京浜電気鉄道
日本に鉄道をもたらしながら、独善的な手法により議会から追い出された井上勝は、明治42年に帝国鉄道協会の会長に就任した。
鉄道の父は、名誉を回復するに至ったのだ。
翌明治43年、日英博覧会と鉄道視察のため、欧州に渡った。
そして、体調を崩した井上は、ロンドンで客死した。
ロンドンで
先に両親を葬ったとはいえ、鉄道を見守る場所に眠るとは、何という因果であろうか。それともこれが、鉄道に生涯を捧げた井上の、最期の望みであったのだろうか。
「何のために欧州に行ったのだ、死にゆく旅路ではなかっただろうに……。最新の鉄道を目にして、凝り固まった考えを捨て去った井上と言葉を交わしたかった」
墓参りで仙石と偶然に居合わせたので、食事をしながら井上を偲ぶことになった。伏し目がちに拳を握りしめながら、怒りにも似た悔しさを私に語った。
「まったくだなぁ。井上が初めて渡欧したときは密航だったそうだが、今回は政府のお墨付きだ。晴れやかな気持ちで視察していただろうに、残念でならないな」
すると突然、仙石がガバッと顔を上げた。ひと目でわかる、今度は純粋に怒っている。
「それはそうと、あれは何だ! あの小豆色した電車は!」
「あれって、途中に見掛けた京浜電気鉄道か?」
「京浜……鉄道? 京浜間の鉄道だと!? 東海道線と並行する私鉄を、鉄道庁が許可したのか!?」
噛みつく仙石を抑えつつ、我ら鉄道官僚にとっても苦々しい、やむにやまれぬ事情を説明した。
「鉄道を名乗っているが、あれは私設鉄道法ではなく軌道条例だ」
「路面電車が横浜まで走っているのか!」
「阪神間を結ぶ電車もあるぞ。あっちは軌道を名乗っているが、アメリカのインターアーバンなる路面電車を真似たそうだ」
聞き慣れぬ言葉に、仙石は怒りをわずかに残しつつキョトンとしてみせた。
「何だそれは?」
「都市では道路を、郊外は専用軌道を高速で走る都市間連絡鉄道だ。基本が路面電車だから、街の中心にまで入ってこれる」
「何だそれは!」
「仕方なかろう、内務省が『線路のどこかが道路にあればよい』と言いおったのだ」
ふざけるな! そうワナワナとする仙石を冷ますため酒を注ぎ、声を落としてゆっくり諭した。
「その軌道条例も、今は我らの所管だ。もう二度とピッタリ並行する軌道は作らせん」
そんなことは当然だ、鉄道を何だと思っていると言いたげにムスッとして
「それと、今は鉄道庁ではない、鉄道院だ」
「まったく、コロコロと名前を変えおって……」
「それを決めるのは、お前たち代議士だろう」
「俺だって、好きで羽織ゴロツキをしているわけではない。頼まれて仕方なくやっておるのだ」
不快感に顔を歪めた仙石は、京浜電車に話題を戻した。
「あの電車は標準軌だろう」
「さすが、よく見ているな。仙石は改軌論者か」
「当然、既存の鉄道を強化することが先決だ」
「しかし地方は、そうはいかんのだろう」
言った私も仙石も、そうなのだ、と難しい顔をして腕組みをした。
世間は我田引水ならぬ我田引鉄。
我が町に、我が選挙区に鉄道を、改軌する予算があるなら低規格でもいいから線路を伸ばせ、という意見も強く訴えられている。
これを率いているのは、立憲政友会の原敬。
「後藤も改軌論者だろうが、政党が相手となっては厳しいだろうな」
後藤か……と、仙石は溜息のようにつぶやくと
「あの大風呂敷には困る。改軌した暁には日朝を結ぶ海底トンネルを掘り、東京から満州まで直通列車を走らせると息巻いておる。夢物語では負けてしまうから、黙っていろと言っているが……」
とまで話して、溜息をついた。
入念に下準備をする現実主義の仙石にとって、あまりに壮大な計画は
「買収できれば話が早いのだが……」
「軌道など買えるか、買えなかった私鉄があるというのに」
仙石がいた九州鉄道もそうだが、鉄道国有法が施行されて我々が関わった日本鉄道に甲武鉄道、山陽鉄道や総武鉄道などの17私鉄を買収した。
しかし仙石が言ったように、予算が足りず東武鉄道や南海鉄道など、国有化が叶わなかった私鉄もある。
いずれにせよ、これによって4450kmの線路、未開業線292km、機関車1118両、客車3101両、貨車20850両を手に入れた。
それまでの延長2525km、機関車769両、客車1832両、貨車10821両から大いなる飛躍である。
また、鉄道国有化をはじめに唱えたのは井上勝で、下野するきっかけともなった。
井上は鉄道国有法施行を、どんな気持ちで見ていたのだろうか。
浪人となった井上を世話したとはいえ、退官を決定づけた仙石と語り合うことは憚られたので、話題を変えることにした。
「そうだ! 買収した関西鉄道から面白い技師が来たぞ。島安次郎というが、知っているか?」
「知っておる。奴も改軌論者で、後藤の手となり足となり計画を立てているそうだ」
「何だ、知っていたのか」
「それと
何を言うか、仙石はこれからじゃないか。
そう言いかけると顎に手をやり、もごもど考えごとをしている素振りだ。
「電車か……」
やはり、まだまだこれからのようである。
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