幕間 宿の中




 柔らかい腕に抱きしめられてカールは目を覚ました。


 寝まいと決めていたのに、セレスティアを安心させようとした寝たフリから意識が飛んだようだ。


 今夜は特に寒い。この時期にしては異常な寒波だ。だからこそ普段野営する旅人が宿屋になだれ込んだ。最後の一部屋が空いていてよかった。


 暖炉のない安宿で部屋は冷え込んでいたが外よりはマシだ。もし外ならこの寒さでは一睡もせず夜を明かさなくてはならなかっただろう。唸る風の音が窓越しに聞こえる。


 寝床の中は人肌でとても暖かい。目の前のセレスティアの寝顔にカールは包帯を額に押し上げ居心地悪く嘆息する。


 近すぎる。鼻が触れ合いそうな近さだ。起きていたら絶対ありえない距離。意識のあるセレスティアなら赤面の上悲鳴をあげて壁際まで退避するだろう。

 寝顔じゃなければ至近距離でセレスティアの顔など見られない。そんなことを思いながら無防備なセレスティアの寝顔をまじまじと見やる。


 もっと男として警戒してほしいんだけれど。

 そう思われないのは辛い。子供扱いなのだろう。

まあ警戒されないよう子供と、弟と思わせたのはこちらなのだが。

 だが流石にこれはまずかっただろうか。


 部屋はダブルの一部屋だけ。自分は床に寝ると主張したが部屋の冷え込み具合で無謀だと悟る。セレスティアを床に寝かせるのは論外だ。


 二人で眠るのは仕方がなかった。

 ベッドもダブルで十分広いのだが。


 寒いのかセレスティアが縋り付いてくる。熟睡しているから無意識なのだろう。顔にかかる吐息が甘くくすぐったい。抱きしめてくる腕の中はシャツ一枚でどこまでも柔らかく暖かい。

 その誘惑に思わず擦り寄りたくなるところをグッと堪える。


 その衝動に身を任せるのはまだ早い。今はまだ。

 だからやんわりセレスティアの肩を押し離す。


 だがセレスティアはお構いなしに、絶対放すものかとすごい力で抱きついてくる。まるでぬいぐるみか抱き枕だ。

 距離を置こうと腕をかいくぐっているのだがなぜかその腕に囚われる。押し倒す勢いだ。本当に寝てるのだろうか?あっという間にベッドの端に追い詰められた。

 しばらく抵抗を試みたが身長差でどうにもならず、諦めてセレスティアの腕の中で寝返りを打つ。せめてと寝顔に背を向けた。


 この距離で見つめ合って眠れるほどの屈強な理性も神経も持ち合わせていない。




 そこで初めて、扉の傍らの、部屋の隅に無言で佇む澱んだ闇に気がついた。思わず声を出そうになり慌てて噛み殺す。


「おま———ッ」


 闇は膝をついて頭を下げているがずっとそこにいたのだろうとわかる。セレスティアに下手に手を出さなくてよかった、と内心冷や汗をかいた。

 セレスティアを起こさないように声を殺して問いかける。


「気配を殺すなと何度言えば!来るなと言ったぞ?」

「追加のご報告です。」

「明日にしろ!」

「暗殺ギルドよりセレスティア様暗殺の命が出されました。」


 ピクリと眉を上げる。


「———依頼者は?」

「追跡中です。しかしかなり巧妙です。ツナギを一人捕らえましたがいかが致しましょうか。」

「早急に吐かせろ。やり方は任せる。」


 カールは顔をうつ向かせシーツに視線を落とす。今日は気配を感じなかった。まだ追手は追いついていないのか。


 まるで追い立てるように追跡者や暗殺者が放たれている。そう感じるのは偶然だろうか?


「セレスティア様の父君の調査結果が出ました。書面は荷の中に。」


 カールは背後のセレスティアの気配を探る。規則正しい寝息がカールの首筋にかかっている。完全に眠っている。


「筋だけ聞かせろ。」


 ともすれば外の暴風に紛れる様な語りを静かに聞いたカールはやがて瞼を閉じる。


「よくわかった。」

「ご指示は‥」

「いらない。様子を見る。下がれ。」


 闇が淀み蠢く。身を屈め頭を下げたのだろう。カールは眉間に皺を寄せる。


「本当にもう二度と来るな。それとここで見たことは忘れろ。」

「セレスティア様と同衾‥」

「忘れろと言ったが?」

「報告はいたします。襲われているだけですので大丈夫でございましょう。」


 それがダメなんだよ!!


 ひっそりと忍び笑いが聞こえてきそうな、闇の軽やかな返答。それにカールが言葉を失っている隙に、音もなく開いた扉の隙間から闇がするりとすり抜ける。外から器用に鍵を掛けて気配を消した。


 カールは毛布の中に潜り込み憤然と歯軋りする。


 ちっとも言うことを聞かない。

 だからあいつは嫌なんだよ!!

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