第06話




 貴族名鑑にウォーロックがない。偽名か貴族ではないのか。おそらく前者。偽名を使うということは本名は名の知れた貴族名なのだろう。ならばますますそぐわない。名の知れた貴族はあそこまで旅にも戦闘にも場慣れしないものだ。


 自分は探られたくないくせにカールのことを探っている自分にふと罪悪感を感じ、セレスティアは貴族名鑑と閉じ役場から出た。

 まだ早いかもしれないと思いながら医院に戻ると医院の外にスノウを連れたカールがいた。もう治療が終わったようだ。声をかけようとして傍らにもう一人女性がいることに気がついて足を止めた。


 それはきちんとドレスを着込んだ令嬢だった。

 歳のころはカールよりセレスティアに近いかもしれない。レースをふんだんに使ったグリーンのデイドレスに頭にかぶったグリーンのボンネットがとてもよく似合っている。

 濃い茶色の髪ブルネットの美しい女性がそこでセレスティアに気がついたように振り返った。その美しさに息を呑んだ。


 それは母に似なかった自分にはなく義妹のリディアは持っていた繊細で女性的な美しさ。美しいリディアはいつも誰にでも愛される。セレスティアの胸がずきりと痛んだ。


 彼女はカールの何なんだろう。


「お連れの方がいらしたようですね。それではご機嫌よう。」


 カールとセレスティアにも優雅に頭を下げて令嬢は道に待たせてあった馬車に乗り込んで去っていった。

 セレスティアが尋ねる前にカールが説明する。


「古い知り合いです。僕を見かけて声をかけてくれました。」

「別に聞いてないし。」


 カールから視線を外しそう呟く。少し棘のある物言いになってしまった。カールが気分を害したのではないだろうか、言ってから心配になった。スノウが不思議そうにセレスティアとカールを交互に見上げている。

 セレスティアのその様子に目深にフードをかぶった少年は小首を傾げたが態度に変化はなかった。


「目の方は治療はなく自然治癒を待つ感じです。時間が経てば必ず治ると言われました。そもそも閃光弾が原因ですし。注意事項は包帯は外さず光は避けるように。フードは必須だそうです。」

「‥そっか。よかったね。」


 時間が経てば治る。そのくだりに喜び慄きながらも、機嫌を損ねた様子のないカールにホッとした。セレスティアの不機嫌な事情を問われても説明もできない。そこに触れてこないカールに救われたような気がした。


 宿に戻る道中、ふと少年を見れば押し黙り何か考えてる。聡い少年がこれほど悩む。何か問題が発生したのか。


「どうしたの?」

「呼び方を考えていました。」

「呼び方?なんの?」

「お姉さん、はなんだか他人行儀ですよね。僕としてもしっくりこない。」

「は?」


 唖然として足を止めてしまった。スノウがそれに合わせ立ち止まればカールも歩みを止めた。

 この少年は真剣な顔で何を言ってるんだ?

 少年は構わず真面目な表情で語り続ける。


「姉さん、はすでに上の姉に使ってるので名前を入れようかと。セレスティア‥セレスティア姉さん‥はちょっと長いし‥‥」


 ただ自分の名を呼ばれただけなのに背筋がぞくりとした。家族以外に愛称ではなく名前で呼ばれたのは久しぶりだからだろうか?この感覚の意味を探るがよくわからない。


「ご家族からはなんと?」


 カールの問いかけに我にかえる。


「妹からはセレス姉さんと呼ばれているわ。それでどう?」

「ならティア姉さんにしましょうか。」


 ん?どこがなら、なんだ?


「皆が呼んでいる呼び名なんてつまらないでしょう?誰かティアと呼んでますか?」

「い、いいえ‥‥」

「なら決まりですね。ティア姉さん、夕飯はどこかに食べに出ますか?」


 嬉しそうな声にセレスティアは抵抗を見せ言い淀む。その名はあえて呼ばせていない。


「ティアはちょっと‥」

「なぜです?」


 いつもは聡いのにそれを聞くのか?好奇心からなのか、たまにこの少年はデリカシーがなくなる。少年の姉の指摘は尤もかもしれない。


「‥‥ティアは可愛らしくて私のイメージに合わない。」

「イメージ?そんなのあります?」


 流石に無配慮がすぎる。セレスティアは憤然と少年を見据えた。


「そうなのよ!皆は私のことを‥凛々しいとか、かっこいいとかいうの。ちょっと違うと思うけど。背も‥高いし。」


 つまり男勝りというやつだ。


「僕はそういうイメージないですが。」

「それは私を見てないから!」


 少年は小首を傾げて不思議そうだ。


「見た目が全てではないでしょ?僕は確かにお姉さんを見ていないけど、初対面から親切にしてくれたり僕の目を気遣ってくれる優しさは知ってるよ?別にティアはおかしくないけど。」


 セレスティアはぐっと言葉を詰まらせた。目元に朱色が走る。


 この少年は今まで見た目で評価された自分を否定してくれている。

 背が高く竹を割ったような性格、そしてこの剣の腕。義妹の様な愛らしさも儚さもない。男性としてはそそられないだろう。

 十五で社交界デビューして三年。辺境伯爵令嬢という身分があっても誰も求婚してこなかった。


 目を患う少年は見た目でなくセレスティアの中を見ている。それがとても嬉しい。だがティアはちょっと‥‥


「それは誰だってそうするわ。目が見えないなんて大変じゃない。」

「違うよ。普通じゃない。わかってないなぁ。病んだ僕がどれだけ癒やされたか知らないでしょ?」


 セレスティアはその言葉に赤面をすっ飛ばして血相を変えた。


「え?!病?!目以外にも病んでたの?どこ?痛い?」


 切羽詰まるその様子にカールは一瞬ぽかんとするも、顔を歪める。声を殺そうとして失敗、堪らずクククと笑い声を上げる。身を震わせてとうとうしゃがみ込んでしまった。

 目に包帯が巻かれているから表情がわかりにくい。だが声色で大丈夫だとわかるが問い詰めずにはいられない。


「カール!ねえ!大丈夫なの?!」

「うん、もう大丈夫。だいぶ良くなったんだ。お姉さんのおかげ。」

「うん?ほんと?本当に大丈夫?」


 ひとしきり笑った後、カールはふぅと息をはく。


「本当に自覚ないんだね。」

「自覚?」


 少年はしゃがんだまま包帯をした顔でセレスティアを仰ぎ見る。そして祈りを捧げるように言葉を紡ぐ。


「明るい昼間に小さな蛍火があってもおそらく誰も気がつかない。それはしょうがないよね。でもね、混沌とした深いの闇の中ではそれは希望の光になるんだよ。闇から出ることは叶わない。でもその光に唯一救われ癒やされるんだ。」


 うたう様にそう語る少年をセレスティアな怪訝な顔で見つめる。


「よくわからないよ?」


 その答えに包帯の少年はさらに笑みを深める。


「うん。いいんじゃない?それでいいよ。凄くいい。笑ったら喉乾いた。どこかお茶できる場所ないかな。スノウがいるからオープンカフェがいいな。ティア姉さん」

「だからティアは!」

「もう決めたよ!」


 押し切られた!ひどい!


 楽しそうに立ち上がりスノウを伴い歩き出す少年の後ろ姿をセレスティアは憮然と睨みつけた。

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