んだと言わんばかりに、私は早足で自分の席へと向かった。


 鼻についたココアの香りは――まだ消えない。



 ◇



 無糖ココアをあげた日から、私と市原くんは毎日挨拶を交わすくらいの仲にはなった。


 友達、というやつだ。


 また同時に。


 あの日を境に、私はあんまり――


 イライラしなくなったらしい。



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