第2話
いつものように結衣は目覚めた。今日からいよいよ内閣府なんちゃら公安なんちゃらに出向だ。但し、いつも通りシン-レイバーに出勤するように言われている。だからいつもの時間に目覚ましをかけ、特に何も考えずぐっすり眠った。
東京都下の小さな町にアパートを借りている。九畳のリビングと六畳の寝室。バストイレ別で収納スペースもバッチリ。駅にも徒歩で十分ほど。家賃は月額十万円ほどだが、会社からの住宅補助で実質の持ち出しは五万円。高待遇だが、そもそも危険な職業だ。入社希望者は少ない。それでも、大学の卒業を控えた就職活動において、結衣の志望はシン-レイバー一択だった。高校生の時に一年足踏みをしたものの、大学生活は充実していた。ボクシングという夢中になれるものにも出会えた。そんな生活を送りながらも、卒業後はシン-レイバーに入るということだけは決めていた。元はと言えばボクシングもそのために始めたようなものだ。全ては岡田冬馬と共に生きるため。
出社後は制服に着替えるものの、通勤はいつもパンツスーツだ。結衣はいつも通り身支度を整え、かかとの低いパンプスを履いて家を出た。側から見れば普通の新社会人だ。
(それにしても公安に出向ってことは勤務はシン-レイバーの制服じゃないよね…普通にスーツかな?)
結衣はなんとも平和なことを考えながら駅に向かう。
ちょうど最寄駅で電車を待っていた時だった。シン-レイバー本社はその駅からは下り方面に位置するため、通勤ラッシュとは無縁で、ホームにはチラホラ数人が電車を待っている。バッグに入れていた携帯が振動し、結衣は画面を見て首をかしげる。
(登録してない番号だ。やだなぁ、イタズラだったら…)
それでも結衣は通話の表示をタッチし「もしもし…」
「本田結衣さんの携帯で間違いありませんか?」
低音で力強い声で尋ねられ、結衣は「そうです」と応える。
「お聞き及びかと思いますが、本田さんが所属される特殊班の者です。鹿島(かしま)と申します」
「あ、はぁ、はじめまして。本田です」
「すみません。挨拶はまた改めてということで、早速ですが…」
鹿島の話を聞き、結衣は電話を切ると上りのホームに向かって駆け出した。
(ホントに、早速だなぁ)
久し振りにラッシュの電車に乗ることになり憂鬱だったが、目的地で待ち受けていることを考えるとなぜか心が鎮まる感覚があった。
(もしかしたら今日かも知れない)
結衣はそんな予感を覚え、不思議と何も考えずに混雑した電車に乗り込んだ。
都心のとある高層ビルにたどり着いたのは一時間後だった。そのビルは一般的に名の知れたランドマーク的な建物で、ここまで近くに来たことはなかったが遠目では何度も目にしたことがある。高層階で深刻な事件が発生したらしく、結衣の所属する特殊班がその解決に関与することになったというのが鹿島からの情報だ。とにかくビル敷地の正面入口に来てくれと鹿島は言った。
見上げるビルは四十九階建ての高層建築で、大きく三層に分かれている。最下層からひと回りずつ細くなるように設計されており、遠近法の錯覚で地上から見上げると実際よりも更に高く見える。正面入口前はロータリーになっており、結衣が立っているのはそのロータリーの入口となっている一般道に面した辺りだ。駅から走って来たため、まだ呼吸が荒い。息を整えているとこめかみから一筋、汗が流れた。
「本田さん、ですよね?」
後ろから声をかけられた。先ほど聞いた鹿島の声だとすぐに気づき、結衣が後ろを振り返るとそこには高校生が背伸びをしてスーツを着たような、何とも頼りない男が立っていた。
(声とのギャップがすごい)
結衣はその感想を顔に出さないように注意しながら「鹿島さんですね、本田です」と勢いよく頭を下げた。
(お辞儀が速い!)
鹿島もまた、その思いを顔に出さないよう「こちらへ」と言って、結衣を敷地から離れた方へ促した。
「向かいのビルの駐車場に指揮車が止まっています。詳しくはその中で…」
結衣は鹿島の後について指揮車に向かう。なんとなくミニバン程度を想像していたが、鹿島に指し示された車両は大型のトレーラーで、全長はトラクタ部分も含めて十五メートル程はあるだろう。トレーラーの屋根にはなんらかの電波を送受信できそうなアンテナが複数載っており、テレビの中継車のような印象を受ける。但し、近くで見ると一般の車両ではないことは一目瞭然で、明らかに装甲が厚く、戦闘車両に類するものだとわかる。トラクタのガラスもサイド部分は金属のネットで補強されており、いかにも物々しい外観だ。車両全体はグレイと言うよりは灰色と言った感じで、なんとも言えない暗澹たる塗装が施されている。
トレーラーの後部にステップがあり、鹿島に導かれて結衣が中に乗り込むと、意外なほど静かにハッチが閉じた。
(凄っ)
中に入ると右手にロッカーのようなものが複数並んでいる。その造りはただの直方体ではなく、SF映画で見るような近未来の棺桶、もしくは冷凍睡眠用のカプセルといった風だ。
(日サロの機械みたいだな…)
結衣の感想は現実的だった。
左手は通路になっており、奥に開けたスペースが見える。先に進むとそこには中央にテーブルがあり、片側に四人ずつ座れるよう、固定された椅子が設置されていた。テーブルにはやはり固定されたモニタが人数分設置されており、それを見ながら作戦会議でもするのだろうと、結衣は漠然と考えていた。
そのスペースの奥、トレーラー内の突き当たりには、壁一面を占める機械類が隙間なく設置されており、モニタやキーボードのほか、用途不明な機器が並んでいる。その機器類の操作者が座る椅子も三脚ある。鹿島はその右側の椅子に座ると、座面をテーブル方向に回し席を手で示した。
「本田さんはそちらにお掛けください。今後もそこがあなたの席です。背もたれに赤いプレートがあります」
結衣は言われるまま、車両の一番前方に当たる左手の席に着いた。斜めに鹿島を見る形になる。テーブルのモニタはスリープになっているようだ。英字のスクリーンセーバーが不規則な動きをしている。文字自体がランダムに回転し、更に位置も滑らかに移動し続けているため判読するのに数秒を要したが、その間、鹿島が一言も発しなかったので、結衣は画面に意識を集中した。
読み取った結衣が顔をあげると、やはり鹿島はそれを待っていたようで「それがあなた達特殊班の正式名称です」
結衣はそれを声に出す。
「SIN BULLETS…」
「そう、シン-ブリッツです」
鹿島がよく通る低い声で言う。
「見た目とのギャップ…」
結衣は聞こえないように声に出してつぶやいた。
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