4.発達障碍との関連性を考える。【後編】

ASDの原因は分かっていない。


仮説の一つに、ホルモン曝露説がある。すなわち、アンドロゲンやテストステロンなどの男性ホルモンを胎児期に浴びすぎたことにより、極端に男性的な脳となるというものだ。


ASDの人々は物事を機械的に捉えがちである。他人の感情を汲み取るのが苦手であり、言語的な行動を好む。同時に、これは男性の脳の特徴だ。


そして、ASDの女性は、女性的な特徴があまり見られない。女性らしい遊びや趣向を好まず、どちらかといえば「おてんば」な性格が多い。服装も簡潔な物を選びやすい。自分を女性ではないと感じるASD女性が多いことも当然かもしれない。


しかし、この「ホルモン曝露説」に対して、サラ゠ヘンドリックスはこう反論する。


「ASDの男性には、が見られることもわかっている。このことは、ASDの女性が男性化されているというよりも、男女ともに、言ってみればな『性別挑戦性障害(gender dehant disorder)』である可能性を示している。これらの研究がさらに示唆するのは、『ASD者においては身体の性別と性自認が一致しないのは予想されうることであり、自閉症の幅広い表現型の一つとみなされるべきでる』ことだ。」『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』(傍点著者)


先のエピソードで紹介した事例でもヘンドリックは述べていた――ASD当事者の精神性差は「両性具有的・流動的」なのだと。


この「両性具有的」という言葉が引っかかっていた。「男性的」とか「女性的」とかというものには何の基準があるのか――それとも性役割ジェンダーロールを指すのか。


一方、ある程度は明確な基準を提示できそうな調査結果も存在する。


すなわち、「T」ばかりか「L・G・B」までASDには多いのだ。


二〇一七年――オランダの臨床心理士・ジェロン゠デュウィンターは、九千人を対象とした調査を発表する。うち、ASDは男性326人・女性349人だ。定型発達は男性3927人・女性4137人である。いずれも十五歳以上であった。結果、異性愛者ではない確率がASD当事者には高いと判明する。


【挿図】https://kakuyomu.jp/users/Ebisumatsuri/news/16817330654367962319


国際自閉症協会が二〇一七年に発表した調査でも、ASD当事者の六割が異性愛者ではなかった。


【挿図】https://kakuyomu.jp/users/Ebisumatsuri/news/16817330654367974433


当然、ゲイだから女っぽいとも、レズビアンだから男っぽいとも限らない。それどころか、無性愛者の確率が高いことも見逃せない。しかし、性のあり方が通常から外れていることに変わりはない。


事実、Xジェンダーには「無性自認」の人もいるのだ。


私が知る限り、ASDを併発した「トランス女性」たちは、「女性的」というより「幼い」印象を受ける。言葉遣いも考え方も子供のようだ。「男性」とは感じられない一方、「大人の女性」とも感じられない。


事実、ASD当事者の精神年齢は「実年齢の三分の二」と言われている。


ASD男性に見られる「女性的特徴」とは、「子供っぽい」と言い換えられないだろうか。


そればかりか、ASD当事者は肉体的にも幼い可能性もある。


私の知人で、ASDと診断されたり、自己申告したりしている者は、性別違和者を除けば一人しかいない。


他ならない、父だ。


同時に、父のことを「Xジェンダー」だと疑っていることは第一章で述べた。


父は妖怪のような人間だ。五十代半ばなのに、四十代、下手したら三十代にも見える。ショートカットの女性のような髪は茶色に染められ、目は大きく、鼻は高い。非常に柔らかい筆致で神秘的な印象の絵を描く。男性的で攻撃的な言動を見せることも、女性的で軟弱な言動を見せることも多々ある。


これらの特徴は私とも重なる部分も多い。


ASDには、あまり知られていない特徴が二つある。


それは、実年齢より若く見える者が多いことと、容姿端麗な者が多いことだ。


若く見えることについて、「幼い言動が原因で、そのような印象を受けるのではないか」と考察する人もいる。しかし、そうだろうか。私の父が異様に若く見える理由は、他ならない、華奢な体格と容姿のせいだ。


私自身も、実年齢より若く見られる傾向にある。二十六歳くらいの時まで、スーパーなどで酒を買うと年齢確認をされていた。


このことについて、あるASD当事者はツイッターで私にこう打ち明けた。


「薄っすら自覚はありました。顔が幼いのはホントその通りです。結婚していますが、ゲイカップルっぽいんだよな...そして男の娘が好きです。」


容姿端麗な者が多いことも、俗説でも何でもない。アスペルガー症候群を発見したハンス゠アスペルガーからして指摘している。ASDの専門家であり精神科医である岡田尊司も、「彫が深くて端正な顔立ちの子供が多い」と著書で述べていた。


容姿が整った者とは、平均的な顔をした者だ。平均に近づくほど整い、個性的になるほど崩れる。


同性愛者と異性愛者の平均顔を比較したケンブリッジ大学の研究を思い出してほしい。異性愛者に比べ、ゲイの顔は女性的であり、レズビアンの顔は男性的であった(あるいは「中性的」と言えるかもしれない)。


【挿図】https://kakuyomu.jp/users/Ebisumatsuri/news/16817330654367984959


定型発達に比べ、ASD当事者には同性愛者が多い。ならば、このような顔の特徴を持った者も定型発達に比べて多いことになる。


恐らく、無性愛者の顔立ちにも何かの特徴があるのだろう。事実、私の知る無性愛者たちは、みな酷く子供っぽい顔をしていた。


当然、類似性をそのまま結論にすることはできない。


だが、薄々ながら感じていた――私の性自認は、私の容姿とも無関係ではないのではないかと。


自認するということは、「自分をどう捉えるか」ということだ。今までの人生で、数えきれないほど鏡は見てきた。そのたびに、女性的な特徴を多分に含んだ顔が硝子板の中に映っていた。


精神的に幼いこと――それは、性的に越境し易いということではないだろうか。


以上のことを踏まえると、MtF(男→女)にASDが、FtM(女→男)にADHDが多い理由も朧気に浮かび上がる。


まず、「子供っぽい」ということが許されやすいのは、男性と女性のどちらだろう。


少なくとも、男性の性役割ジェンダーロールでは難しい。


社会的な責任を男性は負わされやすい。男性社会は競争社会であり、タテ社会だ。それゆえ、男性は男性から厳しく接されやすい。そんな中、社会からドロップアウトするASD男性も多い。しかし、女性の性規範ジェンダーロールに居場所を見つける人もいるのではないか。


女性から男性に越境するASD当事者が少ない理由は、男性の性役割ジェンダーロールがどういうものか経験的に知っている人が多いからだ。


一方、女性の性規範ジェンダーロールが厳しいのはADHDだと思われる。


ADHDが苦手とするのは、整理整頓や家事、落ち着いた行動、そして繊細な気配りなどだ。ゆえに、ADHDの女性は「女性らしい行動」を求められる辛さがあるという。結果、「女性だから家事は出来て当然」というプレッシャーを家族から受けたり、家事が出来ない自分を責めすぎたりするのだ。


また、性自認の章ではないが、『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』で、ヘンドリックはさらに重要な指摘をしている。


それは、ASDの女性は性暴行を受けるリスクが高いということだ。


「誘いの合図を読み取れなかったり、世間知らずだったり、他人の言動を額面通りに受け取ったりすることは、特に弱い立場にある女性の場合は問題を引き起こしかねない。ASDの女性は、言われたことを鵜呑みにし、自分と同じように他の人も善意で行動していると思い込んでしまう。」


そして、私が知るMtF(男→女)や「トランス女性」もまた、性暴力の経験者が非常に多い。


当然、「彼女」たちにASDが多いこととも無関係ではないだろう。性暴力の結果、自分の身体や男性への嫌悪が募り、性別違和を悪化させた事例も散見される。その場合、彼らに必要なのは性別適合医療ではなく、心のケアであるはずだ。


性別違和と発達障碍の関連についてもう一つ述べなければならないことがある。


すなわち、当事者たちの言動だ。


「トランス女性」やMtF(男→女)の中には、非常識な言動の目立つ者も多い。女性スペースへの侵入を繰り返す者、「子宮があるのはシス女性特権」「生理が来るのはシス女性特権」と言って顰蹙を買う者もいる。


私の知人のMtF(男→女)(戸籍変更済み・重度のASD)は、「私は不妊の女性だ」と言い、「女性特有の病である不妊症と一緒にするな」と非難を浴びていた。


「自分は不妊の女性」という発言は間違いなくASDの症状だ。「自分は女性である」という認識と「子供が産めない」という事実を照らし合わせてそのまま解釈したのだ。


ASD当事者は「コンピューターのような人」と言われる。明確な言葉でなければ理解できない場合が多い。文字通りの意味で言葉を解釈し、誤って理解することもある。


文字通りの意味で言葉を解釈したとき、世界に対する認識は歪む。


では、ASDとGIDを併発した場合、性別についてどう理解するのだろう。


「女性とは『こう』である」「男性とは『こう』である」という性規範ジェンダーロールを、言葉通りの意味で理解するのではないか。ここに自分を照らし合わせ、自分を女性だと解釈することは、ASDの症状としてはおかしくない。子宮や生理などは、自分から欠落した部品のように捉えるだろう。


その場合、女性スペースを使うことは当然だと考えるはずだ。何しろ、「女性とは『こう』である」という言葉を文字通り理解し、自分を女性だと解釈したのだ。「女性は女性スペースに入るもの」という言葉も機械的に実行するだろう。


自称「トランス女性」やMtF(男→女)の言動に対し、女性蔑視だと怒る人は多い。中には、「女より男が弱いわけがない」と言って性同一性障碍を否定する人もいる。


怒りが湧くのは当然だ。しかし「女より男が弱いわけがない」という言葉は、「男より弱い自分はやっぱり女だったんだ」と解釈される可能性がある。


――性自認とは何か?


それは結局のところ、


――自分をどう解釈するか?


なのだ。

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