第8話 倉持は缶コーヒーなら微糖派

遊園地ではしゃいだ翌日

倉持はいつもより1時間早く起きた。

住民とのラッキースケベに出会うこともなく、早々に家を出発した。

その様子を桜と紅葉はしっかりと見ていた。

桜は深くため息をつく。

倉持に一通のメールを送る。


桜 メール「最近お客さん少なくて… 今日とかこれる?」


倉持は立ち止まり、道の端に避けてから、返答する。


倉持 メール「そうだね。 夕方ぐらいに行こうかな」


桜は返信を見て、少しだけ機嫌が良くなった。




倉持は携帯電話をしまうと、いつもと反対方向へ向かう電車に乗り込んだ。

電車を降りて、ナビを頼りにしながら数十分、アパートを訪れた。

目的地の部屋につくと、呼び鈴を鳴らす。


しばらくして、ドアが開く。

中から、まだ髪もセットしていない緑谷が出てくる。


倉持「おはよう」

緑谷「…おはようございます」

倉持「一人じゃ出勤しにくいかなと思って、迎えに来ましたよ」


緑谷はしばし驚く。

だが、なるほど、この人はこういうことも躊躇なくできる人だ…とすぐに納得し受け入れた。


緑谷「…ここじゃ、何です、どうぞ上がってください」

倉持「いえいえ、嫁入り前の女性の家にみだりに立ち入るわけにはいきません。 下で待っていますよ」

緑谷(家まで来ておいて…)


倉持の独特ともいえる倫理観に、緑谷は思わず笑みをこぼしてしまう。


緑谷「そんな…家にまで来ておいて…そんな…ふふふ」

緑谷「分かりました。 すぐに支度します。 必ず行くので待っててください」


緑谷は、実のところ、やはり行くかどうか迷っていた。

昨夜倉持や金剛からの連絡を受けて、注意はあるものの、厳重処分にはならないことは聞いていた。

もちろん、審議にもかけられはするが、それでも法的措置には至らないようにしてくれるとのことだ。


しかし、緑谷自身は、自分を許せないでいた。

これまでの社会経験で、少し壊れ気味であった自身の良心や良識が、倉持たちとの関わりによって回復していくにつれ、今回自分、自分たちがしていたことが罪深いことだと深く認識するようになっていた。


どのような顔をすればよいか分からなかった。

どのように挨拶をすればよいか分からなかった。

けれど、体はいつも通りの時間に起きる。

顔も洗い、食事も済ませ、後は着替えて、軽く化粧をするだけ…

しかし、それだけがなかなかできない。

どうしようか…

このまま、辞めた方がよい…

いっそ、このまま…


そんな時、チャイムが鳴ったのである。

ドアの隙間から差し込む光が、倉持の姿が、緑谷の水晶体に勢いよく飛び込んでくる。


緑谷は思った。

もうこれ以上この人は裏切れない…と。


部屋で、コーヒーでも振舞って、話をしようかとも思ったが、あっさりかわされた。

しかし、それもこの人らしいと、緑谷は妙に合点がいった。


倉持が階段を降りる音を聞くと、緑谷はカギを閉めて、服を着替える。

パジャマのボタンを上から順に外していく。

上着が身体を沿って足元に落ちると、緑谷のふっくらした双丘があらわになる。

ズボンを下すと、ピンクのストライプのショーツ。

緑谷は姿見にうつる自分のお腹周りをフニフニとつまむ…

胸を持ち上げる。

脳裏にはスレンダーな先輩とグラマーな同期が浮かぶ…


緑谷(いやいや、こんなことしている場合ではない…急がないと、待たせているんだから)

緑谷「…」


緑谷はショーツを下すと、タンスの奥深くから、赤色のフリルのついた上下セットの下着を取り出す。


緑谷(…友達から、悪ノリでもらった下着…)


緑谷はグイグイと背中を、わきの下を胸に寄せて、ブラジャーを身に着ける。

左足を上げて、ショーツの左側の穴に足を入れる。

続いて右足を上げて、同じようにショーツの右側の穴に通す。

ショーツを恐る恐る上げて、下半身を包む。


それから、キャミソールをかぶり、服装を整える。


化粧はフラットに。

内心、今日は謝罪をする日なのに…こんな下着をつけていてよいものか…とは思いながらも緑谷は準備を整えた。


バッグの中身を確認すると、勢いよくドアを開けて、鍵を確認してから階段を降りる。

階下では倉持が立っている。


残り三段、その時、緑谷の重心が傾く。

倉持はとっさに走りだす。


倉持は緑谷の下になるように体を這わす。

倉持の眼前には、中央に穴が開いたショーツが顕現する。


緑谷「あ…あ…」


緑谷はとっさに身体を起こし、服装を整える。


緑谷「す…すみません…」

倉持「い…いえ…怪我はありませんか」

緑谷「大丈夫です。 倉持さんこそ…」

倉持「大丈夫ですよ」


倉持は、緑谷に缶コーヒーと2,000円を差し出す。


緑谷は、何事もなかったかのようにふるまう倉持を見て、少し寂しくなる。


しかし、倉持がやや前かがみになっているのを見て、わずかだが心躍る。

加えて、今日は倉持がタンブラーを持っておらず、同じ缶コーヒーを飲んでいるのを見て、緑谷の気持ちは少し晴れるのであった。



その日緑谷は筑紫とともに金剛を始めとする上司に、顛末を語る。

報告と謝罪の上、契約は継続されることとなった。


金剛「今回の件は、黒幕がいたし、逆にそいつの弱みを握ることができた。こいつは業界では結構有名でな…厄介な奴なんだ。まあ今回の件で、いい牽制ができた。君たちが当社にいればなおの事、手は出してこないだろう。 それに、これから、ますます忙しくなるからな…君たちの力は欲しい。 ということだ」


緑谷も筑紫も深々と頭を下げて、業務に戻る。


緑谷が部署に戻ると、倉持がいつものように業務をしている。


緑谷「おはようございます」

倉持「おはよう」

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