4.「女性に迷惑をかけたくないので女子トイレは使わない。」――あるトランス女性の証言。
LGBT運動に批判的なGID当事者でも、女子トイレ使用の問題では尻込みする場合がある――「彼女」たちの中には使っている者もいるのだ。その点で私と意見がすれ違うことも少なくない。
一方、女性に遠慮して使わない人もいる。
ツイッターの「スペース」機能を通じて姫咲さんと私は知り合った。そこで聴いた話が興味深かったので、できればもう一度聴かせてほしいとインタビューを申し込んだのである。
姫咲さんは快く承諾してくれた。
五月初旬の夜のこと――「スペース」を通じてインタビューを行なった。スピーカーとして設定したのは私と姫咲さんだけだ。姫咲さんとは今まで二度しか話したことがない。なので、まずは私が自己紹介してから、次の質問をした。
――姫咲さんは、戸籍変更はされているのですか?
やや低くも聞こえる女性の声が返ってくる。
「いえ――ホルモン治療だけを。手術は考えているのですけれど、まだ決めかねています。男性器がなくなることを考えれば今すぐにでもやりたいですけど、子宮が作れて子供を産めるようになるわけではありませんし、外見が変わるわけでもありません。焦って今すぐやることには疑問を感じています。実際に手術をした人でも、心変わりがあって戻りたいという人はいます――そうはなりたくはないですから。」
そして、自身のパス度について姫咲さんは語った。
「自分の容姿には、そこまで自信はありません。もう絶対にバレていると思っています。良くて女装レベル。女性として認識されているとは間違っても思いません。もし思ったとしたら――そこで勘違いをして、女性スペースを使うようになってしまう。そんなことを自分はしたくありません。ショウウィンドウに映る自分の姿を見ても女性とは思えない。女性として生きていると思いだしたら、暴走してしまう。なので、自分に厳しくしておきたいです。」
一方、職場では女性として認識されているという。
「カミングアウトしているのは、女性社員の方と人事の方だけです。入社した当時は男子トイレを使っていましたが、男子トイレに女の人が入ってくるというクレームがあったんです。女性社員の方と人事の方からは『女子トイレを使ってもいいよ』とは言われました。会社の中だけは公認されている状態です。」
「それでも、休憩時間には絶対に行きません――女性社員の方と鉢合わせすることになるからです。うちの会社は、トイレに人がいるとライトが点くようになっています。そのライトが消えているときにしか入りません。トイレを使っているときに誰かが入って来たときは、その方が個室に入るか、トイレから出てゆくまでは個室から出ません。」
そんな姫咲さんは、外出するときは必ず多目的トイレを使っている。
――けれども、多目的トイレの数は少ないですね。
「絶対的に少ないです。新しい建物では、多目的トイレが男女で別れている場合もあります。なので、別れていない所を探したり、事前に調査したりします。初めて入る建物では、どこに多目的トイレがあるかを調べて、男女で分かれていないかも確認します。」
――多目的トイレでも、男性用には入ることはできないのですね?
「できません。過去には、男子トイレでレイプに遭ったこともあります。男子トイレへ入ることは、自分の性別を男性だと自分で決めてしまうことのようにも思います――自認で言えば私は女性ですので。けれども、自分の身体の状況を考えると、女子トイレに入るわけにはいきません。」
――トランスの方の中には、多目的トイレから出てきたとき、障碍者の方から「何でここを使ってるんだ」と言われたという話も聞きました。
「そうはならないように、あまり長く使わないようにはしています――外で待つ方がいるかもしれないので。メイク直しもトイレですることはありません。」
しかし、他の理由で多目的トイレを使う人は多い。
「多目的トイレが一つしかなくて、それが使われていたことがあります。他のトイレは一キロ先にしかありませんでした。なので、出て来るまで待ってました。すると、二十分くらいしてから、口にソースのついた小太りの男性が出てきたんです。トイレの中を見ると、お弁当のゴミとお茶のペットボトルが。多目的トイレに入ると、そういうのが多いですよ――ご飯を食べていたり、着替えをしていたり。」
やはり多いのだろう。
私の知人も、多目的トイレから若い男女が出てきたところを見たと言っていた。こいつら何してたんだ――と彼女は思ったそうだが。
「多目的トイレに入ったとき、鍵を閉めないでスマホをいじっている人と鉢合わせしたこともあります。それで、びっくりした顔をしている。『使う人いるんだけど』って言ったら、不満そうな顔をして出てゆきました。新しい駅のトイレだと、中でご飯を食べている人も結構見ます――渋谷でも新宿でも。」
「トイレが混んでいる場合は、事前に調べた別の所へ行きます――そういう時は他の所も混んでいるんですけどね。お蔭で二十分くらい歩き回ったこともあります。どうしても我慢できなくなったときだけ男子トイレに入りますが、そのときも中に人がいないことを確認します。」
それは、中で男性と鉢合わせすると気まずいという理由だけではない。
「男子トイレで暴行に遭ったことは大きいです。怖いです。いくら自分の身体が男性とは言え、ホルモン剤の影響で体力は落ちています。
――警察のことは信じていないのですか?
「あまり信用していません。トイレだけではなく、自宅でも暴行に遭ったことがあります。けれども、指紋程度じゃ捜査できない、女装なんかやってるお前が悪いと警察からは言われてしまいました。」
「自分の身体の中には、最も嫌な男性の部分があります。それを持ったまま女子トイレを使うことはできません。そういう経験をしたから、日常生活で女性が出会う危険性を意識するようになりましたし、それに対して出来れば何かしたいなと思っています。」
最も嫌な男性の部分がある――奇しくもそれは私と同じ感情だった。
第一章では曖昧な書き方をしたが、私も性加害の被害者だ。しかも、それを性加害だと長いあいだ認識できなかった。私の性別違和には波と凪があったが、最も強かったのはあのあとだ。
LGBT運動に私が苛立っていた理由は、私を加害した属性の人々が祭り上げられていたからでもある。男性に関する嫌な記憶と性別違和には深い関係がある。埋没者たちが女子トイレに入ることに強く
それゆえ、「バレなければいい」と言う人々に対する意見は完全に一致している。
「そういう人には私も言ってますね――バレなきゃいいって思ってたら、絶対あんた捕まるよ? そこに居合わせた女性がどう思うか考えてる? 下手すると九割が性暴力に遭った人かもしれないんだよ? って。性暴力の被害者は観察眼が鋭いので、絶対に見ていますよ――手と膝と首、歩いているときの姿勢も。女子トイレに男がいると一発で判りますよ。性暴力を受けた人はフラッシュバックを起こすかもしれない、嫌な記憶を思い出すかもしれない。」
それでも、周囲のトランスたちの理解は浅い。女子トイレに入っても、「女性から何も言われなかったもん」と言っていた者もいるという。
「—―それって何でか分かる? って言いましたけれど。逆ギレされたら、暴力に抗えないからなんですよ。何も言われないことは、パスできたということではない。女性だと思われているんじゃなくって、変な奴がいるからほっとけと思われているんです。けれども『自分、美人じゃん』とか言われてしまいますが。『こんなに綺麗になれたんだよ』とか。」
多目的トイレを使い続けることの困難は絶えない。それでも、「女性に迷惑をかけることを考えれば、それはそれで仕方がないと思っている」と姫咲さんの主張は最後まで一貫していた。
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