002



「あーーー‼」



 翌日。


 一年三組の教室に、大声がこだました。


 声の主は、どうやら教室に入ってきた私を指さしているようである。



「……えっと、おはよう?」



「おはようじゃない! あんたの所為で、昨日大変だったんだからな!」



「昨日?」



 いきなり因縁をつけられた私は困惑する……そもそも、この男子生徒の名前は何だっけ?

 あまり(というか全く)同級生の男子とは話さないので、未だに名前を把握しきれていない。


 彼はつかつかとこちらに歩いてきて、その大きな体で私の行く道を通せんぼしてくる。



「道場で変なこと言ってたろ! あの後主将にボコボコにされたんだからな!」



「あー……」



 言われて思い出す。


 目の前の男子の名前が市原いちはら勇樹ゆうきくんだということ――そして昨日道場で対応してくれた生徒が彼だったことも、当然理解した。



「えっと……ごめんね?」



「何で疑問形なんだよ、ちゃんと謝ってくれ」



「でも、私は苦情を言いにいっただけで、急に笑い出したのは市原くんでしょ」



「剣道部に向かってうるさいって言われたら、誰だって笑うよ」



 そんなことはないんじゃないかと思いつつも、しかし私の所為で彼が怒られてしまったのは事実のようだ。



「あんただって、サッカーやってて球蹴るなって言われたら困るだろ?」



「それはまあ、困るかな」



 剣道において大声がそれ程大事だとは知らなかった……一日経って冷静になってみると、確かに私の言い分は無理筋だったようだ。



「……ごめんなさい。私が間違ってました」



 一通り思案して、自分が悪いと認め謝罪することにした。


 イライラした時の言動は、大抵私に非がある……高校生になったことだし、せめて事後処理くらいは上手くやろう。



「あ……その、うん……こちらこそ?」



 何が「こちらこそ」なのかは意味不明だけど、市原くんは私の謝罪を受け入れてくれたようだ。



「きつい性格なのかと思ってたけど、意外と物分かりがいいんだな、あんた」



「……」



 あー、駄目だ。


 今さっき謝ったばかりなのに、またイライラしてる……そしてそれを抑えられない。



「……昨日のことは私が全面的に悪いとして、一つだけ言っていい?」



「ん?」



「私のこと、気安く『あんた』って呼ばないで」



 ◇



 予鈴が鳴り、クラスのみんなはぞろぞろと席についた。


 私も席に座る。

 罪悪感と共に。



「……ねえ、さっき市原くんと何話してたの? りっか、謝ってなかった?」



 後ろの席から背中をつつかれる。


 小声で話しかけてきた詮索好きな少女は、三田みた悠里ゆうり。出席番号が近いというだけで友達になり……まあ、何だかんだ気が合って仲良くしてもらっている。



「……別に何でもないよ。昨日ちょっと迷惑かけちゃっただけ」



「ふーん……。にしてはやけに親しげだったね。『私のことは名前で呼んで!』って、中々言えないわー」



「そんなこと言ってないじゃない。『あんた』って呼ばないでって頼んだだけよ」



「ほとんど同じ意味だよね、それ。ニュアンスは違くとも結果は同じ……くっくっく、これは早くも前田立夏ちゃんに春が到来かにゃ~」



「茶化さないで」



「でも実際、市原くんって人気あるんだよね~。イケメンだし身長高いし。剣道部っていう硬派なところも、一部の女子からは支持を集めてるらしいよ」



「硬派ねえ……」



 私は丁度対角線上の席に位置する市原くんの後頭部に目をやる。

 まあ確かに、身長は高いし顔は整ってるけど……。


 くるっと。


 市原くんがこちらに振り向き――目が合ってしまった。



「――っ」



 私は急いで目を逸らす……まずい、見てるのがバレた……。



「……なーにやっての、りっか」



 後ろから、呆れ混じりの声が刺さる。



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