第6話

(ちょっと待って、勢いよく飛び出したはいいけど、このままビルに飛び込むのよね?ガラス割れる?)

 地上二五〇メートル。ビルの狭間を滑空しながら、今更ながらに結衣は考えた。

「ちょっと鹿島さん!これ大丈夫!?ガラスって蹴破るんですよね!?高層ビルのガラスって強化ガラスでしょ!?割れるの!?」

 叫ぶ結衣だが、目的の窓はもうすぐそこだった。

『あ、言い忘れてましたけど…』

 鹿島が話し始めたが、すでに結衣はビルに激突寸前だった。とにかく両足に力を込める。まさに蹴破ろうとしたその時、目の前のガラスに複数の穴が開き、亀裂が走った。結衣はそのままガラスを蹴破り、ハンドルから手を離し室内に転げ込んだ。

『別のメンバーがガラスを狙撃するので、容易く蹴破れると思いますよ』

 鹿島の声が耳に届く。

「遅い!先に言って!」

 思わず結衣は語気を荒げたが、同時に室内の様子を確認する。人質の政府高官と思われる数名が一箇所に固まって座っている。ガラスが割れ、何者かが飛び込んできたことに驚き、頭を抱え込んで身を守っている者もいる。

(犯人は!?)

 見回すと人質たちから少し離れたあたりに、近未来的な自動小銃(FN F2000)を構えた大柄な男が一人、驚愕の表情でこちらを見ている。

(いた!)

 結衣は腰のホルスターからベレッタを引き抜くと、犯人と思われる男に狙いを定める。

「警察だ!(警察か?)手を上げろ!」

 しかし男は従うことなく、自動小銃を人質に向ける。

(まずい!)

 結衣と人質たちの間は十メートル以上離れている。

(間に合わない!)

 その時、人質たちがうずくまっているすぐ横の窓が盛大に砕け散り、黒いスーツを着た男が飛び込んできた。

(仲間?!)

 自分と同じ防護服[ブリット・コート]、色は黒で違いはあるが、同じ物に間違いない。フルフェイスのヘルメットのせいで表情はわからなかったが、不思議と一瞬で意思の疎通が図れた。

 黒いスーツの男は犯人に飛びかかる。結衣はその隙をついて人質との距離を詰める。

 現場は豪奢な造りの大広間で、立食形式なら百人くらいのパーティは可能だろう。しかし、パーティというよりは会議に使用していたらしく、白いクロスが掛けられたテーブルや椅子がそこかしこに散乱している。人質を無事に脱出させるには、それらを避けてこの広間の入口に誘導する必要がある。広間の外にはエレベーターもあるだろう。このフロアから下の階には警視庁の特殊部隊が待機している。入口は両開きの重そうな扉で、左方向二十メートル。

「走って!」

 入口を指差して人質たちに叫ぶ。大半の者は狼狽えるばかりだったが、一人の男が「行きましょう!急いで!」と声をかけたのをきっかけに、我先にと人質たちが入口に走る。人数は十二名。司令から事前に聞かされていた人数と合致する。

「あとは犯人を!」

 結衣が目を向けると、黒いスーツの男が犯人を取り押さえようと格闘している。銃を向けたが犯人だけに当てるなど、撃ったこともない自分にできるとは思えない。それならと二人目がけて突進し、犯人の背中に体当たりをと考えた瞬間、連続した銃声が不思議と軽やかに鳴り響き、揉み合っている二人が同時に倒れ込んだ。

「おいおい、人質逃げちゃってるじゃん。役に立たねぇなぁ」

 結衣が目をやると、人質が出ていった扉とは反対側にある通用口(入口の扉と比べて簡素な造りの鉄扉)の前に、大男と同じ自動小銃を構えた男がにやけ顔で立っていた。男は身長こそもう一人の犯人と同様に高かったが、やせぎすで猫背、頭を低く下げつつ、上目でこちらを見つめていた。

(何?犯人の仲間?)

 井荻の情報では立てこもり犯の人数は複数だった。当然と言えば当然。想定していなかった自分が情けない。助けに入ってくれた黒いスーツの男を守れなかった。犯人の大男も死なせてしまった。結衣が呆然としていると、

「仲間諸共銃撃とは、イカれてるな…」

 声がする方に目を向けると、黒いスーツの男がふらつきながらも立ち上がっていた。

(そうか、[ブリット・コート]。ライフル弾でも効かないって言ってた!)

 結衣が安堵のため息を漏らすと「くそ、肋が折れてるな」と黒いスーツの男が吐き捨てるように呟いた。

(うわぁ、貫通はしないってだけなのね…)

「ま、普通なら死んでるな。大したもんだこりゃ」

 黒いスーツの男は別の感想だ。彼は腰のホルスターから銃を引き抜くと、「手を上げろ」とやせぎすの男に狙いを定めた。

「おいおい、生きてるのかよ。驚いたね。防弾チョッキなの?」

「知らん。もっと高級品らしい」

「そうかい。じゃ、こっちも高級品で対抗しなくちゃ敵わないな」

 やせぎすの男はそういうと左手首に手をやり、腕時計のような端末を操作した。

「動くな!」

 黒いスーツの男は恫喝したが、やせぎすの男はニヤニヤしたままゆっくりと両手を上げた。

(投降する?)

 結衣はそう考えたが、男はF2000を持ったままだ。

「来る!」

 犯人が歓喜の声を上げると同時に、彼の全身が一瞬闇に包まれたように黒く染まる。結衣のゴーグルにアラートが走る。

「何だ?」

 黒いスーツの男が呟いた時、犯人の体が膨張し、その後彼の体を複数の装甲が包み込む。

「どうだい?こちらにも高級品が支給されてるんだぜ」

(何、これ?)

 そこには全身を甲冑のようなプロテクターで覆われた男が立っていた。聞こえる声は先ほどまで対峙していたやせぎすの男に間違いない。しかし、目の前に立っているのは未来の戦闘服を思わせる重装甲の兵士のようだ。一瞬でそれを身にまとったのか、それは変身としか言いようのない現象だった。

「嘘だろ?」

「嘘でしょ?」

 図らずも結衣と黒いスーツの男がシンクロした。

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