第10話 倉持は救いたい
桃井は深くため息をついた。
倉持たちが務める会社のすぐ近くに、行列のできるお弁当屋があった。
しかし、最近はライバル店が増えたため、売り上げは思わしくなかった。
常連客のおかげで、運営していく利益は十分出ているが、そうはいっても、危機感はあった。
母親が店長兼お弁当作り、桃井は、お弁当作り兼、売り子と経理をしている。
お店の金銭事情については母よりもよく知っていた。
正直のんきな母にいらだつこともあった。
自分が何とかしなければ…
何か新商品でも作り出して、バズることはできないか… そんなことばかり考えていた。
火曜日の14時
倉持はいつもこの時間にこのお店を訪れる。
他の曜日はまちまちだが、火曜日は必ずこのお弁当屋を利用する。
火曜日の日替わりメニューは、ハンバーグとエビフライ、そして炒飯である。
倉持「こんにちは。 日替わり定食大盛りで」
桃井「はい。 いつもありがとうございます」
倉持はおつりが出ないように、ちょうど渡した。
桃井「ありがとうございますーーー うわれ…」
袋を渡す瞬間、桃井は自分の服に小指を引っかけてしまう。
そのため、胸と服とに隙間ができる…
スキマから小さな桜がのぞく。
倉持は追加で300円支払う。
桃井は黙って受け取る…
倉持「ごめん… じゃあいただきます」
倉持は足を引きずりながら、10歩進む。
しかし、踵を返した。
桃井「どうしました? 何か、入れ忘れていましたか?」
倉持「いえ… ただ、桃井さん… 元気ないなと思いまして…」
桃井「え? ごめんなさい… 態度に出てましたか?」
倉持「いや… そんなに気にはならないと思うけど、声のトーンが少しだけ、低かったんで…」
桃井は…これはチャンスと思った。
倉持は昔からの常連、頭もいいし、信頼もできる。
桃井は倉持に新商品開発の協力を頼みたいと思った。
もちろん若干の下心もあった。
桃井「実は、最近新規のお客さんが少なくて… 何かいいアイディアないかなと思いまして」
倉持「なるほど…」
倉持(確かに、最近お弁当屋さんは増えてるし… ライバルは多いだろうな… 味は間違いなくトップクラスなんだけどなぁ…)
倉持「うーん… 私は、そういうの疎いんですけど… 一般消費者目線で良ければ… お力になりましょう」
桃井「ホントですか! ありがとうございます」
桃井は、カウンター越しに、倉持の手を握る。
しかし、その勢いは強すぎて、そのままカウンターを飛び越えて、倉持に抱き着いてしまう形となった。
桃井「ご…ごめんなさい。 大丈夫ですか…」
倉持「大丈夫です。 それより…」
桃井の上半身ははだけて、倉持には桃井の可愛らしい乳房が完全に見える形になっていた。
桃井「ご…ごめんなさい。 こんな… 貧相なもの…」
倉持「そんなことないですよ。 色もきれいですし、ハリもあります。 自信を持ってください」
桃井「…色?」
倉持「あ…」
倉持は300円追加して、そそくさと退散した。
振り向きながら、律儀に桃井に予定を伝えた。
倉持「それでは、今日仕事終わりにお邪魔しますね」
桃井(…まさか… 色まで見てるなんて… これって、もしかして… 脈あり?)
夕方
倉持「すみません」
桃井「倉持さん。 お待ちしていました」
新商品会議に備えて、桃井はホワイトボード等の資料を準備していた。
倉持「すみません… 私以外にも入れますか?」
桃井(…せっかく二人きりだと思ったのに…)
赤井「こんにちはー どもども、お世話になってます」
青野「食べ物のことなら任せてください」
黒田「同じく!」
緑谷「すみません。 お邪魔します」
システム部は残業中であった。
桃井(ま…まあ、赤井さんも、黒田さんも常連と言えば常連だし… 意見は多い方がいいし… くっ)
赤井が桃井の首に腕を回す。
赤井 小声「桃井さーん… お昼ぶりね… 倉持よりも利用頻度が高い、私じゃなくて…倉持に声かけたんだー… ふーん… におうなぁ… におうわぁ…」
桃井 小声「おどそうったって、そうはいきませんよ? ここは私のホーム… 負けませんよ」
赤井 小声「へー… さすが商売人… 肝が据わってるわね」
赤井 小声「まあ、それはさておき… 経営大丈夫? マジな話、相談のるわよ?」
桃井 小声「ありがとうございます。 マイナスとかはないんですけど… このままじゃヤバいかなって…」
赤井 小声「分かった。 そこはちゃんと力になるよ」
桃井 小声「頼りになります」
気を取り直した桃井が仕切り始める。
桃井「皆さん。 お疲れのところありがとうございます! 僭越ながら司会進行を努めます桃井です。よろしくお願いします」
桃井「早速ですが、議題です。 バーバン! 『バズる新商品開発』です」
倉持「はい… 一応確認ですが、バズると新商品開発どちらに重点を置きますか?」
桃井「うーん。 本音はバズればいいです。 ただ、正直いまウチが取り扱っている商品がバズるとは思えないんです… だから、バズるために新商品が必要という感じです」
倉持「なるほど… それでは、新商品の案も出しながら、もしも既製品をバズらせるアイディアさえあれば提案してもよいですか?」
桃井「ですね。 手間を考えると、その手段があれば採用したいです。 是非教えてください」
倉持「分かりました。 ありがとうございます。 それでは、考えられる人は新商品と並行して既存品のマーケティングについても考えるということで…」
赤井(なるほどね… 確かに、このメンツで新商品の提案ができそうなのは… 青野と黒田さん… 倉持と緑谷さんはマーケティングの方が得意そうだもんね… 本来議題を増やすのは悪手だけど…目的と手段をはっきりさせて、複数の手段を提案するのはアリね…営業部のエースは伊達じゃないわね)
桃井「というわけで、皆さんお願いします」
桃井「まあ、私としては、売れそうな新商品を作る⇒それをバズらせるって考えです」
桃井「一応、新商品案がありますので、資料をどうぞ… 二部しかないですが…」
倉持たちは資料に目を通す。
机の二か所に資料を置いて6人で共有する。
倉持はじっと資料に目を落とす。
倉持(しらす丼か… 美味しそうだが、バズるかは分からないな…それに鮮度が…そもそもどういうターゲット層なんだろうか…)
赤井(とろろか…いいけどインパクトが… 卵黄を乗せて、月見っぽくするのは良い手段だけど、もはや定番よね)
黒田(松茸そのまま丼… インパクトはあるけど… バズるかしら… それに値段がアホだわ…)
緑谷(アワビ… 美味しそう…けど、お弁当で食べるものかな… うーん…値段も高いし…)
青野「どれも美味しそー」
倉持「…」
赤井「…」
黒田「…」
緑谷「…」
倉持赤井黒田緑谷(ダメだ… 下ネタが思考の邪魔をする)
青野「って、松茸っておチ○チンみたいですね。 倉持さんのもこれぐらいありましたよ」
桃井「は?」
桃井は殺気を放った。
しかし、青野だけは気が付かない。
桃井「青野さん… ちょっと…いいですか… あ、皆さんはお気になさらず…」
青野「なんですかあー」
桃井に連れられて、青野はトコトコとキッチンへ行く。
桃井が先に戻ってきた。
桃井「天然巨乳娘の女体盛りはどうかしら」
倉持の脳何では、ばっちりイメージが再生されてしまった。
豊満な青野の胸にたっぷりかけられたとろろ、その上にマグロのお刺身…お腹には、タイやブリ、サーモンのお刺身。下腹部にはワカメに乗ったいくら、その下のアワビ…
倉持(まてまて…鎮まれ… そんな妄想NGだ)
妄想ではなかった。
倉持が目を開けると、目の前に、まさに先ほどのイメージ通りの青野がテーブルに乗せられていた。
青野「倉持さん… 桃井さんが、これ売れそうだって… 恥ずかしいですけど… どうですか?」
倉持「いやいやいや… どうって…ど…」
桃井「どうぞ、お箸とお皿です」
倉持「ああ、ワサビもありますか?」
赤井「はい」
倉持「ありがとう」
倉持「って、みんなもう食べてるんですね」
桃井「大丈夫です。 直ではなく、ラップを挟んでいます」
倉持(そうかぁ… じゃあ、安心だぁ)
黒田「倉持、マグロ好きだよね。 まだあるよ」
倉持の家はしつけに厳しかった。
特に箸の持ち方を始めとした食事の作法には厳しかった。
それゆえに倉持の箸の持ち方は極めて美しい。
正しい箸の持ち方の場合、すくうという動作が綺麗にできるという特徴がある。
倉持は迷わず、まっすぐにマグロに手を伸ばす。
下のとろろごと、すくいあげるように。
青野「…あああん…」
倉持は青野の乳首ごとすくい上げてしまった。
青野は箸で乳首をつままれて反応する。
しかし、食材は落とすまいと、バランスは保っている。
青野「倉持さぁん…それは…すくっちゃだめですぅ」
倉持「す…すまない…」
ところで、倉持は食費をかなり切り詰めている。
お昼にこのお弁当屋を利用するのも、このお弁当屋が近くで一番安く…かつ14時を過ぎると半額になるからである。
シェアハウスでは、夕食代をあらかじめ入れているので、心配はないが、そこまで豪華なものが並ぶことは多くない。
それゆえ、今、倉持は飢えていた。
お刺身…好物である。 いくら…好物である。 あわび…大好物である。
今倉持は幸福であった。
倉持は、気を取り直して、とろろとマグロをすくい上げて、しょうゆ皿に、ちょん、と、つける。
それをゆっくり口に運ぶ。
マグロの赤身は白のじゅうたんに乗って、倉持の口内に飛び込む。
倉持の口内で、白いじゅうたんは雲散霧消し、そのとろみと甘味が口いっぱいに広がる。
倉持はまず、右の歯で赤身を噛む。
噛んだ瞬間、マグロの繊維は絹のようにほどかれる。
次に左の歯で噛む。
左右にマグロのうまみと醤油と甘味がいきわたる。
次に、前歯で擦る。
擦れば擦るほどマグロの繊維はほどかれていき、真っ赤な美しい数万の筋となる。
その筋は白の繊維と口内で一体になり、新たな紋様を織りなす。
まるで日本国旗がチュニジアの国旗になるかのような変化が口内で繰り広げられる。
恍惚の表情を浮かべる倉持。
それを見た女性陣は、自然と倉持に譲るのである。
しかし、ただ黙って譲るわけではない。
桃井「倉持さん。 どうぞー あーん」
倉持「ん」
桃井はイトヒキイワシのお刺身をあーんする。
緑谷「…く…倉持さん」
緑谷はブリを入れる。
黒田「はい。 倉持」
黒田はアナゴをゆっくり運ぶ。
赤井「これ… 好きでしょ?」
赤井は真鯛を運ぶ。
倉持「うまい。 うまい。 うまい」
青野「ずるいです! 私も、倉持さんを餌付けしたいです」
青野「何か、普段と違って小動物みたいでカワイイですもん」
青野は上半身を持ち上げる。
刺身は腹部にたまり、一つも落ちていないので、大丈夫。
青野は倉持の真正面に座る。
青野「いくら… 私のわかめといくらをどうぞ」
倉持「粒が… うまい。 わかめも新鮮でシャキシャキしている」
青野「でしょー」
青野「じゃあ、アワビもどうぞー」
倉持「…待ってください」
倉持「ポン酢はありますか?」
倉持の頬にピトッと、ビンの感触が伝わる。
桃井「お待ち。 常温のポン酢だよ」
倉持「ありがとうございます」
倉持は、青野のアワビに、ポン酢をトポトポとかける。
新鮮なアワビは、ポン酢の感触に反応してか、うねうねとヒダを動かす。
倉持は、可能な限り鮮度の良い状態で食すため…
それが食事の作法的にNGだとは知りながらも、青野のアワビにぐっと、自分の顔を近づける。
ほのかに潮のかほりがする。
懐かしき、香りである。
倉持はゆっくりとアワビに口をつける。
ハムハムとアワビをゆっくり口内に入れていく。
食べるというよりも吸うと言った方が適切であろう。
倉持(海! 海だ!)
はるかな昔、命は海で生まれた。
海は命の源である。
倉持はアワビを食することで、母なる海を感じ、自分のルーツを思い起こした。
倉持(ああ、母よ…命の生まれた場所…)
倉持「このコリコリとした食感… 口中に広がる甘味… とろける…」
感動のあまり、倉持の手は、倉持の意思に従わず、おかわりを求めてしまう。
青野「ああん。 あ… そこわぁ… わたしのぉ…てんねんの…あわび…です」
倉持は我に返った。
目の前には、ラップが全身にベトッと張り付き、その肢体が完全にあらわになった青野がいた。
倉持「す…すまない…」
その時、倉持の脳裏に雷鳴が走った。
倉持は青野の足の間に5000円を置き、ホワイトボードに向かう。
勢いよく倉持はペンを走らせる。
赤井「…なるほど」
黒田「確かに…」
桃井「あ…」
桃井の頬を涙が流れる。
自分の奥底に渦巻いていた悩み…
それを倉持がさっとすくい上げてくれたことが、桃井にはうれしい事であった。
翌日、お弁当屋には行列とまではいかないものの、そこそこの列ができていた。
桃井と母親が一緒になって売り子をしている。
赤井「そうか…そもそもはバズるも新商品もどうでも良かったのね」
倉持「ああ、桃井さんが悩んでいたのは、経営者である母親と自分とに意識の差があったこと…」
倉持「昨日の会議の場に母親がいなかったので…自分ひとりで何とかしないといけないって、気持ちが先行しすぎたのかな…と」
黒田「桃井さんが本当にしたかったことは、母親と仲良くすることだったのね」
倉持「だから、二人で作って、二人で売る。 それで解決していくと思います」
倉持「新商品も、桃井さんならそのうちいいものを作りますよ」
桃井が倉持たちに気付く。
桃井が笑顔を向ける。
手を振る倉持たち。
その横で青野が新商品の『卵黄とろろシラス丼』をほおばっている。
青野「もぐもぐ… これで一件落着商売繁盛間違いなしですね」
倉持(…狙っているのか… 天然なのか?)
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