東京駅
図面だけで圧倒されたが、視界に収まりきらないほどに広く積み上げられた赤煉瓦を前にして、私は言葉を失った。
日本鉄道が建設に難色を示し、日露戦争で予算が足りず手を付けられなかった上野〜新橋駅間が明治41年、鉄道院総裁に後藤新平が就任すると同時に着工した。
そして皇居の最寄りにと計画された中央停車場が、東京駅という名前を得て完成したのだ。
大正3年12月18日、東京駅開業記念式典。
2345名分もの招待状を準備するのは難儀だったが、その甲斐あって大隈重信総理大臣などの
「総裁、祝辞をお願いします」
ニヤリと笑ってから登壇したのは、鉄道院総裁就任間もない仙石貢。とうとう鉄道の頂点に登りつめたのだ。
壇上を誇らしく見つめていると、側にいた部下がコソッと耳打ちをしてきた。
「総裁と同窓と伺いましたが、本当ですか?」
こちらもコソッと耳打ちで返す。
「そうだ。総裁は、私のような根っからの小役人とは違うさ」
「失礼を承知の上でお尋ねしますが、議員や役員のお誘いなどがあったのでは……?」
確かに、国との繋がり欲しさに官僚を引き抜くところは
「私には向いていないよ。それに田舎の村長や、貧乏私鉄の役員よりも、ここから仙石総裁を見ている方が面白い」
そう、仙石にどう足掻いても敵わないと思った私は、あっけらかんと自分を諦めたのだ。官僚として物足りないかも知れないが、人間として満足している。
「そんな、仙石総裁はこれからですよ。東京駅長だって、ひとつ上ではないですか?」
57歳にもなって、まだ先があると証明されてしまい苦笑した。
東京駅長の高橋
こういったところからも、東京駅への力の入れようが伝わってくる。
「さぁ、もうひと頑張りだ。明後日に備えよう」
東京駅の正式開業である翌々日の12月20日、もうひとつ開業するものがあったのだ。
それは東京から横浜の手前、高島仮乗降場までを結ぶ京浜線電車である。
鉄道院では甲武鉄道からの引き継ぎ車を皮切りに、甲武鉄道改め中央線と、山手線で電車を運転していたが、この度の京浜線開業で用意した新型電車デハ6340型は、それまでと一線を画すものだった。
「心
「幅が広がっているようだね。付随車も長い」
「運転台が一方にしかありませんね」
「連結運転前提だからさ。その分、客室が広い」
「屋根上の
「パンタグラフという集電装置だ。今までの棹で集電する方式より、速く走れる。これはアメリカ製だそうだよ」
他にも新設計の台車を採用し、山手線と京浜線双方の架線電圧に対応する複電圧仕様など、持てる技術の粋を集めた電車で、その性能は鉄道院最高水準を誇っている。
電車は品川駅へ走り出した。
中国
電車が去ってから改めて東京駅の赤煉瓦、白い縁取りの窓、陽射しを浴びて黒々と輝くスレート屋根を、惚れ惚れと眺めた。
「美しい駅だな、まさに東洋一だろう」
「まったくです。いやはや、ドイツ人が設計した駅舎にならず安心しました」
部下が言ったように、当初の設計はドイツ人のバルツァーによるもので、これも煉瓦と石積みで作るつもりだった。
しかしその形は、日本を意識したのか、皇居の最寄りだからか、城郭風で度肝を抜かれた。
「バルツァーは怒っていたなぁ」
「えらい剣幕でしたね。『自国の文化を捨てるのか!』とか」
「しかし辰野は痛快だったよ。『赤毛の島田
「形だけ真似ても、ということでしょうね」
そうは言っても、予算増額により駅舎の規模が大きくなったが、基本的な設計はバルツァーから引き継いでいる。
形はともかく、建築家として優秀だったのだ。
「ところで、電車を走らせる電気がどこから来ているか、知っているかい?」
「いや、専門ではないので……もしかして」
後藤の尽力で可決させた広軌化を明治44年、原敬が後釜に就任して中止にすると、仙石は福島の猪苗代水力電気会社の社長に収まった。
さすがに嫌気が差して、ついに鉄道から離れてしまったと落胆したが、そうではない。
「設計、工事とも当代最優秀なものにせよ。資金を惜しむべからず!」
の大号令のもと建設されて、今年完成した猪苗代第一発電所は東洋一の発電量を誇っている。
ここで作られた電気は、技術的に目処がついたばかりの高圧送電で、関東に届けられている。
そう、猪苗代で生まれた電気が、京浜線の電車を走らせるのだ。
また発電所建屋の設計は、日本銀行本店と大阪支店、奈良ホテルや万世橋駅、そしてこの東京駅の図面を引いた辰野金吾。
「まさか……仙石総裁が就任前から裏で糸を引いていたとでも……」
「さぁね、出来すぎた偶然かも知れないよ。駅舎の依頼は、だいぶ前にしていたからね」
部下が目を丸くして固まったので、私は視線を
「しかし、電気は──」
「私の
神尾中将を迎えたあとは、代議士たちの京浜線試乗会がはじまるのだ。
まったく、退官してもおかしくない私を、こき使うのだから参ってしまう。
堂々たる態度で電車に乗った仙石が、羨ましく思えて仕方なかった。
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