3.アメリカの異常な差別事情。

実を言えば、十九世紀後半に入るまでアメリカでは同性愛者差別があまり激しくなかった。


ソドミー法こそあったものの、適応されることは稀だったという。同性愛者たちは酒場などで気軽にやり取りし、大衆からも好奇心を寄せられていた。


しかし十九世紀の後半になり、風紀紊乱びんらん罪・放浪罪・猥褻わいせつ罪・徘徊罪などを理由に同性愛者は取り締まられてゆく。同性愛だけではなく、避妊具の製造や販売・使用、マスターベーション、口腔性交オーラルセックス、婚外交渉なども取り締まられ始めた。


たとえば口腔性交オーラルセックスは、ジョージア州では終身刑、コネチカット州では懲役三十年、ニューヨーク州では懲役二十年。マスターベーションは、インディアナ州では懲役十四年、ニュージャージー州では懲役三年に処されていたという。


背景には、出生率低下がある。


工業化すると都市部に人口が集まる。しかし農民に比べ、都市部の労働者のほうが賃金も余暇も少ない――子供を産み育てることが難しい。結果、工業化と同時に出生率が下がり、生殖に結びつかない性行為が敵視されるようになったのだ。


本来、生殖に結びつかない全ての性行為をキリスト教は禁止している。自慰や避妊でさえも罪深い行為とされていた。出生率低下を期に、それが法制化されるにまで至る。


同性愛者に対する差別意識も激しくなってゆく。


一九二三年(大正十二年)、ニューヨーク州は「自然に反する罪・猥褻わいせつ行為に関する目的で男性を誘惑するために公共の場に頻繁に男性が出入りして徘徊する」行為を禁止する。以降、四十三年間に五万人の人間が逮捕された。


三〇年代ごろから、キリスト教の指導者たちは、不道徳な描写を規制するようハリウッドに圧力をかける。結果、「ヘイズ゠コード」と呼ばれる自主規制ルールが作られた。これは、ヌード・神の冒涜・・不倫・未成年の性愛・などの描写を禁じるものであった。


一九三三年(昭和八年)には「禁酒法」が廃止された。つまりレストランやバーで酒を出すことが合法化されたのだ。一方、同性愛者に酒を提供することが多くの州で違法となる。同性愛者を客としたり、雇ったり、店内にいただけでも、警察から店ごと取り締まられたという。


「女装した男がいた。」

「手でしなを作っていた男がいた。」

「男をナンパしようとした男がいた。」

「男同士で手をつないでいた客がいた。」

「ぴったりとしたズボンを履いて尻を振りながら歩いていた男がいた。」


そのようなクレームのあったレストランやバーは次々と閉鎖された。ニューヨーク州では、三十年のあいだに数百件もの店がこの理由で閉鎖されている。閉店を恐れ、「あなたがゲイならば入店はご遠慮ください」「同性愛者お断り」と書かれた看板を掲げる店も少なくなかった。


そんな中で、「同性愛者は子供を襲う変質者である」というイメージが広まる。恐らくは少年愛から連想したものであろう。結果、「子供を守れ」という運動が起こり、同性愛者とみなされた人は教育現場からも排除された。


それでも、「異性愛者」という表の顔と「同性愛者」という裏の顔を使い分け、目立つような行動をしない限り「比較的」安全に暮らすことができたという――少なくとも戦後すぐまでは。


第二次世界大戦終結後、冷戦が始まった。


一九五〇年(昭和二十五年)から「赤狩り」が始まる。発端は、上院議員のマッカーシーが、国務省(日本における外務省)に二百人以上もの共産主義者が紛れ込んでいると主張したことだ。そして、共産主義者とみなされた人々が次々と職を追われる。


マッカーシーはさらに、「国務省は同性愛者を雇用している」と主張した。


これを受け、「政府内における性的倒錯者」に対する特別調査が上院議会で行われる。委員会では、同性愛者は「人を食い物にする犯罪者」「正常な人間が持つ情緒的安定性を欠いている」とし、「安全保障上の危険がある」として、政府から排除されるべきだと結論づけられた。


その二年後――同性愛者のを連邦議会は全会一致で可決する。


一九五三年(昭和二十八年)――ドゥワイト゠アイゼンハワーが大統領になると、「同性愛者」とみなされた官僚は片っ端から追放された。政府が関係する企業にも弾圧は及ぶ。このとき、「同性愛者」と疑われて解雇された公務員は千人以上――赤狩りで追放された者より多い。


そんな中でも、ゲイ専用のサウナやゲイバーなどは非合法ながら営業されていたという。同性愛者たちは、警察がいつ踏み込んでくるかとビクビクしながら酒を呑み、仲間と交流していたのだ。


やがて、同性愛者たちは独自のネットワークを作るようになる。同性愛者のために適した住宅と住宅地を知り抜いた同性愛者の不動産屋・賃貸などの契約を結ぶための同性愛者の弁護士・同性愛者の保険屋――。不動産屋も弁護士も保険屋も同性愛者を頼らなければならなかったのだ。


さらには、同性愛者たちは自己防衛のために避難区ゲットーを作るようになる。


マービン゠ハリス『アメリカはなぜ ひび割れ社会の文化人類学』にはこうある。


「ゲイ地区に移転すれば、ゲイ用の衣料店で着る物を買い、ゲイの理髪店で頭髪を刈ってもらい、ゲイのメガネ屋でメガネを作ってもらう。ゲイのパン屋でパンを買い、ゲイのレコード店でレコードを買い、ゲイの旅行代理店で旅行プランを立てる。ゲイの本屋で新聞雑誌を買い、ゲイの教会(キリスト教、ユダヤ教を問わず)に行き、ゲイのレストランで食事をする。」


しかし、やがて取り締まりは激しくなってくる。


「暗黙の了解」さえ守っていれば、それまでは、ある程度は警察も「お目こぼし」していた。ところが、次第にその「暗黙の了解」は踏み越えられる。


そんな中で起こったのがストーンウォール暴動だ。


一九六九年(昭和四十四年)、ニューヨーク州のゲイバー・ストーンウォール゠インに警察が踏み込む。当時、店には二百人の客がいた。逮捕されたのは、身分証明書を持たない者・女装をしていた者・店員たちである。いつもならば、一部の人が連行されて終わるはずだった。


ところが、その日は、怒り狂った同性愛者たちが警官に向けて石を投げ始める。やがて同性愛者たちは暴徒と化し、街から警察官を追い出した。応援に駆け付けた警官隊に対しても激しく抵抗し、二日間にも亘って戦い続けたのだ。


この事件を期に、アメリカの同性愛者解放運動は急速に拡大してゆくこととなる。

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