2.日本ゲイリブ略史。

――いったい彼らが何をしてきたのか?


それらしき活動を始めたのは東郷健だろう。


東郷健はゲイだ。同性愛者への差別撤廃を主張し、選挙があるたびに立候補し、「ゲイ」「ホモ」「オカマ」「チンチン」「射精」などという言葉を大声で連呼して大衆を凍り付かせた。


東郷健が初めて立候補したのは、一九七一年(昭和四十六年)の参議院通常選挙のときだ。最初は誰からも見向きもされなかった。しかし、「オカマ、オカマの、東郷健。参議院議員立候補、オカマ、オカマの東郷健が参りました」と宣伝カーから叫んだところ、中年男性が荷物を落として振り返る。以降、「オカマの東郷健」を売り文句にする。


東郷が当選したことは一度もない。


東郷は「天皇制」廃止論者であり、社会党には好意的であった。しかし一九七八年――社会党の向坂逸郎から「ソヴィエト共産主義になったらお前の病気は治る」と言われてしまう。


今でこそ、「LGBT」に左翼は同調している。しかしかつては、同性愛者に厳しい態度を取っていたのは社会主義者だった――共産主義諸国では、「同性愛は資本家ブルジョワ的頽廃」であるとされていたからだ。その背景には、人間を国家の生産手段と考える思想やキリスト教的価値観があったのだろう。日本の社会主義者たちはそれに同調していた。


一九八四年(昭和五十九年)――ゲイ雑誌『アドン』編集長である南定四郎が、IGA(国際ゲイ協会)から命じられてIGA日本支部を作る。


一九八五年(昭和六十年)には、動くゲイとレズビアンの会(通称・OCCURアカー)が結成された。


この頃のゲイリブは、エイズ禍と密接な関係を持っている。「男性同士で握手しただけでエイズになる」「ゲイと同じコップを使っただけでエイズになる」というデマの飛ぶ中、東京都衛生局と協力してHIV感染の予防啓発に取り組んだり、ゲイが安心して治療を受けられる病院を紹介したりしたという。


また、これらの団体は、差別的な表現を是正するように出版社などに申し入れていた。


一九九〇年(平成二年)、同性愛を精神疾患と見なさないとWHOが発表する。一九九四年(平成六年)には、この見解を厚生省も踏襲する。翌年、日本精神神経学会も足並みを揃えた。


一九九一年(平成三年)には、「府中青年の家事件」が起きる。


「府中青年の家」は、東京都が運営していた宿泊施設だ。活動の一環で、アカーは施設に宿泊を申請したという。しかし、「青少年に不健全な影響を与える」として東京都は拒否した。


これを不服としてアカーは東京都を訴える。


結果、一九九七年(平成九年)に勝訴となった。


一九九四年(平成六年)――ILGA(国際レズビアン゠ゲイ協会)日本支部が中心となり、第一回レズビアン゠ゲイ゠パレードが行なわれた。南定四郎によれば、「最初は五十人くらいしかいなかった」という。ただし、ゴールに辿り着いたときには三百人ほどまで増えていたそうだ。


一九九五年に第二回パレードが、一九九六年に第三回パレードが行なわれる。


第三回目に「レズのくせに」発言が起きた。


この発言が、日本の同性愛者運動ゲイリベレイションを停滞させたことは先述した通りだ。


二〇〇三年と二〇〇四年にもパレードは企画されたらしい。しかし、実行委員長を引き受ける人がおらず実現しなかった。


二〇〇五年(平成十七年)――レズビアン゠ゲイ゠パレードの後継団体である「東京プライド」が結成された。


この頃から、日本のゲイリブは政治色が強くなる。


同年、大阪府会議員であった尾辻かな子がレズビアンであるとカミングアウトした。


二〇〇七年(平成十九年)――「第六回」東京プライドパレードが開かれる。


――「第六回」?


第一回から五回までいつ開かれたのか――疑問に思った人は多かった。実は、九十年代に三回開催されたパレードと実現しなかった二つのパレードを加算して「第六回」と称していたのだ。


同年、尾辻かな子が「結婚式」を挙げ、参議院選挙に立候補する。尾辻の選挙活動を東京プライドは全面的に応援した。「レズビアンの尾辻かな子をお願いしまーす」と街宣車から叫んだ尾辻の姿は、東郷健と重なった人も多かったのかもしれない。


結果、尾辻は落選し、木村真紀と「離婚」した。


東京プライドが次にパレードを行なったのは、それから三年後の二〇一〇年(平成二十二年)のことである。これこそ東京プライドが行なった最後のパレードでもあった。東京プライドは二〇一二年に解散し、東京レインボープライドへと引き継がれる。


彼らの運動をざっくりと書くとこうなる。


これらの他に、特記すべき動きがあるだろうか――? 見つけることが私には出来なかった。そもそも、日本のゲイリブについて研究した資料が少ない。長らく活動を行なってきた人々でさえも、自らの運動について語ろうとしない。


恐らく、日本の同性愛者の現在いまの状況を作ったのは次の三つだと思われる。


①元から寛容な文化的土壌。

②同性愛を精神疾患から外したWHOの決定。

③ゲイ活動家たちの啓発活動。


本来、我が国は同性愛に寛容であった。ところが、同性愛を精神疾患とみなす西洋医学の「知識」が明治期に流入する。以降、WHOが撤回するまで「精神疾患」だった。その烙印は、キリスト教諸国の都合によって捺され、キリスト教諸国の当事者の手で消された。以降、本来の道を我が国は取り戻してゆく。


③の影響がどれほどのものなのか、断言はできない。しかし、一定の成果があったのなら「縁の下の力持ち」的な存在でもよかったはずだ。


ところが――それだけでは終わらなかった。

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