シン-ブリッツ

巴山仮名多

第1章 第1話

「あたしがリーダーですか?」

 本田結衣(ほんだゆい)は当惑していた。警察庁が秘密裏に組織する特殊班にアサインされただけでも驚愕の事態であり、何かの間違いではないかと疑ったほどだ。そこに来てさらにその特殊班のリーダーをやれとは、警察官でもない一般企業の社会人、しかも一年目の自分にとっては何かに担がれているとしか思えない異常な状況だった。

「そんなバカな」

 心から出た一言だった。

「そんなバカなことがあるんだね」

 軽く返したのは社長の井荻(いおぎ)だ。基礎体力訓練として早朝から訓練場を走っていたところ、訓練教官から社長室に行くよう命じられた。古くからの知り合いなので、社長に呼び出されたからといって緊張するようなことではないが、何事かという当惑はあった。しかし、まさかこんなサプライズが待っていようとは。

 ここは株式会社シン-レイバーの社長室。会社の業務内容は非常に特殊で、企業や個人からの依頼で動くことはほぼ無い。主にクライアントは警察庁や総務省、防衛省などだ。平たく言えば警察と消防、自衛隊。依頼内容は大規模な事件、事故、災害などに関する特殊事案の解決であり、常に危険が伴う。その為、一般の営利団体でありながら国家予算から運営費が出ている、半官半民の不思議な企業だ。どうしてこんな組織が成立するのか謎は多いのだが、社長であり創始者の井荻が元警察のお偉方だということが大きく関係しているというのが社内の定説だ。すなわち、社員であってもその真実を知るものは非常に少ないということである。

 話は戻って、その社長室で結衣は井荻から辞令を受けた。

「辞令、本田結衣殿。四〇年六月一日付で内閣府国家公安委員会警察庁に出向を命じる」

「は?」

「は?じゃないだろ。わかったか?わかったら復唱」

「はぁ。わからないけど、本田結衣は六月一日付けで警察庁に出向します」

「端折るな」

「だって覚えられなかったんです」

「だってじゃない。会社では俺は社長、君は新入社員だからね。もう少しちゃんとしてくれないと…」

 と言いながらも井荻はニヤニヤとしている。

「内閣府国家公安委員会警察庁ね。ちゃんと覚えてよ」

「はい。ところで、あたしは警察庁に出向して何を?」

 と言ったやり取りの後、結衣の冒頭の驚きに繋がる。


 全く整理できていない。今の私の率直な感想だ。新卒で入社したばかりのペーペーに、あっという間に出向の命令。しかも行き先は警察庁。半官半民の企業とは知っていたけど、完全に官だわ。公僕だわ。しかも訳の分からない特殊部隊勤務。さらにはそのリーダー。なんのこっちゃだわ。

 社長室を辞した後、混乱したまま行くあてもなく社内を徘徊しているとマイダーリンを発見。これは話を聞いてもらわなければ。でも、守秘義務ってヤツがある。

 なんだそりゃ。

 がんじがらめだ。

 頭から煙が出そう。

 あ、もう出てるんじゃない?

 きっと出てる。

 出てるに違いない。

 まぁ、とにかくダーリンに話しかけて、とりあえず気分をマックスまで回復させよう。そんなこんなで私は駆け寄るのだ。できるだけ可愛らしく。笑顔で。


「岡田(おかだ)さん、お疲れ様です!」

 完璧だ。少し上目遣いで、首なんか傾げちゃったりして、ついでに瞳も潤ませちゃえ。潤め!我がまなこよ!

「なんだお前。目にゴミでも入ったか?」

 くーっ!つれない。

 つれなすぎる。

 そこがまた魅力的だわ。

 私はくじけずに「私、悩んでるんです。相談に乗ってくれませんか?」

「ああ、悪い。今忙しいんだ。後にしてくれ。」

 つれない!

 つれなすぎる!

 あからさまに落胆の表情を作ってみたが、マイダーリンは全く意に介さず歩き去る。私は言葉もなく立ち尽くすのだった。とは言え、歩き去る後ろ姿もかっこいいわなどと見惚れたりして…。

 マイダーリンが曲がり角を曲がり、その姿が見えなくなると、私は気を取り直して今後のことを考えた。とりあえずは明日、もう一度社長室に呼ばれている。そこで今回の出向について、さらに詳細な説明をしてくれるらしい。まずは情報が少な過ぎる。今は考えるだけ無駄ということだ。

 と、言うわけでとりあえずは通常業務に戻ることにしよう。社長から呼び出され、中断していた基礎体力訓練に戻らなければ。担当教官は今回の出向について何か知っているのだろうか。


「岡田冬馬(とうま)は四〇年六月一日付にて内閣府国家公安委員会警察庁出向を拝命致します。」

 再び社長室。井荻からの辞令を受け、岡田が復唱する。元警察官らしく、井荻が敬礼をすると岡田もそれに応じる。どちらもかかとを揃え、まっすぐに伸びた姿勢が様になっている。身長一八〇センチメートルの岡田をやや見上げるような形で、井荻がいたずらっぽい笑顔を浮かべる。

「いよいよだ。頼むぞ、岡田。」

「わかってます。」

 二人は視線を交わすと、岡田は一歩下がり部屋を辞す。扉が締まると井荻は表情を強張らせ再び同じ言葉をつぶやいた。

「頼むぞ、岡田。」

 井荻は内線で秘書課を呼び出し、「伊吹(いぶき)を社長室に」と告げた。そして一度窓の外に目をやると、訓練場に立つ伊吹のもとに駆け寄る結衣の姿が見えた。彼は再び表情を和らげデスクの写真に目を移す。そこには若き日の井荻と、同世代の男性が笑顔で写っていた。肩を組み井荻は右手、もう一方の男性は左手の親指を立てている。そして井荻は再び同じ言葉をつぶやいた。

「いよいよだ。」


 しばらくして社長室の扉がノックされた。井荻は座ったままで「どうぞ」と声をかける。入ってきたのは伊吹速矢(そくや)だった。彼は井荻から辞令を受けるといくつかの質問をした。井荻はそれに真摯に答えたが、伊吹は不服そうな表情を隠さない。最終的には無言で社長室から出て行く。井荻はその背中を目で追い、小さく嘆息すると、また内線で秘書課に連絡をした。

「あと二人か…」

 井荻は再び窓の外に目をやる。訓練場では結衣がトラックを走っている。しなやかで力強いフォームだ。身長は一六〇センチメートルほどだろう。女性としては平均的な身長だ。学生時代からトレーニングを続け、入社後も伊吹にしごかれる毎日を送っている。その肢体は女性としての魅力は損なわず見事に鍛えられている。女子アマチュアボクシング世界一。将来を嘱望されていたが、やはりここに入社してきた。あれ程止めたのに、彼女の心は変わらなかった。

 シン-レイバー入社の最終面接で彼女が言った言葉を今でも覚えている。なぜそこまでと、怒りか悔しさか、それとも憐れみか、自分でも理由のわからない涙が流れた。

「年甲斐もなく…」

 その時を思い出し、井荻は苦笑する。当の本人である結衣は、真っ直ぐに井荻を見つめていた。突然泣き出したオヤジを笑うでもなく、狼狽えるでもなく。

 ただ、「ありがとうございます」そう言ってくれた。井荻に彼女の入社を拒むことはできなかった。

「俺と同じじゃないか、こいつは」

 最後に合格の通知書に押印する時、井荻は心を決めた。結衣を、その生き方を、できれば最後まで見届けようと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る